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運をつかむ

2023.01.21 更新 ツイート

人生は「運」が7割。強運をつかむ生き方とは――日本電算会長・永守重信の習慣 永守重信

強運に見える「経営のカリスマ」にはしかるべき理由があった!「同じ色のネクタイが2000本ある理由」「〈やらないこと〉を決めることで運をつかむ」「批判や悪口も『成長の糧』とする」……他、日本電算会長/創業者・永守重信氏の、仕事でもプライベートでも運気を呼び込む最強の習慣が1冊に。新刊『運をつかむ』から試し読みをお届けします。

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まえがき──運に近づく「道筋」がある

人の運命とは不思議なものである。私は人生の来し方を振り返るとき、そのことをつくづく感じる。

私が生まれたのは戦争が終わる直前の1944年。そのとき母は40歳を超えており、当時としては、かなり珍しい高齢出産であった。私には兄が3人いて、すぐ上の兄とでも20歳以上も離れている。

親子ほども年の離れている3人の兄は全員戦争に行っていて、みな戦死するようなことがあれば、跡継ぎがいなくなる。真偽のほどはわからないが、親からはそんな思いがあって私を産んだと聞いている。

ところが、戦争が終わると、中国に出征(しゅっせい)していた長兄が帰ってきた。両親は長兄が御国のために戦っている間に子どもができてしまったことを恥ずかしいと思ったようで、まだ赤ん坊の私を慌てて押し入れの中に隠した。しかし、そこは赤ん坊である。ほどなくして押し入れの中から「オギャー、オギャー」という泣き声が聞こえてきて、長兄に私の存在がばれてしまった──。

この逸話が示すように、もし戦争がなければ生まれてこなかったはずなのに、というところから、私の人生は始まっている。

歴史に「if(イフ)(仮に)」がないように、一人ひとりの人生にも無論「if」はない。だが、もし違う環境で生まれ育ったなら、今の私はなかっただろう。

私の生家は京都の片田舎にある貧しい農家である。家は小作地を借りて米や野菜をつくっては、父がリヤカーで京都市内に売りに行くという生活。その父も私が中学校2年のときに他界したため、家計はいっそう苦しくなり、母親からは中学を出たら働けと言われていた。

だが中学の3年間を首席で通し、勉強熱心だった私を見て、先生が母親と長兄を説き伏せてくれ、奨学金で工業高校の電気科に進むことができた。大学に行くつもりはなかったが、これもまた担任の先生が、奨学金をもらえばほとんどお金のかからない職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)をすすめてくれ、入学することができたのである。

大学卒業後、音響機器メーカーや精密機械メーカーにしばらく勤めた後、28歳で独立し日本電産(2023年4月1日、「ニデック」に社名変更)を立ち上げたわけだが、進学のたびに強い制約を受けるような貧しい家庭で育っていなければ、どうなっていただろうと思うことがある。

もし、お金に苦労することもない普通の家に生まれ育っていたなら、会社を創業することはなかったかもしれない。何でも一番にならないと気が済まず、常に首席の学業成績を収めてきた私は京都大学にでも入って、大手電機メーカーのサラリーマンをやっていたかもしれない。

ただ、いささか協調性に乏しい人間なので、系列の子会社などに飛ばされ、そこで営業課長でもやって、勤め人としての人生を静かに終えていたのではないか。そんなことを、ふと想像したりする。

裕福さとは対極の、つらく厳しい環境で育ったからこそ、自分の力で道を切り拓き、ゆくゆくは一国一城の主になるぞという強い情熱と気概を持ち得たのである。そうでない環境に育っていれば、きっとまた違う道を歩んでいただろう。

そんなことを考えると、運命の不可思議な(あや)に触れる思いがする。あみだくじに一本線を書き加えるだけでまったく違う結果になるように、どれだけ人事を尽くそうと、一寸先は闇。人の運命も、どこでどう転がって行くか誰にもわからない。

ただ、はっきりしているのは、最善を尽くさない限り、運は味方をしてくれないということだ。

この本は、そんな私が78年の人生を通して学び得た「運に近づく」ための考え方や行動について、実体験を交えて述べたものである。

私は常々、人生は「運が7割、実力が3割」と考えている。精一杯努力をしても、最後に結果を決めるのは「運」である。

そして、努力に努力を重ね、もうこれ以上できることがないといった果てに、初めて運はやってくる。私はそう考えている。

私が運に恵まれていなかったら、49年前につくった会社の売上高が2021年時点で、2兆円に迫るようなことはなかっただろう。

もし今自分は運に恵まれていない、不運なことばかり起こると感じていても、心配することはない。私は自分の経験から、「不運は幸運の入り口である」ことを知っているからだ。しかるべき努力をすれば、不運な状況もオセロの石がひっくり返るように、必ず幸運へと転じるはずである。

また、人生における運の総量は決まっていないので、努力次第でいくらでも増やせるものである。

いかに運に近づくか。どうやって運を呼び寄せるか。そこには、おおよそ決まった「努力の道筋」がある。本書を読んで、そのヒントをつかみ、あなたのこれからの人生に役立てられることがあるのなら、これほど嬉しいことはない。

関連書籍

永守重信『運をつかむ』

人生の重大な岐路において「神頼み」をする人は多いことだろう。売上が今や2兆円に迫ろうとしている日本電産・創業者の著者は「人生は運が7割」と断言し、ラッキーカラーを常に身につけたり、寝るときの方角にこだわったり、毎月欠かさず神社に参拝したりしているという。ほかにも「〈ユーモアをいえる余裕〉が運を招く」「〈やらないこと〉を決めることで運をつかむ」「〈開き直り〉は運を落とす」など、仕事でもプライベートでも運気を落とさない生き方を徹底。強運に見える人には、しかるべき理由があるとわかる一冊。

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運をつかむ

人生は「運」が7割。運気は「努力」で呼び込める!仕事でもプライベートでも運気を落とさない生き方を徹底する、経営のカリスマ・永守重信の習慣。

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永守重信

1944年、京都生まれ。職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)卒業。73年、28歳で従業員3名とともに日本電産株式会社(2023年4月1日、「ニデック株式会社」に社名変更)を設立、代表取締役社長に就任(現在は会長)。あらゆる種類のモーターと周辺機器を扱う世界1の総合モーターメーカーに育て上げた。日本電産は現在、世界中に300社を超える関連会社を擁し、従業員約11万人(関連会社を含む)という巨大グループに発展している。2018年、京都にて大学及び幼稚園を運営する学校法人の理事長に就任。直ちに学校法人名を永守学園と改称し、運営する大学の改革に着手。19年、大学の名称を京都先端科学大学に変更。20年、同大学に工学部を開設。21年、法人合併により京都学園中学高等学校を傘下に収め、京都先端科学大学附属中学校高等学校とした。また22年、ビジネススクール(経営大学院)を開設するなど、世界で通用する即戦力人材の育成に情熱を注いでいる。著書に『成しとげる力』(サンマーク出版)、『永守流 経営とお金の原則』(日経BP)、『人生をひらく』(PHP研究所)、『大学で何を学ぶか』(小学館)などがある。

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