1. Home
  2. 読書
  3. いのちの停車場
  4. 寄り添わず、「人の間」の情動を描写する。...

いのちの停車場

2020.06.02 公開 ポスト

書評・市原真さん(医師)

寄り添わず、「人の間」の情動を描写する。 あきらめが悪く、愚直な、愛すべき誠意。南杏子

発売即映画化が決定した、現役医師・南杏子さんの話題作『いのちの停車場』。”病理医ヤンデル”こと医師の市原真さんからの書評をお届けします。

*   *   *

この治療を施すと一定の確率で患者が良くなります。五年生存率は〇%です。飽きるほど目にしたフレーズたち。統計学と疫学に惑溺した私たち医療者は、数字に偏りがちなプロ意識を自戒する。「患者は数字ではない」。さあ、ナラティブを語ろう。アドバンス・ケア・プランニングを実施しよう。「向き合う」とか「寄り添う」という言葉を、これまで幾度となく書き記してきた。

本書の初校ゲラを読む前にそういうことを考えていた。意地の悪い先入観で恐縮だが、「どうせ本書もまた『寄り添う本』なんだろう」と思っていたからである。

日曜日。パジャマを脱ぎもせず、ソファであぐらに前傾姿勢の「縁側の将棋指しスタイル」で、私はさほど期待せずに、読み始めた。

ところがそこからまさかの一気読みであった。

脳に血が回ってしまい、すっかり手が冷たい。キータッチをしていても指先がおぼつかない。

寄り添うというのは独りよがりな言葉だ。一方的に距離を詰めるニュアンス。しかし本作には、この言葉が出てこない。医療モノとしては稀有であろう。代わりに用いられるのは、人と人との「間」に置かれる言葉ばかりである。

「そうやって忙しくして、夫の命が短いという現実を忘れようとしてるんじゃないかな」(p.202)

「もだえ苦しみ、自問自答し、泣きはらした末に気づくものだよ。」(p.261)

人間同士が互いの距離を測りながら暮らすとき、間にぼんやりと存在する感情のようなもの。手あかのついたフレーズをお許しいただくならば、「人間とは人の間と書く」。著者は、人間に浮き沈みする情動を、決して急がずに描写する。コピーライティングのような説明をしない。むりやり相手をうなずかせるような同意を求めない。一方的に向き合わない。自分勝手に寄り添わない。あきらめが悪く、愚直な、愛すべき誠意。

本作の中心舞台となる金沢市内には、犀川と浅野川という二つの河川が流れている。ザワザワと白い水しぶきを伴って流れる犀川と、ゆるやかで静謐な浅野川。主人公、白石咲和子は、還暦を越えた医療人生において立ち寄ってきたいくつもの情景を川に重ねる。救命救急センターの重役として長く勤務していた彼女の人生は、どちらかというと「犀川寄り」だったかもしれない。しかし医療の本丸は、「金沢城跡のあたり」にある。犀川と浅野川の間に挟まれた金沢の町並みを、咲和子たちが車や自転車で右往左往する姿が印象的だ。幾重にも重層化した医療界が、徒歩よりもうすこし急ぎ足のスピードで描かれる。

……本作をこのまま「なごみ系の医療モノ小説」として紹介して、皆さんを騙してもよかった。でも、ひとつの翼状針のことが気になっている。著者の筆力に導かれた読者にとってその針は決して抜けないものになるだろう。それでもなお、本作の問いに向き合い、咲和子に寄り添った先に、現代医療のナラティブが抱えた膿がにじみ出る。中空の針を伝わるようにして。

(「小説幻冬」2020年5月号より)

市原真 北海道大学医学部卒。札幌厚生病院病理─診断科医長。“病理医ヤンデル”として、SNSなどで発信している。著書に『どこからが病気なの?』など。

関連書籍

南杏子『いのちの停車場』

東京の救命救急センターで働いていた、六十二歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。命を送る現場は戸惑う事ばかりだが、老老介護、四肢麻痺のIT社長、小児癌の少女......様々な涙や喜びを通して在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、脳卒中後疼痛に苦しむ父親から積極的安楽死を強く望まれ......。

南杏子『いのちの十字路』

医師国家試験に合格した野呂は、金沢のまほろば診療所に戻ってきた。娘の手を借りず一人で人生を全うしたい老母。母の介護と仕事 の両立に苦しむ一人息子。妻の認知症を受け入れられない夫。体が不自由な母の世話をする中二女子。……それぞれの家庭の事情に寄 り添おうと奮闘する野呂は、実は、ヤングケアラーという辛い過去を封印していた。

南杏子『いのちの波止場』

吉永小百合さん主演映画『いのちの停車場』シリーズ最終話。主人公は映画で広瀬すずさんが演じた看護師・麻世。 これで安心して死ねるよ。 ありがとう、ありがとう。 余命わずかな人たちの役に立ちたい――“熱血看護師”麻世が「緩和ケア科」で学び、最後に受け取ったものは。 震災前の能登半島の美しい風景と共に、様々な旅立ちを綴る感動長編。 患者さんの苦痛を取り、嫌だと思うだろうことをしない。 それが最後にできる最高の仕事。 まほろば診療所の看護師・麻世は、能登半島の穴水にある病院の看護実習で「ターミナルケア」について学ぶ。激しい痛みがあるのに、どうしてもモルヒネを使いたくないという老婦人。認知症と癌を患い余命少ない父に無理やり胃ろうつけさせようする息子。そして麻世が研修の最後に涙と感謝と共に送るのは、恩師・仙川先生だった――。

{ この記事をシェアする }

いのちの停車場

バックナンバー

南杏子

1961年徳島県生まれ。日本女子大学卒。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入。卒業後、都内の大学病院老年内科などで勤務したのち、スイスへ転居。スイス医療福祉互助会顧問医などを勤める。帰国後、都内の高齢者中心の病院に内科医として勤務。

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP