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日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編

2021.08.14 公開 ツイート

オホーツク編3

#3 楽しみなスノートレッキング、行ってみたら“熊密度世界最大”の地だった! 宮田珠己

シーン…とした場所で読むのがおススメできない本といえば、宮田珠己さんのエッセイ。というのも、読んでると、つい声出して笑っちゃうから!

そんな宮田さんの最新文庫、脱力しまくりの旅エッセイ日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編が、発売になりました。

“根っからの怠け者だけど、無類の旅好き”という宮田さんが、鬼編集者(!?)テレメンテイコ女史とともに、流氷ウォーク、粘菌探し、ママチャリ旅に手漕ぎボート……などなど、どこへでも行くが、どこでも脱線する! という、見事な珍旅ぶり。

続くコロナ禍で、なかなか旅に出られない夏休み。暑い夏に、超絶・涼しい旅の様子を、お届けします!

*      *    *

オホーツク編3
クマゲラの謎と、よく見えなかったゴマフアザラシ

網走ではまだ浜辺と流氷の間に海面が見えていたのが、ウトロに近づく頃には、もはや海面はどこにもなかった。一面が白い平原だ。

空はどんより曇って、真っ白な海との境界もよくわからない。

日が傾いてくるにつれ、われわれは、じわじわと寂しい気分になってきた。

窓から見えるのは、ひたすら海と岩、反対側は森と岩ばかりで、人の暮らしを想像させるものがほとんどないのだ。

この先に人の住む町があるということが、信じられない気分だった。ここにまだ道路ができる前、知床半島に住んでいた人々は、いったいどうやって暮らしていたのだろう。

「100年前にこんなところに住んでたら、イヤになって、流氷の上をどんどん歩いていきそう」

テレメンテイコ女史がポツリと言った。

構わないから、どんどん歩いていってはどうだろうか。

 

ウトロは秘境知床の中ほどにある町で、冬の間はこの先の道路は閉鎖されるため、つまりここが知床の最奥ということになる。そう思うと、ずいぶん大袈裟なところまで来てしまった気がするが、町にはコンビニも大きなホテルもあって、普通に人が住んでいる。

そしてこのウトロで、念願の流氷ウォークが行なわれているのだった。ああ、やっと着いた。

到着した翌日、さっそく流氷に乗るぞ、と思ったら、まずスノートレッキングをやり、その後動物観察ツアーをやり、そのあとで流氷ウォークという段取りになっていた。

「なんで、流氷ウォークは後回しなんですか」

「その時間に来るように言われたんですよ」

「動物観察とか全然興味ないんですけど」

「それやらないと昼間の時間がずいぶん空くんです。まあ何でもやってみたらいいじゃないですか」

私としては流氷ウォークだけで十分なのだが、そういうことならと、ひとつずつ順に挑戦していくことになった。

最初はスノートレッキングである。

国道沿いにある知床自然センターから、オホーツクに面したフレペの滝まで、スノーシューを履いて往復するツアーだ。

私は西日本育ちのせいもあり、夏のアウトドアスポーツと比べて、冬のアウトドアはそれほど熱心にやってこなかった。スキーの腕前もたいしたことはないし、雪山についても何度か登ったものの、荷物の重さに辟易(へきえき)し、やめてしまった。

そんななか唯一しっくりきたのが、歩くスキーやスノーシューを履いて、森や凍った湖をトレッキングすることだった。夏は草が繁って通れなかったり、虫に刺されたり、クモの巣にからまれたり、場所によってヒルが出たりと、何かと鬱陶しい森も、冬は雪以外に触れるものもなく、清潔感をキープしたまま散策できるのがいい。流氷ウォークほどではないが、知床でのスノートレッキングも、それはそれで面白そうであった。

なお、スノーシューは体が雪に沈まないよう、体重を広い範囲に分散させる仕組みになっている。必然的に接地面積がでかくなり、歩き方にも工夫が必要だ。左右のスノーシューがぶつからないよう、少しガニ股で、かつ一歩一歩踏みつけるようにして歩かなければならない。

初体験のテレメンテイコ女史は、

「松の廊下みたいですね」

とスノーシュー初体験の感想を述べていた。

たしかに、歩いてみた印象は、昔の武士が長い袴(はかま)の裾を持て余しながら進むあの感じに近い。一歩一歩どったんどったんと歩くわけである。最初のうちは変に力が入るが、そのうち慣れて、気にしないでも歩けるようになる。

森の入口から歩き始めると、すぐに周囲から人工のものがなくなって、気がつけばわれわれは、大自然の真っ只中にいた。雪の上には動物の足跡もちらほら見えて、これはキツネ、これはネズミ、とガイドが教えてくれる。ネズミは尻尾の跡が残るんですといって、それはいいのだが、続けて、樹の表面に筋が入っているのは熊が登った痕です、というのは問題があった。

熊?

今回スノートレッキングツアーは予約したが、熊はとくに予約してない。熊の爪痕とか、コースに組み込んでどうする。しかもガイドは平然とこう続けたものだった。

「知床半島は、世界でも熊の密度がもっとも濃い場所のひとつです」

って、えええ!

熊密度世界最大!

誰だこんなツアーに参加しようと言いだしたのは。

熊の爪痕は、ものすごくくっきりと刻まれていて、つまりそれは爪が相当深く食い込んだことを示していた。しかもずいぶん上まであり、ガイドによれば、熊は簡単に樹に登りますとのこと。ということは、樹の上に逃げてもダメなのであった。

それでもガイドは余裕の表情で、熊も人間を怖がっているから、歩くときはなるべく音を立てるようにして早めに気づかせるのが大切です、そうすれば熊のほうで人間を避けてくれます、とか何とか言ってる端から、遠くのほうで何か黒いものがガサガサッと動いて、

うおおおおっ!

目を凝らすと鹿であった。

危ない危ない。脅かすんじゃないぞ鹿。

でも鹿ならまあよかった、安心だと思ったら、

「雄の鹿は危険なので、注意してください」

とガイドは言う。群れを守るため、人を襲ってくることもあるそうだ。その場合、角から体当たりしてくるから、非常に危ないらしい。

おいおい、危険だらけではないか。動物乱暴すぎ。

もちろんガイドも気をつけていると思うが、熊にせよ鹿にせよ、襲ってくる場合はまずテレメンテイコ女史から襲うよう、しっかり危機管理してもらいたいものだ。
 

ところで、このツアーで私が一番面白かったのは、クマゲラであった。

クマゲラを見たのではない。樹にやたら大きな穴が開いているところがあり、ガイドが、クマゲラが開けたものだと教えてくれたのだ。それは熊の爪痕なんかよりもはるかにでかく、深さ30センチはありそうだった。

クマゲラといえば、たしかキツツキみたいに嘴(くちばし)で穴を掘る鳥だろう。嘴で果たしてこんな巨大な穴を開けられるものだろうか。鳥ごと埋まってしまいそうな穴ではないか。

しかしもっと驚いたのは、ガイドが次に教えてくれたことである。

クマゲラという鳥は、樹を嘴でつっつくとき、長い舌を脳に巻きつけて震動から守るのだそうだ。

あ? 何だって。舌を脳に巻きつける?

意味わからん。いったいそんなことが可能なのか。絵にすると、こんな感じだろうか。
 

もしそれが本当なら、口の中と脳が繋がっていなければならない。

そうすると、エサの食べカスなんかも脳のまわりにやってくるんじゃなかろうか。食ったつもりの虫が、脳のまわりに棲みついたりして、ややこしいことになりそうである。それどころか脳を舐めてみてうまかったりしたらどうするのか。鳥はバカだからそのまま食ってしまうのではないか。

どういう仕組みか知らないが、自分の脳に舌を巻きつける鳥がいるとは、世の中どんな生き物がいるかわからないものであった。

このあとわれわれは、十数頭ほどの鹿の群れと出会い、雄の鹿に注意を払いながら通過。最後に、海の見える崖の上にたどり着いた。

目の前に、どーんとオホーツク海が広がり、崖の途中には、土中から染み出した水が凍ってツララがたくさん垂れ下がっていた。それがフレペの滝だった。

海と崖と滝。

なんとも雄大な眺めだ。

オホーツク海は、遠く水平線まで流氷で覆い尽くされ、大氷原となっていた。夏には波がドッパンドッパン打ち寄せているはずの岸壁も、今は何の音もしない。

網走の砕氷船から見た流氷は、ところどころに隙間があって海がのぞいていたけれど、ここでは隙間はまったく見えなかった。その見えなさたるや、テレメンテイコ女史が、ロシアまでどんどん歩いていっても大丈夫そうなほどであった。落ち着いたらそのうち提案してみようと思う。
 

音のしない海

さてこうしてスノートレッキングは無事終了し、次は動物観察ツアーということなのだが、ツアーガイドが、天然記念物のオオワシやオジロワシ、さらに鹿が見られますというので頭を抱えた。

また鹿かよ。

ワシだって何ワシか知らないが、すでにたくさん見ていた。何しろそこらじゅうに飛んでいるのだ。

悪いけど、今は動物の気分じゃなかった。どちらかというとコーヒーとか、ふかふかのベッドとか、そういう気分であって、唯一、動物面で興味があるとすればクマゲラの脳を覗いてみたいぐらいである。

などと口には出さず心の中でだけ思いながら車に乗っていくと、連れて行かれたのが鹿の群がる斜面だったりして、フォースの暗黒面に落ちそうになったのだったが、結果から言うと、動物観察ツアーは悪くなかった。

というのも、ゴマフアザラシを見たのである。

流氷に閉ざされたウトロ港の駐車場脇の岸壁の下、灰色の塊がゴロンと氷の上に転がっていた。それが、ゴマフアザラシだった。

ガイドによれば時々見られるということで、ものすごく貴重な発見というほどではないが、それなりに豪勢な出会いと言える。とりわけ、それが港の駐車場脇、夏ならドブといってもいいような場所にいたのが見応えであった。

灰色だからコンクリートに寄り添って擬態していたのかもしれない。果たしてアザラシが擬態とかそういう姑息(こそく)な考え方をする生き物なのかどうか知らないけれど、おかげでよく見えなかった。よく見えないまま、お得な気分だけ味わったのだった。

(オホーツク編 つづく)

関連書籍

宮田珠己『日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編』

仕事を放り出して、今すぐどこかに行きたいじゃないか!根っからの怠け者だが、無類の旅好き。人間、旅行以上に大事な仕事があるだろうか。鬼編集者テレメンテイコ女史とともに流氷ウォーク、粘菌探し、ママチャリ旅に手漕ぎボート、果ては迷路マンションまで。どこでも行くが、どこでも脱線。読むほどに、怠け者が加速する脱力珍旅エッセイ。

宮田珠己『日本全国津々うりゃうりゃ』

諸君! 明日のことは旅行してから考えよう。日光東照宮では《眠り猫》よりも幻の《クラゲ》探しに精を出し、しまなみ海道では大潮の日に山のように盛りあがる海を求め船に乗る。名古屋で歴史ある珍妙スポットを続々と発見したかと思えば、なんと自宅の庭一周の旅まで!どこに行っても寄り道と余談ばかり。これぞ旅の醍醐味! 爆笑の日本めぐり。

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日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編

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宮田珠己

旅と石ころと変な生きものを愛し、いかに仕事をサボって楽しく過ごすかを追究している作家兼エッセイスト。その作風は、読めば仕事のやる気がゼロになると、働きたくない人たちの間で高く評価されている。著書は『ときどき意味もなくずんずん歩く』『ニッポン47都道府県 正直観光案内』『いい感じの石ころを拾いに』『四次元温泉日記』『だいたい四国八十八ヶ所』『のぞく図鑑 穴 気になるコレクション』『明日ロト7が私を救う』『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』など、ユルくて変な本ばかり多数。東洋奇譚をもとにした初の小説『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』で、新境地を開いた。

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