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考えるとはどういうことか

2019.02.01 更新 ツイート

第3回

「考えること」はなぜ大切か? その本当の理由【リバイバル】梶谷真司

iStock/silverjohn

「この本を読んで『ふーん』で済まされては、私が嫌だ」と、哲学者の野矢茂樹さんが朝日新聞書評で絶賛してくださった、梶谷真司さんの『考えるとはどういうことか――0歳から100歳までの哲学入門』。生まれてから死ぬまで、いつでも誰にでも哲学が必要だと、梶谷さん。それは哲学によってしか手に入れられないものがあるからであり、それは、「考えるとはどういうことか」という問いへの、答えでもあります――。「はじめに」からお届けします。

(記事の最後に、代官山蔦屋書店での「哲学対話」イベントのご案内(2/15 19時~があります)

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学校でも会社でも「考える方法」は教えてくれない

「知識」ではない「体験」としての哲学とは、「考えること」そのものを指す。より厳密に言えば、第1章で詳しく述べるように、「問い、考え、語ること」である。そして一人で考える時、私たちは自分に問いかけては答え、それを繰り返す。つまり思考とは自分自身との「対話」なのだ。そして対話であれば、語る相手、つまり「聞く」人がいる。一人で考えている時、この聞き手は自分自身であるが、それは潜在的には他者である。

したがって「考えること」は、他の人との対話、「共に問い、考え、語り、聞くこと」であると言える。哲学とは、このようにごくありふれた、きわめて人間的な営みである。それは簡潔に「共に生きること」と言い換えてもいいだろう。互いに「問い、考え、語り、聞く」こと――そのような共に考える営みとしての哲学は、人が生まれた直後から始まり、まさに人と人が共に生きていくことそのものなのである。

なあんだ、そんな当たり前のことか。だったら、わざわざ「哲学」なんて呼んで、もったいぶることなんてないじゃないか、と思う人もいるだろう。しかし、生きるうえで必要なことなら何についてでも言えることだが、何もしなくてもただ自然に任せておけばできるようになるわけではない。「考えること」も、それなりの環境の中で身につけ、いろんな経験を経て上達していく。

言葉だって、まずは親や周囲の人とのやり取りを通して学ぶ。人前で堂々と話すとか、面白い話をするとか、分かりやすく話すとか、誰でもはじめからできるわけではなく、それなりの訓練や経験が必要だ。そういう機会に恵まれなければ、大人になっても大してできなかったりする。「考えること」も同じである。

「哲学」というと、普段の生活から切り離された、多くの人には縁遠いものに思われるが、「考えること」そのものとしての哲学は、ごく当たり前の身近なところから始まっている。

ところが、この「考えること」は、一見当たり前のようでいて、実はそうではない。日常生活の中では、ほとんどできないと言っていいほど難しい。むしろそれができないこと、「考えないこと」が当たり前となっていて、そうだとは自覚されていないのだ。

いやいや、「考える」なんていうことは、誰しもいろんなところで学び、身につけているのではないか。家庭で、学校で、職場で、私たちは「よく考えなさい!」と言われる。私たちはたえず考えているのではないか。

しかしいざ「考えて!」と言われても、何をどうやって考えればいいのか。しばしば「頭を使って考えろ!」と言われるが、頭をどうやって使えば考えられるのか、どのように考えたらいいのか、その方法をいったい誰がいつ、教えてくれるのか。

ところが驚くべきことに、私たちが「考える」ということを学ぶ機会は、人生においてほとんどない。家庭でも、学校でも、会社でも、「考える」という、人間にとってきわめて大切で、誰にでも必要なことを、私たちは学ばないのである。

何事であれ、学ぶためには、「やり方」を知らなければいけない。さらに、「習うより慣れろ」と言われるように、とにかくたくさんやってみなければいけない。だが「考える」ことに関しては、いずれのチャンスも私たちには与えられていない。

学校のことを思い出してほしい。私たちが教わるのは、個々の場面で必要なルールを身につけ、その中で決められたことに適切な答えを出すことだけである。いろいろやってみるというより、決まったことを繰り返す。それは「考えること」とは違う。少なくともここで言う「問い、考え、語り、聞く」という、対話的な意味での「考えること」ではない。

そこに自己との対話はなく、まして他者との対話など望むべくもない。ただ出された指示に従うこと、教えられたことを教えられた通りに行うことが重視される。それに習熟することで、「よく考えなさい!」と言われた時に期待されている「正解」が出せるのだ。

それはむしろ「考えること」とは反対のこと、「考えないようにすること」ですらある。「考えること」が「共に考えること」であり、「共に生きること」だとすれば、どう考えればいいかを学ばず、ただ考えないようにさせられているということは、この世で生きるうえで必要な、何かとても大切なものを犠牲にしているか、失っていることにならないだろうか。

梶谷真司『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』

「考えることは大事」と言われるが、「考える方法」は誰も教えてくれない。ひとり頭の中だけでモヤモヤしていてもダメ。人と自由に問い、語り合うことで、考えは広く深くなる。その積み重ねが、息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖から、あなたを解放する――対話を通して哲学的思考を体験する試みとしていま注目の「哲学対話」。その実践から分かった、難しい知識の羅列ではない、考えることそのものとしての哲学とは?生きているかぎり、いつでも誰にでも必要な、まったく新しい哲学の誕生。

 

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考えるとはどういうことか

対話を通して哲学的思考を体験する試みとしていま注目の「哲学対話」。その実践からわかった、考えることの本質、生きているかぎり、いつでも誰にでも必要な哲学とは?

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梶谷真司

1966年、名古屋市生まれ。89年、京都大学文学部哲学科卒業。94年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。97年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、京都大学博士(人間・環境学)。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『シュミッツ現象学の根本問題』(京都大学学術出版会)がある。

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