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ルポ 死刑

2022.11.22 更新 ツイート

『エルピス』のような死刑囚は現実にいる!無罪を叫び48年後に釈放された男性【再掲】 佐藤大介

俳優の長澤まさみが主演を務めるドラマ『エルピスー希望、あるいは災い―』(カンテレ・フジテレビ系/月曜午後10時~)が話題だ。
落ち目のアナウンサーと自称「勝ち組」若手テレビマンが連続殺人犯の冤罪疑惑を追う社会派エンターテインメントだが、ドラマに登場するような、冤罪が疑われる死刑囚は実在する。

今回は豊富なインタビューで死刑制度の全貌に迫る書籍『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』(佐藤大介著、幻冬舎新書)の一部を抜粋して紹介。
確定死刑囚として30年以上を過ごし、釈放されて拘置所を出た袴田巌さんの姿は、人びとに衝撃を与えるものだった。

*   *   *

(写真:iStock.com/RomoloTavani)

袴田事件、48年目の衝撃

東京拘置所の建物入り口に、黄色の半袖シャツと黒っぽいズボンをはいた男性が現れると、待ち構えていた報道各社のカメラから一斉にフラッシュがたかれた。

背中を丸め、左右に体を揺らすような動作をしながらも、しっかりとした足取りで迎えの車に向かう。一瞬、右前方に視線を投げかけたが、周囲の刑務官たちには目もくれず、そのまま車に乗り込んでいった。

男性は、袴田巌(はかまた いわお)さん。1966年に静岡県内で起きた強盗殺人事件で逮捕され、1980年に死刑が確定した元プロボクサーだ。

 

2014年3月27日、静岡地方裁判所は袴田さんの再審開始を認め、死刑執行の停止とともに即時釈放も命じた。

死刑囚の再審決定と釈放が同時に認められるのは初めてで、異例の司法判断は法曹関係者を驚かせたが、それ以上に人びとに衝撃を与えたのが、48年間にわたって自由を奪われ、うち30年以上は確定死刑囚として過ごしてきた袴田さんの姿だった。

袴田さんは、事件から1年以上たって血のついた衣服が捜査機関によって「発見」され、有罪の証拠とされたが、静岡地裁はDNAの鑑定結果などから、警察が証拠をでっち上げたとの疑いを指摘し、これ以上の身柄拘束は「正義に反する」として、釈放を命じている。

裁判で無実を訴え続けた袴田さんと、それを支えた弁護団、肉親、支援者たちの完全勝利だった。

(写真:iStock.com/y-studio)

だが、拘置所の独房に閉じ込められ、死刑執行の恐怖におびえた日々を過ごした袴田さんにとって、失ったものはあまりにも大きかった。

再審請求を先頭に立って行ってきた姉のひで子さんが、東京拘置所を訪れて再審開始決定を伝えても、袴田さんは「うそだ。もう帰ってくれ」と突っぱねるだけだった。

釈放が決まり、アクリル板のない応接室で対面したひで子さんが「お帰りなさい」と肩に触れても、袴田さんは「うん、うん」とうなずくだけで、状況が飲み込めていない様子だったという。

無実を叫びながらも聞き入れられず、失意と絶望の中で半世紀近くを過ごしてきた袴田さんにとって、自らの感情を押し殺し、貝のように閉じこもることが「生きる術(すべ)」だったのだろう。

 

関係者によると、袴田さんには刑務所の被収容者などにみられることの多い「拘禁ノイローゼ(拘禁反応)」の症状が出ていた。自由のない環境下に追いやられることによる強いストレスから、心身に異常をきたす症状だ。

暴れまわったり奇声を発したりするほか、外からの刺激に一切の反応を示さなくなってしまうなどのケースが知られている。

袴田さんの表情がうつろだったり、会話が成立しづらかったりするのも、拘禁ノイローゼによる症状のためだ。釈放後、袴田さんがホテルで、部屋の中を無言で歩き回っていたというのも、独房で行っていた行動を無意識に繰り返していたためと考えられる。

「妄想が現実世界を浸食しているかのよう」

元社民党衆院議員の保坂展人(のぶと)氏(現・東京都世田谷区長)は、議員時代の2003年、東京拘置所でひで子さんとともに袴田さんと面会している。その際、袴田さんは保坂氏らと次のようなやりとりを交わした。

保坂氏「今日はあなたの誕生日ですが、わかります? 67歳ですね」

袴田さん「そんなことを言われても困るんだよ。もういないんだから、ムゲンサイサイネンゲツ(無限歳歳年月?)歳はない。地球がないときに生まれてきた。地球を作った人……(意味不明)」(中略)

「神の国の儀式があって、袴田巌は勝った。日本国家に対して5億円の損害賠償を取って……」(中略)

保坂氏「袴田巌さんはどこに行ったのですか?」

袴田さん「袴田巌は、智恵の一つ。私が中心になった。昨年儀式があった」

保坂氏「儀式?」

袴田さん「儀式だ……宇宙……。全世界のばい菌と戦っている。(ばい菌に)死刑判決を下している。昨年1月8日まで袴田巌はいた、もういなくなった。1月8日に全能の神である自分が吸収した。中に入っていった。私の智恵の一つ。なくなっちゃう」

やりとりの一部からも、長期の身柄拘束によって、袴田さんが通常の精神状態を保てていなかったことがわかるだろう。このころの袴田さんの様子は、保坂氏が2004年8月22日に記した自身の活動報告から知ることができる。

袴田さんは13年前(1991年)から弁護士と会うことすら拒否してきた。それどころか、姉のひで子さんもここ7~8年は東京拘置所に面会に行っても「袴田という人間はいない」と面会を拒んでいたのだった。

1999年に法務省矯正局と事前打合せの上、ひで子さんはわずか数分間、面会できた。しかし、ひで子さんと挨拶は交わしたが、「巌」と呼びかけると、「そんな人間はいない」とプイと外に出てしまったのだという。

実は、昨年3月10日に私は東京拘置所でひで子さんと弁護士の秋山賢三さん、小川央(よう)さん、岡島順治さんと共に25分間面会している(筆者注:前出の袴田さんが保坂氏と会話をしたときのことを指す)。

「全能の神となった私が袴田巌を統合した」と連綿と妄想の世界を語り続ける袴田さんの様子は、長期拘禁と死刑との隣り合わせの緊張のためか、妄想が現実世界を浸食しているかのようだった。(中略)

袴田さんは、1回の食事に1時間以上をかけている。出されてもすぐには食べずに、じっと見つめているという。そして、冷めた食事をゆっくりと食べる。

「運動」も拒否、房の中をぐるぐる回るのが日課だという。「入浴」以外に房の外に出ない。

釈放後の明るいきざし

袴田さんは釈放後、静岡県浜松市でひで子さんと2人暮らしをしている。2021年3月には85歳の誕生日を迎え、支援者からケーキや花束などが手渡されると笑みを浮かべながら受け取り、釈放当時と比べて表情が明るくなってきたという。

(写真:iStock.com/sinseeho)

だが、妄想を引き起こす拘禁症状が出るなど、長年の拘置所生活による精神面への影響は続いている。

支援者が開いた集会に出席した際には「戦いが始まった」などと、要領を得ない発言を続けることもある。高齢による体力の低下もあり、審理の長期化に耐えられるかという懸念も強い。

静岡地裁の再審開始決定後、静岡地検はこれを不服として即時抗告し、2018年6月11日に東京高等裁判所が再審開始を認めない決定を下した。

高裁も死刑と拘置の執行停止は認めたことから、再び東京拘置所に収容されることはなかったものの、確定死刑囚としての不安定な立場はより脆弱(ぜいじゃく)となった。

その後、弁護側の特別抗告を受けた審理で、2020年12月22日、最高裁判所は再審開始を認めないとした東京高裁決定を取り消し、審理を東京高裁に差し戻す決定を下した。21年8月現在、高裁で弁護団と検察との3者協議が続いている。

 

散歩を日課としている袴田さんは、その理由を「ばい菌を監視するため」と語っていた。しかし、最高裁の差し戻し決定からは、そうした言葉は少なくなったという。

「巌はばい菌を監視する必要がなくなり、『俺が勝った』と認識している」。ひで子さんは、そう話している。

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150年変わらぬ死刑制度の不都合な真実を暴く『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』好評発売中

関連書籍

佐藤大介『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』

世論調査では日本国民の8割が死刑制度に賛成だ。 だが死刑の詳細は法務省によって徹底的に伏せられ、国民は実態を知らずに是非を判断させられている。 暴れて嫌がる囚人をどうやって刑場に連れて行くのか? 執行後の体が左右に揺れないよう抱きかかえる刑務官はどんな思いか? 薬物による執行ではなく絞首刑にこだわる理由はなにか? 死刑囚、元死刑囚の遺族、刑務官、検察官、教誨師、元法相、法務官僚など異なる立場の人へのインタビューを通して、 密行主義が貫かれる死刑制度の全貌と問題点に迫る。

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ルポ 死刑

2021年11月25日刊行の幻冬舎新書『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』の最新情報をお知らせいたします。

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佐藤大介 共同通信 編集委員兼論説委員

1972年、北海道生まれ。明治学院大学法学部卒業後、毎日新聞社を経て2002年に共同通信社に入社。韓国・延世大学に1年間の社命留学後、09年3月から11年末までソウル特派員。帰国後、特別報道室や経済部(経済産業省担当)などを経て、16年9月から20年5月までニューデリー特派員。21年5月より編集委員兼論説委員。著書に『13億人のトイレ~下から見た経済大国インド』(角川新書)、『オーディション社会 韓国』(新潮新書)など。

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