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本屋の時間

2023.09.15 公開 ツイート

第156回

誇りは残っていた 辻山良雄

わたしにとって池袋とは、用事がなければ足を踏み入れたくない、東京で唯一の街である。暑く、長かった八月の終わり、そんな池袋をニュースで見かける機会が多かった。特に東口に、周りを威圧する壁のように建っている、青い看板を掲げたあの細長い建物。S百貨店――。

 

前職の最後では、六年間をその場所で過ごした。仕事では楽しい記憶も多く、興味を惹かれた本ではイベントを積極的に行い、たくさんの方と知り合うこともできたが、その時期はいま思い出しても慢性的に疲れていた。

何せ人の数が多いので、それだけトラブルの絶えない場所だったのだ。万引きや痴漢、知らない人同士のいざこざ、そうでなければ頻繁に起こるクレームなど、毎日のようにそれらの対応に追われた。これはわたしのミスだったが、大勢の方から何時間にも渡って詰められたのもS百貨店の前、明治通りの路上だったし、突然目の前でばたりと倒れた人の救護にあたり、消防総監賞を貰ったのもそこからすぐの場所でのことだ。

そしてそれがどんなことであれ、何かあるたびに接しなければならないのがSの人たちである。彼らの多くは、書店や出版社、本の著者など、わたしが普段接している人たちとは、もとからして何かが大きく異なっているように思えた。

上層部にいた人のなかには、なぜそんなにまでと言いたくなるくらい、高圧的に接してくる人もいた。入れてやってるのだから、テナントはこちらの言うことに従うのがあたりまえだ。そうした物言わぬ圧力が、彼らの態度からはにじみ出ていた。

「それが百貨店のルールだから」

彼らの口にする〈百貨店〉には、何か特別な意味、長年多くの人により培われてきたプライドがあったのだろう。それに気がつくまでには、働きはじめてからさほど時間はかからなかった。

だがそのプライドには、まっすぐではない、何かひねくれたものがあったと思う。Sは、MやTといった老舗に比べれば百貨店としては後発で、本店を構えたのも銀座や日本橋ではなく、池袋という新興の街。そうしたコンプレックスを払拭するように、Sは70~80年代にはアートやサブカルチャーを取り込みながら、ひとつの〈文化〉を作り上げた。だが経営陣が変わると、自らのアイデンティティだった文化事業を手放すようになり(わたしが勤めていた会社も「手放された」部門の一つだ)、最終的には、以前の彼らなら歯牙にもかけなかったであろう、百貨店とは真逆の業態ともいえるコンビニチェーンの軍門に降ることになった。

広かったSの社員食堂には、新しく親会社になったコンビニの店が一等いい位置にでき、デパ地下には同じコンビニのPB商品が、高級食材の売場を押しのけるようにして並べられた。Sの社員たちは、それをどのような気持ちで眺めていたのだろうか。

そうした子会社ゆえの悲哀は、わたしが勤めていた会社も同じだったからよくわかる。親会社が変わればその都度政策も変わるし、腹の底では憎らしく思っていても、時間が経てばいつの間にか、お客さんよりもそちらの方向を向いて仕事をするようになる。そのようにもともと高かったプライドをこじらせてしまったから、彼らもことさら苛烈になり、テナントに対してはきつくあたったのかもしれない。

 

それでも、長年現場で働いている人たちには、プロとして意識の高い人が多かった。実際彼らが〈百貨店人〉として行うふるまいを見ていると、いで立ちから言葉づかい、気配りに至るまで、隅々まで〈お客様〉に向けられた意識が徹底されており、こうした接客を受けてみたいと心底見惚れるものだった。

だから、そのようなSの従業員がストライキを決行したのはよほどのことだったように思う。

ストが行われた日のニュースで、少なからぬ街ゆく人が、店が閉まっていることに対し、「わたしたちお客さんのことはおいてけぼりなのでしょうか」とインタビューに答えていたが、まさかそのようなことはないだろう。彼らにしても、お客様に支持されている百貨店という形を残したいという苦渋の決断だっただろうし、店が閉まっている一日すら待てないというのは、自分がその店のお客さんではなく、単なる一消費者にすぎないということを自ら語っているようなものなのだ。

 

この度のストライキは、第一に従業員の雇用を守るという目的があったと思うが、わたしにはプロとしての百貨店人が見せた、自らの誇りをかけた最後の意地のように見えた。そしてS全体に対するわだかまりの感情はあっても、わたしはそのことをとても好ましいものとして受け取ったのだ。

今回のおすすめ本

マロン彦の小冒険』佐藤ジュンコ ちいさいミシマ社

ほんとうはそうしたいのだが、ただ心地よいものだけを見て生きていくことはできない。そう腹から理解することで、勇ましくはないかもしれないけど、日常の小さな冒険がはじまっていく。ほがらかなマロン彦が、ほがらかなだけで生きられる日が来ますように。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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