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「超」古代文明の謎

2022.11.12 更新 ツイート

第8回

空中都市「マチュピチュ」は、都ではなく貴族の避暑地だった!? 島崎晋

謎とロマンにあふれている古代文明。あの建造物や不思議な絵などは、いつ、誰の手で、何のためにつくられたのか……? 世界中に残る謎に満ちた遺跡や神秘的なスポットについて解説。今回は「マチュピチュ」の謎をお送りします。

*   *   *

マチュピチュ遺跡(写真:iStock.com/DestinoIkigai)
 

断崖絶壁の山に築かれた「空中都市」

尖った絶壁の山々が聳(そび)えるウルバンバ渓谷の山間を深く分け入ると、突如、山の尾根の窪んだところに広がる信じられない光景。

標高2280メートル、山裾(やますそ)からでは存在を確認できないことから、「空中都市」の異名を与えられたこの都市は、現地の言葉で「老いた峰」を意味する「マチピチュ」と名付けられた。

発見者は、アメリカの冒険家ハイラム・ビンガムで、時に1911年のことだった。

北・東・西の三方は急斜面をなし、南の斜面には段々畑が広がる。急斜面に残る遺跡の総面積は13平方キロメートルほどで、神殿と宮殿と思しき跡に加え、石製の建物約200戸が確認されている。

よく用いられる写真ではマチュピチュ遺跡より、背後にある山のほうが目立ちがちだが、その山の名はワイナピチュ。「若い峰」を意味する現地語に由来する。

南の斜面の段々畑(写真:iStock.com/CACIO MURILO DE VASCONCELOS)
標高2280メートルの山につくられたマチュピチュ(写真:iStock.com/IVAN_OFF)

「インカの魂が宿る平原」とは?

マチュピチュで都市づくりが行われたのは、インカ滅亡の前後と推測される。

スペイン人の手で国王アタワルパが処刑されたのは、1533年のこと。

スペインへの隷従を拒む人々は別の王族を擁立して、新たにビルバカンバを仮の都として抵抗を続けるが、スペイン人がもたらした未知なる感染症のために人口が激減。1572には王族が根絶やしにされ、抵抗もやんだ。

このビルカバンバがどこにあったかは謎とされていたため、ビンガムが発見したマチピチュがそれでないかと言われた。

しかし、第二次世界大戦後の調査で、「インカの魂が宿る平原」を意味するエスピリトゥ・パンパ遺跡がビルカバンバと判明した。

マチュピチュはなぜつくられたのか?

謎が一つ解明されたわけだが、それではマチュピチュは、いったい何なのかという、新たな謎が浮かび上がった。

建設時期はインカの滅亡時期と重なるが、年代の特定に多少の誤差はつきもの。しかもマチピチュは明らかに計画的につくられているから、追われる人びとが急遽築いた都市または砦(とりで)とは考えにくい。

段々畑からの収穫量に加え、整備された水路と道路の状況からして、自給自足が可能な人数は、最大で1000人ほど。インカの都市は、どこも自給自足できるようつくられているので、マチピチュが特別なわけではない。

これらの要素もあわせると、マチュピチュはスペイン人との遭遇より少し前、避暑地か避寒地かは不明ながら、王か有力貴族の別荘地として築かれた可能性が考えられる。

有力者の住むところであれば、祭祀(さいし)を行う神殿が不可欠。マチピチュ遺跡のなかでもひときわ大きな塔が「太陽の神殿」であったと推測されている。

上から見ると、アルファベットの「D」の字のよう。

二つある窓のうち、東の窓は冬至、西の窓は夏至の朝日が差すよう設計された可能性が高く、曲線のある石組からも高度な建築技術がうかがえる。

インカの人びとにとって、太陽、山、石は聖なるものだったようだ。

太陽の神殿。曲線を描いた石組みで造られている(写真:iStock.com/legacy1995)

スペイン人がもたらした最大の恐怖とは?

マチュピチュから人が誰もいなくなったのは、領主の家系が途絶えたか、感染症の流行により、自給自足に必要な最低限の人数さえ確保ができなくなったため、他の都市に合流したからではないのか。

スペイン人による軍事侵略により、マチュピチュが滅んだわけでもないようだ。

スペイン人がもたらしたのはインフルエンザや麻疹で、まったく免疫を持たない原住民はそれこそバタバタと倒れ、当時のどんな武器を駆使するより効率よく、人口を激減させていた。

感染症がマチュピチュを滅ぼしたというより、原住民にマチュピチュからの退去を余儀なくさせたというのが、史実に近いのではないか。

マチュピチュの存在はもっと前から知られていた

まだまだ謎の部分の多いマチュピチュ。

最近のこと、現地の住民もマチュピチュの存在を知らなかったという点に関しては、疑問が提出された。

今年の3月25日に配信された『ニューズウィーク日本版』によれば、マチュピチュはビンガムによる発見より前、「ワイナピチュ」という名で地図にも載せられ、ビンガムもその地図を手に探検に出たというのである。

論文を発表したのはシカゴ大学イリノイ校の研究チームで、彼らの説が正しければ、ビンガムは発見者というより確認者、紹介者となるが、それはそれで十分な大きな功績であることに変わりはない。

市街地の入口。高度な技術による石組み(写真:iStock.com/SL_Photography)

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「超」古代文明の謎

謎とロマンにあふれている古代文明。あの建造物や不思議な絵などは、いつ、誰の手で、何のためにつくられたのか……? 世界中に残る謎に満ちた遺跡や神秘的なスポットについて解説。

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島崎晋

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、出版社で歴史雑誌の編集を経て、現在は歴史作家として活躍中。主な著書に『ロシアの歴史 この大国は何を望んでいるのか?』(実業之日本社)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『鎌倉殿と呪術 怨霊と怪異の幕府成立史』(ワニブックス)、『人類は「パンデミック」をどう生き延びたか』(青春出版社)などがある。

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