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生命はなぜ生まれたのか

2020.03.29 公開 ツイート

潜水調査船「しんかい6500」搭乗前に必ずやることとは? 高井研

生物はいつ、どこで、どのように誕生したのか? 自分の祖先をずっとさかのぼっていくと、一体どこに行き着くのか? そんな想像をしたことのある人は、きっと多いことでしょう。地球微生物学者、高井研さんの『生命はなぜ生まれたのか』は、生物学、そして地質学の両面から「生命の起源」に迫った、スリルあふれるサイエンス本。本書の中から一部をご紹介します。

*   *   *

笑い事ではない「お腹の調子」

私は今回、海況不良のため予定していた潜航調査が次々にキャンセルされていったレグ1の最終潜航の観察者に選ばれた。

(写真:iStock.com/inusuke)

この潜航は、その前日に曳航カメラという深海底まで吊り降ろしたカメラで見つけた中央インド洋海嶺の4番目の深海熱水活動域(1、3、4番はすべて日本人が見つけた)を、初めて人間が直接観察・試料採取するラストチャンスであった。

しかも潜航できるかできないかは五分五分、潜航したとしてもいつ浮上命令がくるかもしれない絶体絶命の潜航であった。私の潜航調査経験を通じて、初めて「失敗は許されない」と感じた潜航であったし、なによりも「もしかするとアレが見つかるかも、いやそれどころかアレどころじゃない奴がいるかも」という興奮で心臓がバクバクしたのが忘れられない。

潜航当日、いつもより早くに目が覚める。すでにちょっと緊張モードである。朝ご飯も、いつもより少なめ、飲み物も若干セーブ気味。なぜって、8時間程度、直径2メートルの球空間に閉じ込められる潜航では、お腹の調子が極めて重大であるからだ。

だから前日からの「ご利用は計画的に」は重要なのだ。女性研究者は必ずトイレ小も我慢するし、男性研究者の多くもそうらしい。しかし、トイレ小は最悪簡易トイレパックがあるから、よしとしよう。

問題は「大」である。一応「しんかい6500」の船内には、それなりの備えはあるらしい。しかし、いくら備えはあるからといって、酸素-二酸化炭素交換システムがあるからといって、音、臭いはごまかせない。

行為自体が末代までの恥である。私が武士なら「しんかい6500」が母船に回収されるやいなやその場で「介錯をお願いするでござる」って言いたくなるだろう。とにかく潜航者は、搭乗前はその恐怖と闘っているのである。

「しんかい6500」には、海況がよければ朝9時前に最後の打ち合わせをして、最後のトイレに行ってから、搭乗する

いざ深い海の世界へ!

冷静に、冷静に。やることをちゃんと復習しないと。

(写真:iStock.com/liza5450)

そう思いながら、「しんかい6500」に乗り込む。先ほど直径2メートルと書いたが、実際は大量の機器類が装備されているからスペースの直径は1.5メートル程度である。狭い。お決まりの左側の収まりの悪い位置に半寝状態で静かにアメをなめる(アメをなめたり、ガムを噛むとわずかに船酔いしにくくなる。その生理機構は調べたことはないが……)。

その間、正副パイロットの間ではテンポのいい潜航前最終機器チェックが行われる。これを聞いているのは大好きである。これぞ「プロフェッショナル 仕事の流儀」という感じである。

後部操舵室や総合司令室との無線のやり取りもかっこいい。「しんかい6500」がクレーンで吊り下げられる。私はだまーって目を閉じている。何を考えているかって? 何も考えていない。ただ無心である。試合前のプロスポーツ選手と同じである。

ただこれから始まる研究のための潜航を静かに待っているのである。「しんかい6500」が海面に降ろされて海水に浸かると大きく揺れ始める。あとは船と「しんかい6500」を繋いでいる吊り下げ索をスイマー達に外してもらうだけである。

「よこすか、しんかい。これより潜航を開始する」

パイロットの無線連絡が終わるとバラストタンクが開いて、タンクに海水が入ってくる。海水が入ると浮力がなくなり、「しんかい6500」はゆっくり青い海に飲み込まれてゆく。最初だけ、落下の感覚を覚える。しかし急に「しんかい6500」は静かになり、あとは静寂な深海への沈降だけである。

最初のころは「しんかい6500」が潜っていく間、怖かったのを覚えている。「今、ピシッという音がしてチタン殻が割れたら一瞬でペシャンコになって死ぬな」とか「しんかい6500なんだから今日潜るのは2000メートルだしかなり安全率は高いよな」とか思いながら、深度計の数字が大きくなっていくのを「早く海底に到着しろ」と思って眺めていた。

海底に着いてしまえば、その景色を眺めているうちに、さっきまでの怖さはもうどこかに行ってしまうのである。

関連書籍

高井研『生命はなぜ生まれたのか』

オゾン層もなく、宇宙から有害光線が直接地表に降り注ぐ、40億年前の原始地球。過酷な環境のなか、深海には、地殻を突き破ったマントルと海水が化学反応を起こし、400度の熱水が噴き出すエネルギーの坩堝があった。その「深海熱水孔」で生まれた地球最初の“生き続けることのできる”生命が、「メタン菌」である。光合成もできない暗黒の世界で、メタン菌はいかにして生態系を築き、現在の我々に続く進化の「共通祖先」となりえたのか。その真理に世界で最も近づいている著者が、生物学、地質学の両面から、生命の起源に迫る、画期的な科学読本。

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生命はなぜ生まれたのか

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高井研

1969年、京都府生まれ。地球生物学者や宇宙生物学者と名乗ることが多い。専門は、深海や地殻内といった地球の極限環境に生息する微生物や生物の生理・生態や、その生態系の成り立ちと仕組みの解明。97年、京都大学大学院農学研究科水産学専攻博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、科学技術振興事業団科学技術特別研究員などを経て、2009年より、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)海洋・極限環境生物圏領域深海・地殻内生命圏研究プログラムプログラムディレクター及び、プレカンブリアンエコシステムラボラトリーユニットリーダー。

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