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80's エイティーズ ある80年代の物語

2020.08.07 更新 ツイート

文庫解説 どこまでいってもポストモダン どっちを向いても銀色の海(浅羽通明) 橘玲

『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)がベストセラーになり話題沸騰中の橘玲さんが、2018年初頭に発表した追憶の私ノンフィクション『80’s エイティーズ』が小社から文庫化されました。

ここに描かれた1982年から1995年は、まさに出版業界が栄華を極めた時代でもあります。この幻冬舎文庫版の末尾で、かつて橘玲さんとは「編集者と書き手」という関係であり、かつ同い歳、同じ大学出身という浅羽通明さんが、回顧と問いかけをしながら解説してくださいました。 

*   *   *

「あの時代は何だったのですか/あのときめきは何だったのですか」
「みんな夢でありました/何もないけど/ただひたむきな/ぼくたちが立っていた」
 ――森田童子「みんな夢でありました」

本書は、橘玲の青春回想記だ。

私は光栄にも、橘氏と面識がある。

本書中、一箇所、私の名前が出てくるが、九〇年代、編集者時代の氏にお世話になった。この解説を依頼して下さったSさんほか幾人かの優秀な編集者に恵まれた私だが、頭の切れ味においては、橘玲ことUさんがとびぬけていた。

橘氏と最後に会ったのはもう十年以上まえだ。高田馬場の地下喫茶でそのとき聴いた話は、今も忘れられない(氏は『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(幻冬舎文庫)でもそれを記している)。

モナコのモンテカルロ。大きなイベントがあれば、世界の億万長者(ビリオネア)が、集まってくる。彼らが乗ってきた全長百フィート、最低でも十億円を下らぬ大型クルーザーで、港は埋めつくされる。

むろん皆、彼ら自慢の持ち船だ。願わくばいつかは、そんな大型クルーザーの、さらにはプライベート・ジェットとやらのオーナーになりたいものだと、うらやみ夢見る人は、この島国にはいまもかなりいるだろう。

「でもねえー」

橘氏は、語った。クルーザー一隻だけなら、どれもそれはそれは豪奢なのだけど、それが数十隻うじゃっとひしめいている光景は、なんとも寒々しくビンボー臭かったと。

これを、なまじな人、たとえば私のごとき貧乏人が吐いたのなら、「すっぱいブドウ」的なただのひがみ発言にしか聞こえないかもしれぬ。しかし氏の場合は、そうではない。

『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』以来、いま最も賢明な投資や資産防衛術を指南するベストセラーを連発。小説へ進出すれば、これまた大ヒット。著名な文学賞の候補にもなった。さらに、現代最大のタブーへ切りこむ「言ってはいけない」シリーズも空前のベストセラーとなり、新書大賞に輝いている。

そんな氏である。もしも、セミナー講師やコンサル業を貪欲に手掛け、知悉している国際的なマネーの動きに乗るような人だったら、大型クルーザーくらいすぐにでも手にできるだろう。

しかし氏は、モンテカルロの大型クルーザーの大群を、「ビンボー臭い」といい棄てた。彼は「金に飽きた」(映画「竜二」より)のである。つまり、「金」に象徴されるそれは膨大なものをもうとっくに追い越した地点を、いま歩いているということだ。

さて──、
橘玲本はどれもそうだが、本書もまた、いろいろな角度からの読み方ができる。それだけ内容が詰まっていて、読みどころがいっぱいなのだ。

まず、先述したようにこの書は青春記、橘玲ビギニングである。上京して早稲田に入学、卒業後は主に編集者として、三十代半ばまでに、出版業界の裏表を知り尽くす。

橘玲ファンならば、読みながら無数の発見があるだろう。

たとえば、「新橋の零細出版社」勤務時代、同僚にW・P・マッギヴァーンを教えられ、アメリカン・ハードボイルドの世界に親しむようになってゆくくだり。私たちは、世界経済を舞台として物語られる橘作品を彩る派手めなアクション、そしてあの抑えた文体のルーツを覗く想いがしないか。

件の零細出版社で上司だったという赤川さんとか佐藤さんとか村田社長とか、業界の底辺、世の周縁を泳ぎながら、犯罪すれすれの「成功」=一獲千金を夢見る、なんともいかがわしくて危なくて、ゆえに魅力的な怪紳士たち。

彼らを思いきりスケールアップして、エンタメ的肉づけでふくらませたなら、国際的陰謀の闇を棲みかとする橘エンタメ小説おなじみのあの悪党たちとなるのだろう。

あるいは、短命に終わった論壇誌の編集長時代、「差別表現」をめぐって「糾弾」された一部始終を回顧するくだり(貴重な実況記録である)。そこで開陳される橘氏の「差別」についての考察を読めば、氏が『言ってはいけない』とその続編を著した知的背景が、鮮やかなまでに浮上してこないだろうか。

だがしかし、こういった「メイキング・オブ・橘玲」的な興味深さは、本書のほんの枕にすぎない。

たとえばタイトルとなった80’s(正確には七〇年代末と九〇年代中葉までを含んだ「長い八〇年代」)東京の光景を追っても、本書は充分読み応えのある一冊ではないか。

高度成長期以来、大量生産された家電を各家庭に横並びに購入させるシステムではもはや立ち行かなくなった日本経済が、「少衆」「分衆」「見栄」といったマーケティング戦略で、「文化」を売ろうとやっきになっていたバブル前夜。大学生の圧倒的多数が、何よりもマスコミ就職に憧れたあの時代。広告業界とセゾン・グループとフジテレビの全盛期。日本人観光客が世界のリゾートをねり歩きブランドものを買い漁った。全国をコンビニとファミレスが埋めつくしていった。「おいしい生活」。「ラスト・クリスマス」。女子大生ブーム。秋元康。アダルト・ビデオ。

SNSやケータイこそまだなかったが、そこでは、「現在」が準備されつつあった。アーリー・タイム・イン・トーキョーだ。

平成期、援助交際等で話題となったコギャル文化を地ならししつつあった「ティーンズ雑誌」の編集者だった二十代の橘玲は、その眺望のまっただなかにいた。本書はその記録としても重要だ。

そんな彼がもらす、あの頃こそ、「東京がいちばん輝いてみえた」時代だったという感慨は、氏と同年生まれの私にはよくわかる。

もっとも、この時代を活写した回想記ならば、他になくもない。あの「ナイスですねぇ」の怪人物が暴れまくる本橋信宏の『裏本時代』とか、美少女アイドルが総登場する中森明夫の『青い秋』とか。しかし、それらのド派手さと比すると、橘氏の筆致はかなりにシブすぎる。

だがそれも当然で、本書『80’s』は元より、そうしたスキャンダリズムだけ、回顧的面白さだけで読ませる本ではないのだ。 では、どう読むべき本なのか。 私がもっとも興味深く読んだのは、橘氏が、学生時代、いわゆる「ポストモダン」(ポモと氏はかわいく略している)の洗礼を受けたというあたりだった。

「ぼくの書いたものを読むと、その頃の影響(ポモっぽい匂い)が残っていることに気づくひともいるだろう」と氏は記す。

『知的幸福の技術』(幻冬舎文庫)の「参考文献」冒頭にも、「私は一九八〇年前後の、ポストモダン哲学(フランス構造主義)の全盛期に大学生活を送ったが、自分の書いたものの中に、その当時の影響が色濃く残っているのを知って驚くことがある。同世代の人なら、たぶんその独特の匂いに気づくに違いない」と繰り返している。

なるほど、同世代の私はたしかに気がついた。

匂いという以上に、橘玲の論述にはポストモダンの考え方が骨がらみに組みこまれていることに。 たとえば、氏が、「差別」について考察したこんな文章。

「ぼくの政治的立場は共同体よりも個人の自由な選択を優先すべきだという『リベラル』だ」とする氏は、「本人の意思や努力ではどうしようもないもの(中略)を理由としたいかなる差別も許されないのは当然のことだ」と記す。

しかし氏は、「大前提として」と断りを入れつつこんな一文を付記せずにはいられないのだ。

「すべての個人が生まれながらにして普遍的な人権をもつという近代のパラダイム(枠組み)が、自由な社会の礎石になるとぼくは考えている」と。 凡百のいわゆる「リベラル」ならば、いわれなき差別が「当然」許されないのと同様、すべての人間が人権を有することだって「当然のことだ」といって済ませるところだ。

しかし氏は、「人権」が普遍的な真理でも何でもなく(本書は、何億もの信者を擁するイスラームにおいて、「人権」の居場所など原理的に認められないことへも言及している)、あるお約束のひとつにすぎないのがわかっているのである。

その上で、「個人の自由尊重」という氏の個人的な価値観から、そのお約束を採用するという。

ポストモダンの論理とは大方、こういうものだ。 氏は基本的にずっと、すなわち現在もなお、そうした哲学を根底に仕事をし人生を旅している。

高校時代、ドストエフスキーの世界を知り、文学部露文専攻へ進んだ橘玲。そこから「ポモに乗り換えた」と氏は振り返る。しかし、氏も書いている通り、ポストモダン思想の源流をなすひとりM・バフチンが、ドストエフスキーをその「ポリフォニー」理論の実作例としたように、両者は乗り換えるまでもなく、ひとつながりなのだ。

また、後のベストセラー・メーカーで無敵の論客、橘玲の武器庫というべき、進化心理学や行動遺伝学、複雑系やゲーム理論、ビッグデータ解析、脳機能学、神経生理学、認知科学などの先端的知見の数々。

哲学議論の定番だった「意識」がこれら科学で解明され、ポストモダン哲学も急速に価値を失っていったと氏は説く。そうだろうか? ポストモダンの哲学はもとより、それまでの近代の思想が奉っていた意識とか主体とかを疑い、解体する立場ではなかったか。

そう考えるかぎり、最近の科学論文やデータを駆使して、近代イデオロギーが「言ってはいけない」と私たちから隠蔽してきた領域、常識の舞台裏を暴いてくれる橘玲は、やはり最強のポストモダン論客なのである。

そういえば、八〇年代のポストモダン全盛期にも、栗本慎一郎などが、橘玲と比べるとずいぶん雑駁な立論ではあったが、意識や感情を脳内物質の作用であるとばっさりやって人気を博していた。

意識や主体までを解体し疑って止まぬポストモダン。先述のごとく、そこでは、人権など一お約束事以上ではない。平等も、平和も、ヒューマニティも、みんなそんなものでしかない。

あらゆるきれいごと、理想、正義、道徳、価値が、たまたまそういうこととされたお約束にすぎぬと見定められたとき、氏のいうように、自分こそが「『真理』を独占している」という「ものすごく気分がいい」優越感に浸れる。そうして、「自分がなにものでもない」みじめさを、一時であれ、忘れることができるのだ。

では、そんなポストモダン思想によって、正義や理想を否定したとき、後に何が残るのだろうか。

それは、ポストモダンの大先達とされるニーチェがいう「力」とか「生」とか「無意識の衝動」、そのバージョンである「欲望」とか「快楽」とかだった。

本書で回想される人生彷徨の終わり近くで、著者は海外投資やタックスヘイブンについて勉強を始めている。それは、売れっ子作家橘玲誕生への助走だった。

世界を流れる「金」の動きには、「実」がある。少なくとも「主体」や「人権」よりは。元ポストモダン青年はきっとそう見切ったのだろう。

しかし、橘氏は「金」を絶対的に信じてなどまったくない。氏の投資本、節税本、幸福本のいずれも、金が至上だとも金があなたを幸せにしてくれるとも説いていないのだ。幸せや充実のためには、金を稼いでおいたほうがたいがいよいと指摘しているだけだ。「金」の動きは「実」ではある。しかし、それが「真実」である保証はない。そう考えるだろう橘玲は、自称するとおりいまなおポストモダニズムの影響下で著述している。

以上を踏まえ、あらためて本書を読んでみよう。

橘氏の同世代が幾人も登場してくる。 才能あふれるライター/編集者でありながら、快楽を追求してドラッグへ深入りし、逮捕され、ついには鬱病でひきこもってゆく青山正明。

やはり仕事のできる編集者だったが、赤い月の下で踊りあかして人生をリセットしようとオーストラリアの無人砂漠へ赴き、家庭も仕事も失い流浪してゆくMくん。

そして、橘氏が大学に入学して最初に出来た友達、学ラン角刈り姿の大阪弁でドストエフスキーを語っていた篠原くん。 実際には何を読み読まなかったかにかかわらず、彼らは皆、ポストモダンの落とし子だと思われる。

いや、橘玲自身、下宿近くの喫茶店でバイトしていた学生時代、卒業後もウエイターでいいやと考えていた時点で、M・フーコーを読もうと読むまいと、すでにポストモダニストだったのだ。

本書に綴られているのは、そんなポストモダンの時代に洗礼され刻印をうけた世代の遍歴物語なのであり、彼らこそが、本書という「記憶のなかの物語」で、橘氏と共にセンターを務める主役キャラにほかならない(殊に「篠原くん」は、ユング心理学でいう、氏のシャドウのごときダークな魅力を発つ)。

本書のエピローグが、彼ら三人の終着駅点描となっているのがその何よりの証拠である。

著者橘氏自身はどうか。

新しいパートナーと出会い、独立。本を読み、執筆し、サッカーを見る。そして、毎年、数か月、世界を旅しているとエピローグにある。

プロローグでは、観光地の美しい自然や遺跡から、紛争や戦災の生々しい痕まで、氏が間近に見た光景が、スライド・ショーのように描写されてゆく。

なんと充実した堂々たる人生だろう。

感嘆する想いのなかでふと、「退屈」という言葉が浮かんだ。

「シェルタリング・スカイ」という映画がある。原作は、「失われた世代」に属するアメリカ作家P・ボウルズ。

人生のすべてに絶望し、サハラ砂漠の彼方へ本来の自分をみつける放浪を試み、過酷な破滅へ誘惑されるがごとく転落してゆく三人の男女。

行きどまりと知りつつ敢えて生きる彼らの生。それは、白人の男なら誰もが知悉した世界だが、日本の男は誰もわからないと淀川長治がいったという。

何ごとにも例外はある。時代も変わった。

淀川氏は間違いなくその例外だ。本書にも名が出てくる宮台真司氏(この人も橘氏や私と同じ年だ)は、淀川のこの言を引用していたが、自らも淀川氏に続く例外となるべく真面目な努力を続けているごとく見える。

本橋信宏、中森明夫らの視界には、もう例外の景色が入っている頃か。青山正明は、そのやや手前で倒れ、Mくんは引き返したのだ。篠原くんはどうだろう。 橘玲はどうか。 モンテカルロの港で、ビリオネアたち自慢の大型クルーザーにビンボー臭さを実感してしまった男。

「シェルタリング・スカイ」なんか、彼はとっくに通過してしまっているに違いあるまい。

ところで──、
私、浅羽通明も、彼らと同世代だ。

若き橘玲がフーコーを読んでいた頃、私は同じキャンパスで、内外の幻想文学、エリアーデや折口信夫、東洋思想あたりをかじっていた。フーリエとかアナーキズム文献とか偽史とかも漁った。

橘氏は、ポストモダン青年の愛読誌として、「現代思想」「エピステーメー」を挙げている。対するに私は、ラディカルな難解路線を採っていた頃の「宝島」と松岡正剛編集の「遊」あたりを追っかけていた。

そのあたりは、本書が触れている「精神世界系」と多少かぶる。だが私は、「インドのアシュラム」とか「チベット密教」には接近しなかった。橘氏が無縁だったという「ちがう自分になりたい」という願望と、私もまた遠かったからだろう。一方、氏がものすごくバカにしていた「世界同時革命」「世の中まちがっている」は、私にはきわめて親しい実感だった。

ただし、「世界」「世の中」というよりは「宇宙」(いまどきの用語では「セカイ」)すなわちいまある現実のすべてを転覆したかったのだけど。

だから、一九九五年のオウム真理教テロ事件は、橘氏とちがってきわめて了解できた。本書で、唯一私の名前が出てくるのが、氏が雑誌編集者としてオウム事件と対峙した箇所であるのも、ひとつの必然だろう。

元ポモ青年と元精神世界系革命「おたく」との稀有な協働が、あの年、成立したのだ。あの時の氏の上司は、本書にも明かされているように難解時代の「宝島」編集長・故石井慎二氏だった。これも決して、偶然ではあるまい。

この話題はまだ終わらないが、これ以上述べるのは、橘氏が「それについて語るには別に一冊の本が必要になる」と述べたもう一冊を読んでからにしたほうがよさそうだ。

私が本書でもっとも泣けた文章は、プロローグ最後の三行だった。寸描された地方進学校生のふるえる孤独な心。それは、四十年まえに谷山浩子が、「教室の窓から見る秋は/いつも不思議に光ってた/北向きの窓のすりガラス/ギリシャの海も見えた」(「窓」)と唄ったものであり、さらに遡るなら石川啄木が「空に吸われし十五の心」と詠ったあの抒情である。私にも痛いほど覚えがあって、涙がにじんだ(私の中学校の窓からも海が見えた)。

あれから四十年、橘玲は、あの窓の向こうへとびでて、常人の何倍も濃い人生を満喫し、海の彼方まで歩き通した。

私はというと、そもそもの出発点でもう世の中にも人生にも怯えて足が竦んでしまった。最初の一歩すら踏み出せなかったのだ。すなわち「娑婆の案内書」(©谷川雁)を破るべくもなく、結局、あの窓の外を何も知らない学生時代のまま老いて、ただ基礎疾患を進行させつつある。

だからいま、人生見るべきものは見、ポストモダンがもたらすニヒリズムと退屈すら通りこし、なおその先を旅している橘玲、もといUさんにあらためて問うてみたい。

いま、何が見えている?

星読ゼミナール主宰  

(浅羽の最近の活動についてはTwitterアカウント @hoshiyomizemiか、@Doranekodoをご参照下さい)

関連書籍

橘玲『80's エイティーズ ある80年代の物語』

大学卒業後、零細出版社に入ったぼくは一年で辞め小さな編プロを作った。請け負ったギャル雑誌は面白かったが多忙で家に帰れない。バブルが近づく。雑誌は休刊。ぼくは失職。だが東京は輝いていた。別の出版社の取材でオウムにかかわり、やがて地下鉄サリン。青春が終わった気がした――出版業界の熱気と時代の煌きらめきを活写した私ノンフィクション。

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出版業界の熱気と時代の煌めきを活写した私ノンフィクション。

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橘玲 作家

1959年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2002年、小説『マネーロンダリング』でデビュー。06年、小説『永遠の旅行者』が第十九回山本周五郎賞の候補作となる。他の著者に『タックスへイヴン』『亜玖夢博士のマインドサイエンス入門』『新版お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』『言ってはいけない』等がある。

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