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徳川家康と武田勝頼

2023.06.11 公開 ポスト

家康と勝頼の存亡をかけた長篠合戦!徳川軍が果たした役割とは?平山優

NHK大河ドラマ「どうする家康」の放映もあり、主人公である徳川家康とその最強の宿敵・武田勝頼が注目されるようになりました。ふたりの熾烈な対決は、実に9年にも及びました。しかし、その間に起きた合戦や事件には最新研究によって知られざる側面が次々と浮かび上がってきました。

平山優さんの最新刊『徳川家康と武田勝頼』から一部を試し読みとしてお届けします。

復元された馬防柵(写真:平山優)

*   *   *

酒井忠次の奇襲

織田・徳川連合軍は、五月十九日から二日間ほどで、設楽原に三重の馬防柵を構築した。左翼、中央は織田軍、右翼は徳川軍、さらに最右翼に織田援軍佐久間信盛、水野信元(のぶもと)軍を配置した。織田軍は、三〇〇〇挺(一説に一〇〇〇挺とも)の鉄炮を擁する鉄炮隊三部隊を配備し、弓隊を支援のために柵内に待機させた。いっぽうの徳川軍は、柵外に出て、武田軍を挑発し、馬防柵に引き寄せる危険な任務を担った。織田軍三万人ほど、徳川軍は五〇〇〇人ほどの大軍であったという。

長篠城跡(写真:平山優)

徳川軍が最も危険な場所を担当したのは、いうまでもなく三河本国での戦いであったからである。誤解されることが多いが、長篠合戦は、徳川家康対武田勝頼の合戦であり、信長は同盟国として援軍に来たに過ぎない。

『信長公記』に「先陣は国衆の事に候間、家康ころみつ坂上、高松山に陣を懸け」(先陣には、その国の軍勢が担当するのが慣例であるから、家康は古呂水坂上の高松山に布陣した)とあることからも確認できる。また『松平記』にも「今日の御合戦、信長衆は加勢、当手こそ本陣なれ、信長衆に戦を初られては此方の恥辱也」と大久保忠世らが意気込んでいたと記されている。

いっぽうの武田軍も、攻撃の主力を徳川軍に向けていた。武田軍は、右翼が、馬場信春(ばばのぶはる)、土屋昌続(つちやまさつぐ)、一条信龍(〈いちじようのぶたつ〉信玄の異母弟)、真田信綱(のぶつな)・昌輝(まさてる)兄弟、穴山信君ら、中央は、小幡憲重(おばたのりしげ)・信真(のぶざね)父子、武田信豊(のぶとよ)、武田信綱・望月(もちづき)左衛門尉(武田信豊の弟)、安中景繁ら、左翼は、内藤昌秀(ないとうまさひで)、原昌胤(はらまさたね)、山県昌景、小山田信茂(のぶしげ)、加藤景忠(かげただ)(都留〈つる〉郡上野原〈うえのはら〉城主)、跡部勝資(あとべかつすけ)らであった。総勢は一万一千人余であったと想定されている。このうち、最も軍勢が多かったのは、左翼山県らの軍勢で、その狙いが徳川軍であったことがはっきりする。

徳川軍は、弾正山が尽きる平地に布陣していたため、ここを突破されると、連合軍は背後に回りこまれる危険性があった。そのため、連合軍は念のために、最後の馬防柵を宮川沿いに敷設していたと伝わる。

武田軍の設楽原進出を知った信長は、敵の退路を断ち、勝利のためには連合軍に攻撃を仕掛けてこざるをえない状況に、武田方を追い込むことを考えた。すると、家康重臣酒井忠次(さかいただつぐ)が、自分が軍勢を率いて敵の背後に回りこみ、鳶ケ巣山砦などを攻略したいと献策したという。信長は大いに喜び、酒井麾下(きか)の東三河衆に、織田援軍と鉄炮足軽を貸与し、四〇〇〇人ほどの規模としたうえで、五月二十日夜、連合軍の陣所を秘かに出陣させ、菅沼山方面の山中に回りこませ、長篠城を包囲する武田方の付城群を奇襲攻撃させたのである。酒井らは、闇夜のなかを、地元の菅沼氏らの先導を受けて、目印をつけて後から続く者たちへの道標としながら、山岳地帯を縫うように進んだという(『菅沼家譜』他)。酒井らは、明けて五月二十一日辰刻(午前八時頃)、ようやく山道の踏破に成功し、鳶ケ巣山砦を始めとする武田方付城群を攻撃した。奇襲を受けた武田方は善戦したものの、主将武田信実(〈のぶざね〉信玄の異母弟)、三枝昌貞、脇善兵衛らが戦死し、陣所には火が放たれた。これをみた長篠城の奥平勢も、城から打って出て、武田方を攻撃した。武田方の長篠城包囲陣は、酒井勢と奥平勢により壊滅したのである。だが酒井勢も、深溝(ふこうず)松平伊忠(〈これただ〉家忠の父)が戦死するなど、被害が少なくなかった。しかしながら、酒井らの活躍により、連合軍は長篠城を解放したばかりか、武田軍の背後を封じることが可能になったのである。

関連書籍

平山優『徳川家康と武田勝頼』

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」時代考証者による徹底解説! 家康の生涯における最強の宿敵・武田勝頼。ふたりの熾烈な対決は、実に9年にも及んだ。その間の幾多の合戦や陰謀、家族・家臣たちとの軋轢から起きた事件には、最新研究によって知られざる側面が次々と明らかになってきた。長篠合戦の勝敗を分けた「意外な要因」とは? 家康の正室・築山殿と嫡男・信康の「死の真相」とは? 勝頼を滅亡に追い込んだ家康の「深慮遠謀な戦略」とは? 本書では武田氏研究の第一人者が、家康と戦国最強軍団との死闘の真実に迫る!

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平山優

一九六四年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻(日本史)修了。専攻は日本中世史。山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨県史編さん室主査、山梨大学非常勤講師、山梨県立博物館副主幹、山梨県立中央高等学校教諭を経て、健康科学大学特任教授。二〇一六年放送のNHK大河ドラマ「真田丸」、二〇二三年放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」の時代考証を担当。著書に、『武田氏滅亡』『戦国大名と国衆』『徳川家康と武田信玄』(いずれも角川選書)『戦国の忍び』(角川新書)、『天正壬午の乱 増補改訂版』(戎光祥出版)『武田三代』(PHP新書)、『新説 家康と三方原合戦』(NHK出版新書)などがある。

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