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プラチナデータ

2020.04.19 更新 ツイート

#2 あなたはDNAのことが何もわかっていない【東野圭吾、電子書籍特別解禁】 東野圭吾

極秘任務を受け、警察庁特殊解析研究所を訪れた浅間警部補。そこでは遺伝子情報から犯人を特定する、国家的プロジェクトが進められていた。主任解析員・神楽龍平は、現場の刑事を驚愕させるほどの正確さで犯人を特定していく……。

これまで日本では一切電子化されていなかった、東野圭吾作品。このたび、二宮和也、豊川悦司出演で映画化もされた超話題作『プラチナデータ』が、初めて電子書籍になりました! 発売に先駆け、特別に100P相当の「プラチナ試し読み」を全7回にわたってお届けします。

「外に出たい若者たちよ、もうしばらくご辛抱を! たまには読書でもいかがですか。新しい世界が開けるかもしれません。保証はできませんが。ーー東野圭吾」

*   *   *

ドアの向こうは三十平米ほどの部屋だった。中央に会議机が置かれている。壁際には書棚、キャビネット、パソコンなどが並んでいる。それだけを見れば単なる事務室といった感じだが、部屋の隅に置かれたイーゼルが、雰囲気をがらりと変えていた。イーゼルにはキャンバスが載せられている。そこには人間の両手が描かれていた。かなりの精密画だ。手は何かを包み込むような形をとっている。

(写真:iStock.com/gan chaonan)

「さっき、彼の邪魔をしちゃってね」志賀がいった。「叱られたよ」

「そのようですね。メモが残っていました」男はにやりと笑った後、浅間に名刺を差し出した。「自分はこういう者です」

「神楽龍平さん……主任解析員ですか」名刺を受け取り、浅間は周囲を見回した。

「何か?」

「いや、『彼』というのは?」

神楽は志賀を見て意味ありげに唇の端を曲げた後、浅間に目を戻した。

「出ていきました。気になさらないで結構です」

「あなたは知らなくてもいいことだといったでしょ」志賀が横からいった。

「別に知りたいわけじゃないんですがね、どうにも不思議なんですよ。だってほらこの部屋、ほかには出入口がないでしょ。その人はどこから出ていったのかと思いましてね」

すると神楽は銀色の指輪をはめた指で鼻の下を擦った。

「浅間さんでしたっけ。ここへ来るまでの間に、いろいろと厄介なコースを辿ったでしょ。この部屋に秘密の抜け穴ぐらいはあったって不思議ではないと思いませんか」

「抜け穴ねえ」

浅間は神楽の端整な顔を殴りたくなった。小馬鹿にされているような気がした。

「雑談はこれぐらいにして、仕事の話に入りませんか」神楽は会議机の椅子を引き、腰を下ろした。「分析物を持ってこられたとか」

「例のものを彼に渡してください」志賀が浅間にいった。

浅間はプラスチック容器を神楽のほうに差し出した。

拝見、といって神楽はそれを手に取った。容器を開けると、中からビニール袋が出てきた。毛髪と二本の陰毛が入っている。

「いいでしょう。たしかにお預かりしました」

神楽はくるりと椅子を回転させ、後方のキャビネットの引き出しを開けた。そこから一枚の書類を取り出し、ペンで何かを書いてから浅間の前に出した。受領証だった。神楽のサインが入っている。

「解析にはどれぐらいかかるかな」志賀が神楽に訊いた。

「一日あれば十分だと思いますが、余裕をみて二日ということにしておきましょうか」

志賀は頷いて浅間のほうを見た。

「二日後、那須課長に連絡をいれます。そのようにお伝えください」

「ちょっと待ってくれますか。子供の使いじゃないんだ。髪の毛と陰毛をどうするのか、教えてもらわないと帰るわけにはいかない。きちんと説明してもらえませんかね」浅間は志賀と神楽の顔を交互に睨んだ。

神楽は志賀に一任するとでもいうように俯いた。

志賀が、ふんと鼻を鳴らした。

「まあいいでしょう。いずれわかることだ。お教えしますよ。我々はこれから、この毛のDNAを調べるんです。調べて解析する。そういうことです」

「DNA? DNA鑑定ってやつですか」

「その呼び名のほうが受け止めやすいなら、それでも結構です」

浅間はせせら笑った。

「こんな大層な手順を踏むから、一体どんなすごいことをするのかと思っていたら、ただのDNA鑑定ですか。そんなもの、小学生だって知っている。――何がおかしいんだ」下を向いてにやにや笑っている神楽を見て、浅間はいった。

「浅間警部補、あなたはDNAのことが何もわかっていない」志賀がいった。「DNAは情報の宝庫なんです」

「そんなことは知っている」

「いいや、知らない。あなたの知っているDNA鑑定というのは、髪の毛なり血液なりが、ある人物のものであるかどうかを確認するだけのものだ。しかし考えてみてください。今回起きた事件の容疑者の名前が一人でも挙がっているんですか? まだそんな人物は見つかっていないでしょう? それでどうやってDNA鑑定をするというんですか。誰のDNAと照合するというんですか」

志賀の言葉に浅間は当惑した。たしかに彼のいう通りだった。現段階ではDNA鑑定を行う対象がいないのだ。

「じゃあ、あんたたちは何をするっていうんだ」

「だから解析だっていってるじゃないか」神楽が面倒臭そうにいう。

「神楽君」志賀は窘めるように首を振った後、浅間に笑いかけてきた。「いろいろなことです。我々はこの髪の毛一本から、様々なことを見つけだすことができます」

「たとえば?」

「それは二日後にわかります」

「捜査会議で会いましょう。浅間警部補」神楽が上目遣いに睨んできた。

浅間は何かいい返そうと思ったが、我慢して唇を嚙んだ。

「楽しみにしているよ」そういって立ち上がった。

2

渋谷での事件発生から丸二日が経過した。捜査の進捗状況は思わしくなかった。被害者の身元は判明していたが、手がかりらしきものは何ひとつ摑めないのだ。被害者は大学生で、渋谷を中心に遊び回っていたということはわかったが、交友関係を洗っても犯人らしき人物は見当たらなかった。怪しげな人間もいないことはないが、いずれにもアリバイがあった。

被害者とホテルに入ったのは行きずりの男――浅間の読みは当たっているようだった。ホテルには防犯カメラがついていたが、作動していなかった。故障したまま放置されていたのだ。

目撃情報を求めて浅間が聞き込みを続けている途中、ポケットの電話が鳴った。係長の木場からだった。警視庁で捜査会議が行われるから戻れ、というのだった。

「警視庁? 渋谷署じゃないんですか」浅間は訊いた。今回の事件の捜査本部は渋谷署に置かれている。

「特例だ。いわれた通りにしろ。遅れるなよ」そういって木場は電話を切った。

浅間は電話をポケットに戻しながら神楽と志賀の顔を思い浮かべた。

(写真:iStock.com/Evening_T)

警視庁に戻り、指示された部屋に入ってみて浅間は驚いた。那須のほかに理事官や管理官がいたのは予想の範囲内だが、刑事部長の姿まである。ほかにも見たことのない顔が並んでいた。渋谷署の署長や刑事課長らも同席しているが、何となく居心地が悪そうだ。一番手前の席で小さくなっているのは木場だった。

浅間は一礼してから木場の隣に座った。それぞれの席には液晶モニターが一台ずつ用意されていた。

「俺たち以外の現場担当者は?」小声で木場に訊いた。

「今回は我々だけだ。だから、しっかり聞いておけよ」

「聞く? 一体何が始まるんです」

「すぐにわかる」

木場がいった直後、ドアの開く音がした。浅間が振り返ると、志賀と神楽が入ってくるところだった。神楽はノートパソコンを抱えている。一瞬浅間と目が合ったが、彼が表情を変えることはなかった。

二人は空いていた席に並んで腰掛けた。志賀が口を開いた。

「警察庁特殊解析研究所の志賀です。先日のラブホテル女子大生殺害事件に関しまして、現場から採取された毛髪および体毛の解析結果が出ましたので、報告させていただきます」

隣で神楽がパソコンを操作した。次の瞬間、浅間たちの前にある液晶画面に文面が表示された。その内容を一瞥し、浅間は目を見開いた。他の人間からも、おう、という驚きの声があがった。

神楽が顔を上げた。

「主任解析員の神楽です。解析結果は、現在表示されている資料のようになっております。一応、読み上げます」彼は一呼吸置いてから続けた。「性別、男性。年齢、四十歳プラスマイナス十歳。血液型、O型。Rhプラス。身長は百七十から百八十。太りやすい体質。なで肩。手の大きさ、二十センチ前後。足のサイズ、二十六センチ以上。肌は黒っぽい。顔の特徴としては、眉、体毛は濃い。鼻は幅広で低い。口は大きい。唇は薄め。歯茎は健常だが虫歯になりやすい。顎は張っている。声は低い。喉仏が平均よりも出ている。髪は軟毛でやや茶色。若干の癖毛あり。目の色は薄めで茶色寄り。近視になっている可能性が高い。先天的な病気、なし――ほかにも細かい点で判明していることがあります。次のページに記しました」

浅間は二ページ目の資料を画面に表示させた。『爪、小さい。足の中指が親指よりも前に出ている可能性あり。』などとある。

「なんだこれは」浅間は思わず声をあげていた。

「プロファイリングです」神楽が解説した。「DNAプロファイリングと呼ばれるもので、アメリカでは何年も前から実施されています。あちらの国は人種が混在しているから、DNAで人種が特定できるだけでも捜査に非常に役立つんです」

「話には聞いていたが、ここまでわかるとはなあ」刑事部長が感嘆の声を漏らした。「これ、本当に確かなことなのかね」

「もちろんです」志賀が答えた。「人間の身体的特徴はDNAによって決まります。誰もそれには逆らえません」

「近視というのは身体的特徴なのかな」那須が訊いた。

「なりやすい体質というのがあります」神楽がいった。「たとえば眼球の形状です。歪みが大きいと目のレンズの調整が難しくなります。子供の頃は調整できても、いずれ困難になり、やがて遠視や近視になります」

なるほどねえ、と那須は感心したように唸った。

ほかの人間からも次々に質問が発せられる。志賀と神楽はそれらに対して淀みなく答える。そのやりとりを聞いているうちに、浅間はようやく事情が呑み込めてきた。

これは新しい捜査方法の発表会なのだ。警察庁特殊解析研究所にどんなことができるか、それによって捜査がどのように変わるかを、警察上層部の人間たちが見極めようということらしい。

「このプロファイリング結果に基づき、犯人の容貌を画像化してみました。いわばDNAモンタージュです。その画像がこれです」

神楽がパソコンのキーを叩くと、それぞれのモニターに四角い顔の男が映った。おう、という声があがった。先程の話にあったように、眉が太く、鼻も口も横に広がっている感じだ。眼鏡をかけ、髪は短く刈られている。

「髪型については、髪質以外に年齢や最近の流行、顔に合っているかどうかなどを考慮して決めました。もちろん、ほかの髪型にすることも可能です」志賀が補足した。

「すごいなあ。まるで写真じゃないか。――なあ」刑事部長が隣の那須に同意を求めた。

そうですね、と那須も頷いている。

浅間は黙っていられなくなった。

「写真の出来はいいけど、そこまでイメージを固定化するのはどうかな」

彼の発言に全員が注目した。木場は肘でつついてきた。

神楽も敵対的な視線を向けてきた。「何か問題でも?」

「人間ってやつは、写真のようなはっきりしたものを見せられると、それ以外の顔には反応しにくくなるんですよ。モンタージュ写真をやめて、似顔絵を重視するようになったのはそのせいです。ある程度は曖昧にしておいたほうが効果がある。そんなことは常識だ」

浅間がいうと、神楽は苦笑した。

「人の記憶に基づいてパーツを組み合わせただけのモンタージュ写真とDNAプロファイリングを一緒にしてもらっちゃ困りますね。ここに映っているのは犯人の顔写真そのものなんです。容疑者の写真が手に入ったら、おたくらだって指名手配に使うでしょ?」

浅間は首を振った。「信じられないな」

「君のいっていることもわからんではない」刑事部長が浅間のほうを向いていった。「だから現時点では、この映像を公開する予定はない。しかし正確なものだとすれば、我々にとって極めて強力な武器になる」

「正確なら……ね」

刑事部長は口を曲げて笑った。

「まずは君たちがさっさと犯人を逮捕してくれればいい。そうすればこの映像が役に立つかどうかも、自ずと判明するだろう」

「そうおっしゃいますが、この程度の材料だけでホシをあげてこいってのは、土台無理な話ですよ」浅間は液晶モニターを顎でしゃくった。

「あなた、気が短いですね」神楽がいった。「こっちの話はまだ終わってないんですけど」

「ほかにもあるのか?」

「メインの話はここからです」志賀が全員を見回していった。「我々の研究成果を知っていただきましょう。――神楽君、例の情報を」

神楽がキーを叩いた。今度はモニターに文字が表示された。住所と氏名だ。

「東京都江東区在住の山下郁恵――この女性の三親等以内に犯人はいます。尚、これは参考データですが、犯人の性格は元来小心で臆病。防衛本能が強く、忍耐力が弱い。つまり逆上しやすいということです。反社会レベルは7段階の4」

神楽の声が響き、しばらくの間、全員が沈黙した。

関連書籍

東野圭吾『プラチナデータ』

国民の遺伝子情報から犯人を特定するDNA捜査システム。警察庁特殊解析研究所・神楽龍平が操るこのシステムは、現場の 刑事を驚愕させるほどの正確さを持って次々と犯人を特定していく。検挙率が飛躍的に上がる中、新たな殺人事件が発生。殺さ れたのは、そのシステム開発者である天才数学者・蓼科早樹とその兄・耕作で、神楽の友人でもあった。彼らは、なぜ殺されたの か?現場に残された毛髪を解析した神楽は、特定された犯人データに打ちのめされることになる。犯人の名は、『神楽龍平』――。 追う者から追われる者へ。事件の鍵を握るのは『プラチナデータ』という謎の言葉。そこに隠された陰謀とは。果たして神楽は警察 の包囲網をかわし、真相に辿り着けるのか。

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国民の遺伝子情報から犯人を特定するDNA捜査システム。その開発者が殺害された。神楽龍平はシステムを使って犯人を突き止めようとするが、コンピュータが示したのは何と彼の名前だった。革命的システムの裏に隠された陰謀とは……。これまで紙でしか読めなかった、東野圭吾さんの作品。このたび本作『プラチナデータ』が、初めて電子書籍になりました! それを記念して、特別に「ためし読み」を7回にわたってお届けします。

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東野圭吾

1958年、大阪府生まれ。大阪府立大学電気工学科卒業後、生産技術エンジニアとして会社勤めの傍ら、ミステリーを執筆。1985年『放課後』(講談社)で第31回江戸川乱歩賞を受賞、専業作家に。1999年『秘密』(文藝春秋)で第52回日本推理作家協会賞、2006年『容疑者χの献身』(文藝春秋)で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞、2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川書店)で第7回中央公論文芸賞、2013年『夢幻花』(PHP研究所)で第26回柴田錬三郎賞、2014年『祈りの幕が下りる時』(講談社)で第48回吉川英治文学賞、さらに国内外の出版文化への貢献を評価され第1回野間出版文化賞を受賞。

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