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『雨の日には車をみがいて』と車たち

2022.05.10 更新 ツイート

第3回

人生の苦さと喜び、“たそがれ色”のシムカ 正岡貞雄

五木寛之作品の間でもファンが多い究極の恋愛小説『雨の日には車をみがいて』。本書に登場する9台の車たちは、いったいどんな車たちなのか。「ベストカー」初代総編集長が、その描写の魅力を解き明かす本連載、第3回は「たそがれ色のシムカ」(『雨の日には車をみがいて』第1話)に出てくるシムカ1000の話。

*   *   *

<第1話あらすじ>
1966年夏。放送作家の卵の「ぼく」はテレビの仕事だけでは食えず、CMソングの作詞やPR誌の編集をしていた。そんな時出会った歌手志望の搖子(ようこ)。腰までありそうな長い髪、酒場でシャンソンを歌い、フランス通でちょっと口の悪い彼女に夢中になった「ぼく」は、愛車シムカ1000での彼女と過ごす時間に舞い上がる。だが、大人びた彼女の視線の先にあるのは人生の「成功(シュクセ) 」だった。「ぼく」が紹介した大物プロデューサーからも気に入られた搖子は、成功の階段を登っていくが……
 

『雨の日には車をみがいて』の第1話「たそがれ色のシムカ」は、いま読んでも鮮烈な印象を私に残す。この本のタイトルを導くストーリーということもあるが、歌手としての成功を目指す搖子の意志の強さと野望が、駆け出しの放送作家の「ぼく」の、どこか頼りなげな様子と対照的で、搖子の鮮やかな魅力をより際立たせているからかもしれない。

ただ、30年ほど前に初版本で読んだときより、鮮明に往時の様子が生き生きと見えてきたのが気になった。なぜだろう。ふと、思いついて1988年の初版(角川書店)と2022年の改訂新装版(幻冬舎)とを何気なく読み比べてみた。「お!」思わず、声がでた。書き出しが違っていた。

 

復刊版の冒頭はこうだ。

一九六六年の夏のはじめ、ぼくは思いがけない車を手にいれた。

そして1988年の初版版は、

その年の夏のはじめ、ぼくは思いがけない車を手にいれた。

となっている。

「その年」というぼんやりとした設定では掴みきれなかったものが、「一九六六年」と明確に書かれたことで(角川での文庫化以降)、いろんなことがすっきり読み取れるようになった。

まずその頃は、1年ほど前からそれまでの生活を清算して、金沢に暮らしを移していた五木寛之という青年が、《さらばモスクワ愚連隊》で「小説現代新人賞」に選ばれて作家デビュー、《白夜のオルフェ》《GIブルース》《艶歌》と立て続けに発表したあと、1967年1月《蒼ざめた馬を見よ》(別冊文藝春秋98号)で第56回直木賞を受賞する。著者のはじめての車も「シムカ1000」だったというが、その時期に実際、手元にやって来たというわけだ。

ちょうどその頃、日本の自動車事情には大変動が起こっていた。トヨタ、日産がそれぞれ、大衆車としてのカローラ(1100cc)サニー(1000cc)を発表、激しいバトルが始まった時でもあった。販売価格は、ベーシックモデルでカローラ=43.2万円、サニーが41万円。1ドル360円の当時、物語の中で「ぼく」がなけなしの貯金をはたいて、中古の外車に1000ドル=36万円を投じるのは、かなりの覚悟があっただろうし、それだけの深い意味があったに違いなかった。

外貨資金割当制度に縛られていた自動車輸入が完全自由化されたのが1965年。これで輸入車市場も活気づき、魅惑的な外国車が目の前に登場する。同時に、中古車もドッと店頭に並ぶようになった。とはいえ、フランスの大衆車シムカ1000の特異な能力、素性を知る人は、よほどのクルマ通であったろう。

愛しのシムカは「国電の駅からすこし離れたニコライ堂の脇」に停められていた

「なにごとにつけ、ひとこと多いタイプ」の搖子と、「ぼく」は、そのころ〈日本のカルチェラタン〉と呼ばれた駿河台の〈檸檬(れもん)〉の窓際の席でお茶を飲んでいた。「ぼく」は初めて外車を買った喜びを搖子に話す。シムカ1000の登場だ。

「外車? どこの?」
と、彼女はそれがくせの小鼻の両脇にしわをよせるような微笑をつくって言った。
「北京の人民公社製の自転車でも手に入れたんでしょ」

「自転車じゃなくて、リア・エンジンの欧州車を買ったんだがね」
と、ぼくは軽くおさえた口調で言った。
「ビートル?」
搖子ははじめて意外そうな顔をした。
「いや」
ぼくは首をふった。
「フランスの車さ。シムカ、っていうんだ」

軽妙なやり取りの中に、彼女への心配りとシムカというフランス車の説明をない交ぜた会話が、絶妙だ。そして「ぼく」は搖子を赤いシムカのいるところに案内する。

国電の駅からすこし離れたニコライ堂の脇の道路に、赤いシムカはおとなしくぼくらを待っていた。あれこれ背景をロケハンした上で、とりあえずその場所を選んだのである。だがそのギリシャ教会建築の曲線的なたたずまいと、弁当箱のようなボクシーなシムカ1000とは、いまいちしっくりこなかった。それでも周囲の風景を切りとって見れば、その辺はかなりエキゾチックな雰囲気を感じさせる舞台というべきだろう。

「ぼく」はしばらく、生まれてはじめて手にした愛車にうっとりとした恍惚感を覚えながら「赤いシムカ」のたたずまいを確かめていると、搖子が促した。「ドアをあけてちょうだい」。助手席におさまる揺子。「案外なかは広いのね」。軽やかに、ふんわり包み込むシート。それがフランス車特有のもてなしであった。いよいよ始まる「愛しのシムカ」への儀式――。

キーをひねった。祈るような気持ちだった。一回でかかってくれ! 944ccのOHV4気筒エンジンは、そのぼくの期待にこたえるように背後で高らかに始動した。床から無造作に生えた鉄の棒(シフトレバー)をローへ押しこむと、ゴクッと喉を鳴らすような音がする。慎重に半クラッチをつかって走りだしたときには、掌がじっとりと汗で濡れていた。

搖子に無様なところは見せたくない。「ぼく」は相棒のシムカに心の中で懸命に話しかけ、シムカも一体となってそれに応える。車好きの読者も共感するような情景が、こうしてさりげなく描かれ、ちりばめられているが、小柄なシムカに泣かされる場面も忘れない。最大出力、50馬力/5200回転、時速70キロを出すのもやっと。登り坂では大型トレーラーすら追い越せないシーンも忘れずに用意する丁寧さ。

 

五木が作家デビューする前のある時期、第二京浜国道から少し脇に入った、池上本門寺の近くのアパートに住んでいたというが、国産車を蹴散らすように駆け抜けていくヨーロッパ車を観察し、その中に1964年にデビューしたばかりのポルシェ911シリーズの最初のタイプを「ぼく」も見たのがこのポイントだったという描写が第2話にある。

私が今回、シムカ1000との対面を期待して向かったのは、そんな五木のクルマウォッチの原風景の場所から、1kmほどのところにあった。多摩川大橋の方向へ南下した第二京浜国道沿いの住宅地の一角、イタリア、フランスのヴィンテージカーを中心にとり扱って評判の販売店&レストア整備ガレージのAUTOREVE(アウトレーヴ)だ。

趣のあるアウトレーヴ

入り口には磨き上げられたルノー9、フィアット・アバルトなどが並べられていた。出迎えてくれたのは、アウトレーヴの共同経営者、抽象画の画家としても活躍している紀子さんと通称ムッシューの二人。ガレージと事務所が一つになった大きな空間。シャンデリアが天井から吊り下がり、壁には炎の渦巻きを捉えたような抽象画が惜しみなく飾られている。そこへ整備の終わったヴィンテージカーが並ぶ。ついこの間までは、フレンチブルーのシムカ1000が収まっていたという。

左からルノー4、ルノー9 TSE、フィアット アバルト 往年の名車たちが出迎えてくれた

シャンソンの古いレコードも骨董物の蓄音機で聴ける解放区的なアジトとなっていた。エディット・ピアフの「薔薇色の人生」がお薦めという話も聞きながら、同好の士のアジトの空気が満溢する場を楽しんだ。

シムカ1000ベーシックを拝顔
「弁当箱のようなボクシーなシムカ1000」と描写されている理由がよくわかる。物語のシムカの色は「たそがれ色」だ
シムカ1000は後部にエンジンを載せた特異な構造をしている。前部がつぶれたような愛嬌のある顔をしているのはそのため
リアにフィアットのエンジン部を搭載してフランス車にした離れ技、恐るべし

残念ながら、3台あったシムカ1000はすでにソールドアウトで、実物に触れることはできなかったが、「第5話 翼よ!あれがパリの灯だ」で登場するシトローエン2CV(ドウ・シヴォ)には近く対面の機会を設けていただけそうなのは、大収穫だった。

白いシムカ1000の座席
ステアリングまわりも特徴的だ
キーについている「燕のマーク」。SIMCAの文字が見える。「ぼく」が搖子に「見せびらかしたりしなくてよかった」とホッとする場面で描かれているが、さすがにデザインがいい

そして帰り際、ふと不思議な想いにとらわれた。シムカ1000を楽しむ揺子と、髪を腰の辺りまで長く伸ばし、フランス文化に通暁しているアウトレーヴの紀子さんとが、どこか重なって見えたのだ。実際のシムカに会いたいという想いが、物語の様々な何かを引き寄せたようなうれしさを覚えながら、私は店を辞した。

 

第1話のエンディングでは、彼女との思いがけない別れについての「ぼく」の心情が、シムカと過ごす時間を通して情感たっぷりにまとめられている。

ぼくのシムカは、みがくたびにすこしずつ黄色味をまして、いまやたしかにたそがれ色に変ってきていた。それでも、ぼくはいつも車をみがいた。雨の日にはとくに時間をかけてみがき、神宮外苑の落葉の道をひとりで走った。雨粒はたそがれ色のボンネットの上を、光る露の玉になって宝石のように飾り、夜は街燈の光をうけた古いシムカを華麗なイスパノ・スイザのように見せた。

「ぼく」の寂しさとシムカはこの後さらに呼応する。別れは切なくも美しい。そして「たそがれ色のシムカ」は、「ぼく」にとって、ただの車を超えた大切な何かであることが、読む者の感情をさらにかきたて、心に残るのである。

(第3回 了)

ルルーシュの『男と女』の舞台となったドービルの波止場にたたずむ五木氏

紆余曲折を繰り返したシムカ 波乱のフランスメーカー

■ シムカは1934年に鉄鋼商人のアンリ・ピゴッツィが設立したフランスのメーカー。当初はフィアットの販売をフランスで実施できる権利を得ていたが、当時のフランスは国産車メーカー育成のため、そのまま輸入しては高い関税がかかる仕組みとなっていた。そこでビゴッツィは関税を避けるため、ほぼ完成に近いフィアットモデルを輸入、最終組み立てをフランスで行う離れ業で国産車として販売、ヒットした。通称、トポリーノはフィアット500と呼ばれる。

■  シムカ1000は1961 年にデビューし、1978年まで約17年間にわたり生産された長寿モデル。直線基調の箱型をもつ4ドアセダンで、トランクスペースを考慮してエンジンは後方置きとなるRRレイアウトを採用したため、前後重量配分は35:65となり走行がトリッキーな反面、乗りこなせば軽快によく走りラリーカーとしても人気を博した。が、フィアット、クライスラーの方針に振り回され、最後にはプジョー傘下に吸収されて1986年に消滅。

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『雨の日には車をみがいて』と車たち

恋愛小説でありながら、9台の名車が鮮やかに描かれる『雨の日には車をみがいて』(五木寛之著)。名著復刊を記念し、本書に出てくる素晴らしき車たちと作家・五木寛之とその時代についての思い出を、「ベストカー」初代総編集長が綴る。

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正岡貞雄

出版プロデューサー、エディター、日本自動車研究者ジャーナリスト会議所属。「PROJECTまさおか」主宰。1959年、講談社入社。‘74年、総合誌「月刊現代」編集長。’77年、講談社の方針により三推社(現在の講談社BC)を立ち上げ「ベストカー」を創刊。‘87年、「2&4モータリング社」を興し、社長兼編集長として「ベストモータリング」創刊に取り組む。2000年、退任。現在は、SNSでのSpecial Blog連載のほか、対談企画構成、出版プロデュースを通して、新時代のクルマへの関わりを練り上げている。

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