1. Home
  2. 生き方
  3. 本屋の時間
  4. 散文的な人生

漫画家の鳥山明さんが亡くなった。わたしが中学生になったころ『ドラゴンボール』の連載がはじまり、わが家はずっと、父親が子どものために毎週『週刊少年ジャンプ』を持って帰ってくる家だったから、そのあらすじや登場人物はよく知っている。しかしそれについて誰かと語り合ったり、コミックスを全巻揃えたりということはなかったから、ハマったというほどではなかったのだろう(ほかの作品と比べ特に線がきれいで、洗練されているとは思っていた)。

しかし考えてみれば、当時人気漫画が目白押しだったジャンプの中でも、これが特別好きだったという漫画はなくて、どれも内容なら知っているという程度。いまならわかるがわたしは漫画というものが少し苦手で、特にジャンプが得意としていた長大なストーリー作品に、自分を預けることができなかったのだと思う。

 

もちろん当時、『ドラゴンボール』にハマっていた同級生はたくさんいた。このあたりが人生の分かれ目という気もしていて、そうした流行りをどう受け取ったかで、その後の人生の過ごしかたが変わってくるようにも思う(一旦社会に出てしまえば、人はモザイク模様のようにバラバラに散ってしまうが、それにハマった人ハマらなかった人でふたたび集めてみると、面白い違いが見えてくるのではないか)。

 

数年前、主人公がただ歩くだけ、歩くにつれて風景が少しずつ変わっていくだけという、谷口ジローの『歩くひと』を読み、これはわたしのための漫画だと思った。だがそれは漫画として読んでいたのではなく、描かれた風景のなかに自分を浸す、長いフィルムのようなものとして受け取っていたのだと思う。思えばこれまで心に残っている映画や小説についても同じで、重要なのはそれに触れているとき、世界に触れたと思えるかどうかということ。ストーリーは覚えていなくても、喚起力の強いワンシーン――例えば映画『ユリシーズの瞳』で、重たい空の下、ドナウ川をゆったりと流れていく巨大なレーニン像や、『秋刀魚の味』で唐突に挟み込まれる軍艦マーチ――だけをいつまでも憶えているのだ。

わたしはおそらく、世界をストーリーのある物語として読んでいるのではなく、そのときそこにある一片の詩のようにして見ているのだと思う。だから人からはよく淡々としているねと言われるが、この人とは少し合わないなと感じるときなどは、掘り下げていけばそのあたりに根深い違いがあるのだろう。

そしてそうした自分がつくる店も、“思いにあふれた店”ではない。それはできる限り“思い”を排したもの、その時々で本の重なりがつくる一つの世界として、より完成度が高いものを目指している。そこにわたしの物語はなくても、棚の中に一つの世界が現れていればそれで正解、それがうまくいっていればいいなと思うのだ。

 

しかし、そうした散文的な人生を生きていれば、孤独ということは避けられない。街を歩いていて、ふと自分だけがその中にいないと感じるときがあるが、そのようなわたしは、世界を見ることに慣れすぎて、その扉を開くことを忘れてしまっているのかもしれない。

わたしはこのまま世界を見ているだけなのか?

それって生きていると言えるのだろうか?

少し疲れたときなどには、そうした気持ちに取りさらわれることもある。

人間とはわがままなもので、たまにはわたしも物語が恋しくなるのだった。そしてそのために扉は開かれなければならず、そこにいる他者の存在があってはじめて、わたしはわたしの物語を生きることができるのかもしれない。

もう遅すぎるかもしれないが、そうした出入りがうまくできる人になりたい。

今回のおすすめ本

口の立つやつが勝つってことでいいのか』頭木弘樹 青土社

語られなかった思い、言い淀みにこそその人の真実がある。弱い人への視線があたたかな、著者はじめてのエッセイ。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

{ この記事をシェアする }

本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP