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靖国神社

2022.08.07 更新 ツイート

[pick up]靖国神社はいつから「国威発揚のための軍事施設」になったのか? 島田裕巳

(この記事は、2020.08.09に公開されたものの再掲です)

靖国神社とはどんな施設なのか、誰がなんのためにつくったのか、なぜ首相の「公式参拝」が批判を浴びるのか、天皇はなぜ参拝しなくなったのか……知っておきたい基本が満載の『靖国神社』(島田裕巳著)から内容の一部をご紹介します。

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日露戦争時に「靖国信仰」はなかった

昭和の時代になると、日中戦争から太平洋戦争へと進んでいくなかで、兵士として軍隊に徴集され、「お国」のためにその命を投げ出すことに大きな意義が与えられ、「死んだら靖国で会おう」ということが若者たちのあいだでの合いことばになっていく。

(写真はイメージです:iStock.com/Rawpixel)

だがそうした意識は、大江志乃夫が指摘しているように、日露戦争の時点ではまだ生まれていなかった。大江は、自分が目を通した限りでは、「日露戦争段階の出征軍人中の初級将校や下士卒の手記で靖国神社に言及しているものは発見できなかった」と述べている(前掲『靖国神社』)。

実際、日露戦争の後、昭和10年代になるまで、日本が大規模な戦争に参加したのは第一次世界大戦のときに限られる。日本は、イギリスとのあいだに日英同盟を結んでいたので、それにもとづいて大正3年8月23日にドイツ帝国に宣戦布告し、ドイツが権益をもっていた中国の青島を攻撃した。その後も、インド洋と地中海に巡洋艦や駆逐艦を派遣し、連合国側の輸送船団の護衛などを行った。

そうしたことで、新たな戦没者が生まれ、それは大正4年から6回にわたって靖国神社に合祀された。その総数は、4850名に及んだものの、日清日露戦争の戦没者に比べれば、かなり少なかった

 

昭和の時代に入ると、昭和6(1931)年には満州事変が勃発し、やはり新たな戦没者が生まれたが、その数は、第一次世界大戦に参戦したときとさほど変わらなかった。靖国神社に祭神として祀られる戦没者が急増するのは、昭和12年に日中戦争が勃発し、戦闘が激化するようになってからである。

合祀は春と秋の例大祭のときに行われていたが、昭和13年10月の秋の例大祭以降、合祀される戦没者の数は毎回1万名を超え、昭和19年には2万名を超えた。そして、敗戦前の昭和20年4月の春の例大祭では4万名を超えた。ただし、1万人台で推移するのは、昭和10年代に入ってからのことである。それほどの大量合祀は、戦前の段階ではその時期に限られるのである。

軍国主義に「利用」された靖国神社

昭和10年代になると、靖国神社は、軍事体制のなかにしっかりと組み込まれ、国威発揚のためにその存在は積極的に活用されるようになっていた

(写真はイメージです:iStock.com/beibaoke)

たとえば、大日本雄弁会講談社(現在の講談社)が刊行していた『少年倶楽部』『少女倶楽部』などでは、「靖国神社の英霊に捧げる文」という懸賞作文の募集が行われている。これは陸軍省や海軍省などが後援していた。優等に選ばれた際には、作文を書いた本人が、靖国神社で開かれる献納奉告祭に参加して、社殿の、この時代には明確に英霊と呼ばれるようになった戦没者たちに向かってそれを読み上げた。

婦人雑誌も同様で、『主婦之友』誌は、昭和18年10月号で、子どもを軍隊に送り、その命を国に捧げさせた「軍国の母」の表彰を行ったりした(前掲『神国日本のトンデモ決戦生活』)。

しかも、昭和12年には、文部省が編纂した『国体の本義』が刊行され、天皇が現人神という形で神と等しい存在としてとらえられるようになる。それは、それ以前にはなかったことである。ちなみに、「神国」や元寇の際の「神風」ということばが教科書に載るのは昭和18年からである。(新田均『「現人神」「国家神道」という幻想─近代日本を歪めた俗説を糺す。』PHP研究所)

つまり、戦後に「国家神道」と呼ばれるようになる、現人神としての天皇を信仰の対象とし、その天皇によって統治された日本国を神聖視し、武力による日本国の領土拡張を聖戦として称揚する体制は、戦争が拡大し、激化するなかで生まれたものなのである。

 

そうした状況のなかで、靖国神社は、たんに戦没者の慰霊を行う施設であるにとどまらず、国のために、あるいは天皇のために立派に戦死を遂げ、英霊として祀られるという目的を実現させるための、軍国主義の性格が強い施設に変貌した。

それによって、名誉の戦死がもて囃され、「死んで靖国に祀られる」ことが戦地に出掛けていく若者の合いことばとなったわけである。これは、靖国神社がまた変容を遂げたことを意味する。それが、変容の第3段階であった。

靖国神社は、内戦の戦没者を祀る施設から、維新殉難者を合わせて祀ることで変容し、さらに、対外戦争の戦没者を祀ることで次なる変容を遂げた。そして、戦死した後に靖国神社に祀られることを目的とさせるような施設に変容し、日本の軍国主義体制を支える上で重要な役割を果たすこととなったのである。

 

関連書籍

島田裕巳『靖国神社』

戦後、解体された軍部の手を離れ、国家の管理から民間の一宗教法人としての道を歩んだ靖国神社。国内でさまざまな議論を沸騰させ、また国家間の対立まで生む、このかなり特殊な、心ざわつかせる神社は、そもそも日本人にとってどんな存在なのか。また議論の中心となる、いわゆるA級戦犯ほか祭神を「合祀する」とはどういうことか。さらに天皇はなぜ参拝できなくなったのか--。さまざまに変遷した一四五年の歴史をたどった上で靖国問題を整理し、そのこれからを見据えた画期的な書。

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靖国神社

毎年、この季節になると必ず取り沙汰されるのが、いわゆる「靖国参拝問題」だ。国家間の対立にまで発展する、根の深い問題であるが、そもそも靖国神社とはどんな施設なのか、誰がなんのためにつくったのか、なぜ首相の「公式参拝」が批判を浴びるのか、天皇はなぜ参拝しなくなったのか……きちんと説明できる人は少ないだろう。そこでオススメしたいのが、宗教学者、島田裕巳さんの『靖国神社』だ。日本人ならぜひ知っておきたい事実が満載の本書から、一部をご紹介しよう。

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島田裕巳 作家、宗教学者

1953年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著作に『日本の10大新宗教』『平成宗教20年史』『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『靖国神社』『八紘一宇』『もう親を捨てるしかない』『葬式格差』『二十二社』(すべて幻冬舎新書)、『世界はこのままイスラーム化するのか』(中田考氏との共著、幻冬舎新書)等がある。

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