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江戸文化の華 料亭・八百善を追う

2020.12.23 公開 ポスト

うまいのは麩、ゆば、芋、水菜、うどんだけ…曲亭馬琴は京料理をこう評した松井今朝子

江戸の名料亭「八百善」とその主人、福田屋善四郎を描いた、直木賞作家・松井今朝子さんの『料理通異聞』。「料理を題材にした時代小説の最高傑作」とも評される本作の「舞台裏」を、著者みずから丹念につづったのが、『江戸文化の華 料亭・八百善を追う』です。今も残る古文書、史料の数々を読み解きながら、善四郎の生涯に肉薄していく過程はスリリングそのもの。歴史好きなら必読の本書より、一部をご紹介します。

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京都のよきもの、悪しきもの

それにしても、関東と関西を往き来しなければ「味くらべ」はできないわけで、日帰りも可能な現代とは違い、汽車で半日近くかかった当時はそれができた人もごく限られていたはずだった。

(写真:iStock.com/maru_ATTIC)

ましてや電車や汽車のない江戸時代は、東海道の片道だけでも十日から二週間はかかったのだから、とてもふつうの生活者には「東西味くらべ」なぞできるわけもなかった。そんななかで江戸の文豪、曲亭馬琴は実際にそれをして公表した貴重な人物のひとりである。

江戸深川で旗本に仕える用人の子として誕生した彼は、早くに主家を出奔して戯作者の道を歩み始めた。そして『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』といった数々の有名作を発表する以前、三十代の半ばで上方に遊学している。東海道の往来も含めてその期間は約四カ月ほどだが、京・大坂滞在中には大変精力的に動きまわって現地の名士と交流し、あらゆる風物を観察して貪欲に上方文化の吸収に努めた。

時に享和二年(一八〇二)、『羇旅漫録』と題された紀行には十九世紀初頭の上方文化が髣髴と浮かびあがって、その中に料理の件もしっかりと書かれているのだ。

まず「京によきもの三ツ。女子。加茂川の水。寺社」と彼が持ちあげたのは今日でもわりあい知られているが、逆に「悪しきもの三ツ。人気の吝嗇。料理。舟便」と挙げているのはあまり紹介されていないようである。「人気の吝嗇」とは人びとの気持ちがケチであることだと訳せば、なるほど京都人としては耳に痛いふしもあるだろうか。

「舟便」が悪いのは、海がなく河川も少ない町として当然であろう。

「料理」を取り立てて「悪しきもの」とした大きな理由は、「たしなきもの」すなわち乏しいものとして「魚類」を挙げている点に見て取れそうだ。

「魚類は若狭より来る塩小鯛塩鮑。近江よりもてくる鯉鮒。大坂より来る魚類、夏は多く腐敗す」とある。もとより冷蔵庫はないし、天然氷を蓄えた氷室の存在も朝廷や将軍家といったごく一部の特権階級に限られた時代、生ものを貯蔵するのは石を置き並べて簀の子で囲って涼しくした納屋がせいぜいであろう。輸送にも牛馬を頼るしかなかったのだから、夏場の海魚は大坂から運ぶ間にたかったハエで見えなくなるほどだったに違いない。

ここまで違った京都と江戸

ちなみに私の曽祖父は神戸の出身で、明石に漁場を持ち、明治初期に瀬戸内海の鮮魚を京都に直送した唯一の料理店を大いに繁盛させたらしい。荷便が到着次第、夜中の二時三時でも開店し、そのつどお客がどっと押し寄せたという話だから、流通が進化した現代とは鮮魚のありがたみが全然違ったのである。

(写真:iStock.com/tawatchaiprakobkit)

川魚専門の料理屋を「生洲」と呼んでいたのは、文字通り生簀を使っていたからだ。川魚だけは京都でも江戸時代から新鮮なものが食べられた。「生洲」は高瀬川を前にした店が多かったようで、当時の有名店として馬琴は「柏屋」と「松源」を挙げている。そこでは鰻や鯉の洗いを売り物にしていて、鰻は若狭から来るものが多いが、「油強く、江戸前には劣れり」と書いたのは、調理法もすでに違っていたということかもしれない。

加茂川で釣れた鮎や鮠も出していたようだが、鮎は痩せて骨が硬く、岐阜長良川のを食べた口にはなかなか美味しいとはいえないと、馬琴の書き方はこの人らしく至って辛辣だ。

鯉こくが白味噌仕立てだったことにも彼は驚いている。「赤味噌は無し。白味噌といふもの塩気うすく甘つたるくして喰らふへからず。田楽へもこの白味噌をつけるゆゑ江戸人の口には食ひがたし」と書いたのは、ごもっともというべきか。

かくして「京にて味よきもの。麩。湯皮。芋。水菜。うどんのみ」と賞めた食品が、意外に現代と通じるのも面白い。

高瀬川前の川魚料理屋以外では丸山(円山)にある、いずれも店名に阿弥号を付けた料理茶屋が繁盛し、それらの店主はみな「法師にて肉食妻帯なり」とあるのがおかしい。

ほかに祇園二軒茶屋と南禅寺の豆腐店を挙げて、京の町では客が訪ねてくると必ず家では狭いからといって、それら四カ所の料理屋に案内する習わしだと馬琴は伝えた。もっとも、そのことは京の人びとが何も接待に贅を尽くしているのではなく、「家にて調理すれば、万事に費あり。その上ややもすれば器物を打ち破るの愁ひあり。故にかくのごとくす」と、これまた実に皮肉な見方を披露している。

関連書籍

松井今朝子『江戸文化の華 料亭・八百善を追う』

小説が生まれるまでには偶然と必然が複雑に絡み合っています。江戸の名料亭「八百善」を描いた小説『料理通異聞』は、茶道雑誌「なごみ」の連載企画がそのはじまりでした。二百数十年を経て、今も八百善に残る古文書、史料の数々を読み解きながら、一代で八百善の基礎を固めた四代目善四郎の人生に肉薄していく全12回を電子書籍化。作家みずから自作が生まれる背景をつぶさに公開した貴重な記録です。

松井今朝子『料理通異聞』

蔦屋重三郎の法要の膳を出すことになった福田屋善四郎。この日に賭けた善四郎の料理は 見事に座の賞賛を呼び、大田南畝、山東京伝ら時代の寵児と知己を得る。やがては料理の 道で天下が取れるとの南畝の言葉通り「八百善」の名は高まっていく。文政に入り善四郎 が著した『料理通』が大評判となる中、遂に店に将軍の御成を告げる使いがやってくる。

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江戸文化の華 料亭・八百善を追う

江戸の名料亭「八百善」とその主人、福田屋善四郎を描いた、直木賞作家・松井今朝子さんの『料理通異聞』。「料理を題材にした時代小説の最高傑作」とも評される本作の「舞台裏」を、著者みずから丹念につづったのが、『江戸文化の華 料亭・八百善を追う』です。今も残る古文書、史料の数々を読み解きながら、善四郎の生涯に肉薄していく過程はスリリングそのもの。歴史好きなら必読の本書より、一部をご紹介します。

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松井今朝子

1953年、京都生まれ。割烹「川上」の長女として祇園に育つ。早稲田大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了後、松竹株式会社入社。その後フリーとして歌舞伎の脚色・演出・評論を手がける。97年『東洲しゃらくさし』(幻冬舎文庫)で作家デビュー。同年『仲蔵狂乱』(講談社文庫)で第8回時代小説大賞を受賞。2007年『吉原手引草』(幻冬舎文庫)で第137回直木賞受賞。

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