中東危機、ウクライナ戦争、外国人問題、世界インフレ……。現代社会が直面する諸問題に歴史の知識で立ち向かえ。
東大名誉教授・本村凌二氏の『武器になる世界史』は、「歴史に学ぶ力」を養う実践的な知識が身に着く一冊です。混迷の時代と言われる現代だからこそ読んでほしい本書から、一部を抜粋してご紹介します。
* * *
なぜ年を重ねると歴史への興味が沸くのか
歴史への興味や関心は、世代によって変わるものです。
総じて、人は若い頃は歴史にあまり興味を抱きません。もちろん例外はあって、たとえば私の知人の日本史学者などは、子どもの頃からお城マニアだったそうですが、ほとんどの人は受験のために年号をイヤイヤながら暗記するだけだったのではないでしょうか。放っておいても自分から歴史を勉強するような若者はそう多くありません。
でも50代、60代ぐらいになると、世界史や日本史に目が向くようになり、「若い頃にもっとちゃんと勉強しておけばよかった」と後悔する人が多いように思います。30年ほど前に知り合った、とある出版社の女性編集者もそうでした。
出会ったとき30歳前後だった彼女は、「歴史学者を前にしてこんなこというのは申し訳ないけど」と前置きしてから、「私、歴史には興味がないんですよ」ときっぱり語っていました。しかし60歳を過ぎてから再会したときは、「最近、どういうわけかすごく歴史に興味が出てきました」というのです。
これはおそらく、人生経験を積めば積むほど、自分自身に「歴史」ができるからでしょう。長く生きていると、世の中が時代を経るにつれて変化することを、身をもって痛感させられます。何十年も前といまとでは、さまざまなことが信じられないほど変わっているのです。そうなると、長い年月にわたる変化を記述した歴史への関心が自然と高まるのではないでしょうか。
世代によって現代の捉え方が異なるのは当たり前
若い頃は、いま自分が生きている世の中しか知りません。だから無意識のうちに、それが人間の社会にとって当たり前のものだと思い込みやすいでしょう。教科書に書かれた歴史は「昔の話」にすぎず、現在の自分たちとは関係ないものだと感じてしまいがちです。
しかし現在の世の中は決して「当たり前」のものではありません。10年、20年、30年と時が経ち、年を取ると、若い頃は最先端だったテクノロジーが古くなり、永遠に続くような気がしていた社会体制が変わり、誰もが当たり前だと思っていた価値観や常識が通用しなくなったりすることがわかります。
たとえばいま60歳前後の世代なら、ワープロ専用機やフロッピーディスクなどが過去の遺物になり、東西冷戦構造が崩壊し、パワハラやセクハラなどの行動が厳しく批判されるようになる……といったさまざまな変化を目の当たりにしてきたでしょう。そういう経験をすることで、現在の技術、社会体制、価値観もいずれ古くなって別のものに置き換わるにちがいない、と思えるようになるのです。
日本の社会そのもののあり方も、この30年で大きく変化しました。戦後の高度経済成長期からバブル期にかけて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまでいわれた経済大国としての地位は、すでに失われました。貧富の格差が広がり、「一億総中流」でもなくなっています。
いまの若者にはそれが日本の「当たり前」かもしれませんが、過去を知る人にとっては「激変」です。
世界は「戦後」から「戦前」へ
そういう変化を実体験として知る世代と知らない世代とでは、いまの社会の見え方も違ってきます。年長世代が「昔はこうだった」などと現状への違和感を口にするのを若い世代は煙たがるものですが、それは必ずしも「昔は良かった」というノスタルジーだけに基づくものではありません。時間の経過とともに社会のあり方が大きく変わることに対する驚きが、そこにはあるのだと思います。
変わりつつあるのは、もちろん日本社会だけではありません。アメリカによるイランへの攻撃、ロシアによるウクライナ侵攻に象徴されるように、戦後の国際秩序は大きく揺さぶられています。すでに「戦後」は終わり、世界は「戦前」の段階に入っている──そう指摘する声も少なくありません。良くも悪くも、時代は変わるのです。
過去を学ぶと未来への洞察が深まる
では、これから先の未来にはどんな変化が訪れるのか。それを正確に予測することは誰にもできません。未来は常に不確定です。
しかし、未来について考え、不確定な変化に備えるために、過去から学ぶことはできるでしょう。これまで人間の社会は、あらゆる物事において、繁栄と衰退、成功と失敗をくり返してきました。
その変遷を記述したものが「歴史」にほかなりません。そこには、この社会の未来をより望ましいものにしていく上で役に立つ知恵やヒントがあるはずです。
その意味では、「昔はこうだった」という年長世代の言葉に若い世代が耳を傾けることにも、意義はあるでしょう。過去の社会を知っている世代と知らない世代とでは、いまの社会の見え方と同じく、世界で起きていることに対する受け止め方も違ってきます。
それこそ東西冷戦を知る世代と知らない世代とでは、現在のアメリカ、ロシア、中国などをめぐる国際情勢についての見解が違ってくるかもしれません。現状認識が違えば、予測のつかない未来に向けた議論も嚙み合わないものになります。
目の前の現実だけを見ていると、どうしても現状認識の視野が狭くなります。また、過去から現在への変遷を踏まえたほうが、現在から未来への変わり方に対する洞察は深いものになるはずです。
人間が記憶を継承できる限界は三世代
とはいえ、個々の人間が自分自身の人生を通じて経験できる時代の変化は、人類の歴史全体から見ればほんのわずかなものでしかありません。いま60歳ぐらいの世代は、東西冷戦後の変化はリアルタイムで知っていますが、もっと大きな変化の起きた1945年、つまり第二次世界大戦の終了時にはまだ生まれていませんでした。いわゆる「団塊の世代」に属する私自身も、戦後生まれです。
戦後80年を過ぎて、戦前、戦中、戦後に起きた変化を身をもって知る世代の日本人はかなり少なくなってきました。「あの記憶を風化させてはいけない」と、次の世代にその経験を語り継ぐ努力はなされているものの、記憶が徐々に薄れていくのは避けられません。
自分自身が経験していない時代のことでも、子や孫の世代ぐらいまでは、親や祖父母の体験をそれなりに実感を伴う形で継承できます。私も上の世代から、戦争中の体験談を聞かされて育ちました。
しかし、それより前の時代の変化をリアルに感じるのは難しいことです。第二次世界大戦の話を祖父母や親の世代から聞ける人はまだ辛うじて残っているものの、たとえば150年以上前に起きた明治維新がどんなものだったのかを、当事者の体験談として聞くことは、もうできません。
だからこそ私たちは、先人たちが書き記してきた歴史を共有すべきだと思います。あらゆる世代が人類の長い歴史を知り、それを踏まえて未来を考えることで、「これから私たちは何をすべきか」という議論は実のあるものになるのです。












