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鬼才 伝説の編集人 齋藤十一

2021.04.06 更新 ツイート

日本の週刊誌はどのように生まれたのか 森功

ノンフィクション作家・森功さんが故・齋藤十一に迫った傑作評伝『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』が発売になりました。齋藤十一は「週刊新潮」「フォーカス」等を創刊し、小林秀雄や太宰治、新田次郎、山崎豊子、松本清張ら大作家に畏怖された稀代の天才編集者です。「新潮社の天皇」「出版界の巨人」「昭和の滝田樗陰」などの異名をとりながらも、ベールに包まれてきた齋藤十一の素顔とはー。

 

齋藤十一といえば、出版界で初めて週刊誌を発案した編集者というイメージが強いかもしれない。一九四六年の「新潮」の復刊、五〇年の「芸術新潮」の創刊、そして三番目に齋藤が取り組んだ大仕事が、五六年の「週刊新潮」の発刊である。

「そのあとの『フォーカス』を含め、齋藤さんの手掛けた雑誌はことごとく当たる。それで、出版界における齋藤十一像がますます神格化していったんだね。僕らはたしかに齋藤さんに畏れ慄いていた。寡黙で、あんまり無駄口をたたく人じゃなかったから、たいていの社員が齋藤さんと口をきいたことすらないんじゃないかな。といっても『天皇』という表現は社外の人が使っていただけで、社内でそう呼ぶ人はいなかったんじゃないかね」

生前の印象をそう振り返ったのは、週刊新潮四代目の編集長となった松田宏だ。前述したように一九四〇年十二月生まれの松田もまた二〇一八年八月、七十七歳で鬼籍に入ってしまった。

日本の週刊誌の歴史は、一九二二(大正十一)年四月に創刊された新聞社系の「週刊朝日」と「サンデー毎日」を嚆矢とする。まず週刊朝日が月三回の「旬刊朝日」をB5判サイズの週刊誌に衣替えし、毎日新聞の社長だった本山彦一が朝日に対抗し、週刊サンデー毎日をタブロイド判で創刊した。戦後、飛躍的に部数を伸ばしたこの二つの新聞社系週刊誌の成功を見た齋藤が、「わが手にかかればもっと売れる雑誌をつくれる」と見込んで週刊新潮を創刊した、と伝えられる。

事実、週刊新潮が出版界初の週刊誌なのは間違いない。しかし、実は週刊新潮の発案者は齋藤ではない。雑誌の企画は副社長だった佐藤亮一が提案したものだ。創業家の宗子として新潮社の三代目社長を約束されていた亮一は一九四六(昭和二十一)年二月、早大文学部独文科を中退して新潮社に入り、副社長と出版部長を兼ねるようになる。創業者の義亮が経営刷新を図り、新潮の編集長に抜擢された齋藤が取締役に就いたときだ。亮一は入社十年目の五五年、新たな出版事業を思い立つ。それが週刊誌の発刊だった。

亮一は手始めに齋藤をはじめ四、五人の幹部を自宅に呼んで週刊誌づくりを検討していった。そこからこの年の八月、自ら編集長となって「新潮」や「小説新潮」の編集部、出版部の部員二十人をかき集め、創刊準備のために週刊新潮編集部を立ち上げる。半年後、週刊新潮の創刊号が一九五六(昭和三十一)年二月六日、二月十九日号として発売された。

五六年が出版社系週刊誌元年なのはたしかだ。だが、実はこの年に生まれた出版社系週刊誌は週刊新潮だけではない。もう一つが徳間書店の「週刊アサヒ芸能」である。そこに佐藤亮一自身がかかわっていた事実は、あまり知られていない。

通称、アサ芸は、読売新聞出身の竹井博友が終戦間もなく売り出したタブロイド紙の「アサヒ芸能新聞」が前身だ。竹井はそれを読売時代の同僚だった徳間康快に譲り、自らは不動産会社「地産」を経営するようになる。

かたや出版事業に乗り出した徳間は、売れないゴシップ新聞をどうにかしようと腐心した。このとき徳間にアドバイスしたのが、新潮社で週刊新潮の創刊準備を始めていた亮一だ。新聞から冊子に改め、ともに週刊誌をつくろうと提案したとされる。結果、週刊新潮に遅れること八カ月後の十月、徳間は芸能スキャンダルに加え、風俗情報やエロス、暴力団事情を売り物にしたアサ芸を世に送り出した。

そして週刊新潮とアサヒ芸能という、似ても似つかない路線の異なった二つの出版社系週刊誌が誕生するのである。いわば亮一は、その両方の発案者といえる。

もっとも亮一自身は、雑誌編集の経験がない。新雑誌の発刊については、かなり不安があったようである。その不安の理由について、戦前に講談社の「キング」に対抗して新潮社が刊行した大衆文芸誌「日の出」の失敗を間近に見てきたからだ、とのちに亮一本人がベトナム戦争にたとえて次のように語っている。

〈「あのとき僕はまだ小学生でしたけどね、毎月ものすごい返品の山だろ、子供心に会社が大ピンチだっていうことを痛感した。そういう『日の出』体験を持っていますからね。雑誌っていうのは泥沼にはいりこんだら、もうどうにもならない、つまりベトナム化ですよ。そいつは承知の助だったから、週刊誌だしてみて、雲行きがあやしくなったら、すぐ引き返そう、もう恥も外聞もなく撤退しようと思ってたんですよ」〉(月刊誌「噂」七二年八月号の江國滋インタビューより)

そんな空気を察知した新潮社内の受け止め方は、もっと深刻だった。

「赤字が三カ月続けば会社が倒産する」

出版界初の週刊誌づくりは、そう社内で囁かれたほど、社運を賭けた一大事業だった。

関連書籍

森功『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』

「人間は生まれながらにして死刑囚だろ」 『週刊新潮』『芸術新潮』『フォーカス』『新潮45』を創刊。雑誌ジャーナリズムの礎を作り、作家たちに恐れられた新潮社の帝王。稀代の天才編集者は、なぜ自らを「俗物」と称したのか。 第一章 天才編集者の誕生 第二章 新潮社の終戦 第三章 快進撃 第四章 週刊誌ブームの萌芽 第五章 週刊誌ジャーナリズムの隆盛 第六章 作家と交わらない大編集者 第七章 タイトル作法 第八章 天皇の引き際 第九章 天才の素顔 終章 天皇の死

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鬼才 伝説の編集人 齋藤十一

「週刊新潮」「フォーカス」等を創刊。雑誌ジャーナリズムの生みの親にして大作家たちに畏怖された新潮社の天皇・齋藤十一。出版界の知られざる巨人を描いた傑作評伝。

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森功 ノンフィクション作家

1961年、福岡県生まれ。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社、「週刊新潮」編集部などを経て、2003年に独立。2008年、2009年に2年連続で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。2018年には『悪だくみ「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」受賞。『総理の影 菅義偉の正体』『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』『ならずもの 井上雅博伝ーヤフーを作った男』など著書多数。

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