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本屋の時間

2020.01.03 公開 ツイート

第75回

父と「少年ジャンプ」 辻山良雄

子どものころは、毎年正月がくるのが憂鬱だった。学校という社会を離れ、普段は向き合うことを恐れていた家族と、四六時中一緒の時間を過ごさなければならなかったからだ。両親と兄とわたしの四人家族は仲が悪いというほどではなかったが、わたしが子どものころは父が外でひそかに借金をしており(「ひそかに」という割に、家族のものはみんなそのことを知っていた)、それもあってか父は家のなかではお酒を飲みすぎ、家の空気はいつも悪かった。

元日には父が家族に対して、お屠蘇を一杯ずつふるまうのだが、普段尊敬されているわけではなかった父が家長として座っている姿は空疎な感じがして、毎年早く過ぎてほしい時間だった。お屠蘇はそのうち日本酒に変わり、食事がすんだあとも、父は一人で飲み続けていた。

酔うと最後にはかならず機嫌が悪くなり、声が次第に大きくなる。よしお――っ。階下から聞こえてくる声には耳をふさぎ、なんでこんな家に生まれてきたのかと、いますぐどこかに飛び出したい気持ちになった。

 

父の作った借金は、阪神淡路大震災という未曽有の災害をきっかけとして、思わぬかたちで解消された。そのころ兄とわたしはすでに家から出ていたので、両親はそれまで住んでいた家を売り払い、同じ神戸市内でも下町の小さな家に引っ越しをした。その小さな家に引っ越してからは、父は人が変わったように穏やかになり、酒を飲むと大きな声を出すかわりに、自分の内にこもるようになった。
 


ジャンプはまだ読んでるんか。酒で肝臓を悪くし、入院することになった父を見舞いに行ったとき、父は言った。「ジャンプ」とは『週刊少年ジャンプ』のことで、わたしの子どものころは電車で漫画雑誌を読む人がまだ多かったから、毎週月曜の帰宅時には、電車の網棚に誰かが置いていったジャンプを、父が持って帰ってきたのだ。

 

もう大学を卒業しようという年になっていたわたしは「読んでない」とそっけなく言った。なぜ、久しぶりに会ってジャンプの話をするのか、まったくわからなかった。そのまま黙っていると父は続けて「あのジャンプな、実は毎号ワシが買っててん」と言った。

ああ、そうなんや……とわたしは言ったが、父が買って帰っていたことは勘づいていた(そうそう毎週網棚から見つけられるものではない)。「これ、捨てられてたんや」最初に父がジャンプを持って帰ってきたとき、二人してうれしい顔をしたのだろう。「捨てられていたジャンプを、子どものために持って帰ること」は、それから父が自分に課した、物語のようなものだったと思う。

 

もうおわかりかと思うが、父は自分の子どもにさえ不器用な人だった。いま思えば、お屠蘇を飲んで酔っ払わなければ、その場にいることすらできなかったのかもしれない。お正月が苦しかったのは、何もわたしだけではなかったということだ。

そういえばジャンプの話をしたときも、わたしのほうは見ず、病院の窓から見える山のほうに向かってずっと話し続けていた。


 

今回のおすすめ本


『ほんのちょっと当事者』青山ゆみこ ミシマ社

親との葛藤、カードローン、性暴力……。自らに起きた笑えない出来事も、率直に、ツッコミを交えて書く。その明るい強さは、多くの秘められた「困りごと」を引き出した。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2024年5月10日(金)~ 2024年5月28日(火)Title2階ギャラリー

キッチンミノル出版記念写真展「ひこうきがとぶまえに」
~航空整備士の仕事~

しゃしん絵本作家のキッチンミノルが出版社を立ち上げました。第一作目は、飛行機が格納庫に帰ってきてから、再び空に飛びたつまでの航空整備士さんの仕事を、JAL全面協力の元、キッチンミノルが温度感ある写真と文章追いかけたしゃしん絵本『ひこうきがとぶまえに』です。紙面では航空整備士の仕事や見たことない機器、機械類がページいっぱいに広がります。
今回は絵本の中の写真や惜しくも絵本には収めることができなかった写真を展示します。写真だからこそ伝わる迫力! 緻密さ!! 臨場感!!! 子どもだけでなく、大人も一緒に楽しめます。
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化のお知らせ】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」がとうとう書籍化! 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Title予約サイト
 

 

【書評】

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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