人間、本当に嬉しいとき「うれしい」という言葉は出てこない。
今回は、釣りキャンプです。
釣り堀が併設しているキャンプ場で、フライフィッシングに挑戦です。
フライフィッシングとは、虫に見たてた毛ばりを川や湖に投げ込み、魚が食いついた所を引き上げる手法の釣りです。
去年、一度チャレンジしたことがあります。しかし、一匹も釣れず、せっかく揃えた道具たちは、一年間物置で眠っていました。
今年こそは釣り上げる。
そんなわけで会社の先輩であり、新潟のお兄ちゃんであるハイカラキャンプおにいにフライフィッシングを教わります。
釣竿のセットから竿の投げ方と、一から教わっていきます。竿の準備ができたら、キャンプ場で「投げる=キャスティング」の練習をします。三十分ほど竿を振り、釣れるイメージも整ったところで、いざ勝負です。
釣り堀には、目視で確認できるほどニジマスがウジャウジャいます。
満を持して、第一投。チョンと毛ばりが水面に着いた瞬間、近くにいたニジマスたちがスーッと寄ってきます。
キタキタ、食いつけ。
賢いニジマスたちは、すぐに擬似餌だと気づき、離れていきます。けれど、今にも釣れそうです。あと数回投げれば、早々に釣れそうな期待感があります。
……三時間経過。
アタリナシ。
一方でハイカラキャンプおにいは、十五分に一匹のペースで大物を釣り上げ続けています。
マタカヨ……昨年、三日間トライして、自分ひとりだけ釣れなかった悪夢が蘇ります。
日が暮れてきたので、本日の釣りは終了。
ハイカラキャンプおにいに慰められながら酒を酌み交わし、明日へと備えます。
朝七時。いざ勝負。
……四時間経過。
アタリナシ。胸がギュッ、股間がキュッ。
いったん、昼食を摂るべくテントへ一時帰還します。残された時間は半日です。
高級ベーコンを使ったトマトパスタはまったく味がしません。パスタを胃袋に流し込み、再び釣り堀へ。ラストマッチです。
……。三時間経過。
アタリナシ。オワッタ。
五時には帰ろうと約束していました。もう時計の針は五時を指しています。
マジカヨ、マタカヨ……なんだかもうすこしで釣れそうな気がするのだけど……。
これがラストです。
「釣れてくれっ」、魂をこめた最後の一投。
ちゃぽん。
水面の毛ばりが水中へと消えた。
ひいてる、ひいてる。駆け上がる心拍数。ばらすな。あせるな。これがラストチャンスだぞ。
糸が切れないように慎重に。慎重に。だんだんと竿を引く力が弱ってきます。隙を逃さず、糸を手繰り寄せます。
もうちょっと。もうちょっと。
正真正銘のラストチャンスに、今にも心臓が張り裂けそうです。
ゆるゆるとニジマスが岸へと近づいてきます。もうすこし……イケるッ! すかさずネットでキャッチ(先輩が)。
七色にキラキラ輝くニジマスが手の中に。
血が、細胞が、蘇る。
感情が、言葉が、体の底から、こみあがってきます。
「……よかったぁ……」
ありとあらゆるものが弛緩していきます。ニジマスと共に地面にへたりそうになります。
よかった、ほんとうによかったよ。
釣れたよ、釣れたよ、ついに釣れたよ。
投下した十時間の苦労がすべて吹き飛びました。
これが人間の本能なのでしょう。こんなにも大変だったのに、もう再び釣りがしたくなっています。
釣り上げたニジマスはリリースします。ゆらゆらと池の奥へと帰っていきました。
ぼくは今日この日を生涯忘れることはないでしょう。
あの全身の細胞が沸き立つ高揚感を。あの脳が吹き飛ぶ解放感を。あの虹色に光るニジマスの背中を。