
ドラえもんの声を長年担当していた声優の大山のぶ代さんが、テレビ番組で「私のひいおじいちゃんと、ひいおばあちゃんは江戸時代の人」という話をしていた。となると僕は、江戸時代の人に育てられた人を知っている、ということになる。
『水曜日のダウンタウン』で、徳川慶喜を実際に見たというおばあさんが紹介されたこともあった。歴史の教科書に出てくるような時代の、最後の残り香みたいなものがまだわずかに残っている気がする。なんだか、江戸という時代が思ったより遠いわけではないように思えないだろうか。
この「江戸が近くなる」ような感覚を、さらに感じさせてくれるのが、池波正太郎の食エッセイで、雑誌の編集者が「好きだと思う」とプレゼントしてくれた一冊だった。
時代小説家である池波正太郎は脚本を書くとき、その土地の文献を調べるのはもちろん、たびたび物語の舞台になる町に出かけていった。実際にその地方の空気を吸い、そこで食べられているものなど、文化的側面からも詳細に調べ上げる。だからこそ、彼の小説に出てくる食事はいつも生々しいほどにリアリティを感じるのだろう。
(余談だが、東京タワーのすぐ近くにある「横濱屋」という喫茶店のマスターから聞いた話では、当時、いつもカウンターの隅で大量の書類を広げている男性がいて「それ何ですか」と聞いたところ、「いま地方から帰ってきたところで、その資料。これをまとめなくちゃいけない。大変なんだ」と言っていた、と。その時はただ、「変なジイさんが居るな」とだけ思ったそうだが、後にお付きの人から教えられ、その人こそ池波正太郎だったと知り仰天したそうな。)
古くから今に続いている味が、少しずつ無くなっていくことを残念がる様子が、池波先生のエッセイには多く書かれている。遠く江戸時代までさかのぼることもある、池波先生が本の中で触れていた店の歴史や、土地の食べ物は、自分にはどれも魅力的に映っていた。

さて。今日はどこへ行くことにしようか。
その日は仕事で大阪に来ており、ホテルに泊まった。チェックアウトまでの数時間を贅沢に使ってこれからの予定を考える時ほど贅沢で至福なときはないと思う。
パソコンの画面いっぱいにGoogle mapを広げ、「さて、どこに行こうか」と決めるときが一番楽しい。そう。今日の夜はどこに居たっていいのだ。
明日の夜には軽井沢で用事があるのだが、今から東京に帰り、自宅で寝て、翌日また新幹線に乗るために東京駅に向かうというのはつまらない。東京駅と家の往復というのは、意外と労力がかかるのだから。
今日と明日の大半を移動に費やすくらいなら、今日は別の町、できれば軽井沢に近くなるような町に移動し、その町を少しでも知ろう。
2時間をかけ最終的にたどり着いた”答え”は、信州まつもと空港へ飛ぶことだった。
「飛ぶ」というのは"チート"だよなぁ、と、飛行機に乗るたびに思う。それこそ江戸時代の人から見れば魔法以外の何物でもない。難所と言われた急な峠をえっちらおっちら歩き、関所をくぐっているちょんまげ姿の旅人たちを眼下に、とんでもない速度で飛び越えている様子を想像しながら「この時代に生まれて良かったな」と思うことで嬉しさを噛み締めている。きっと眼下に小さく見えている江戸時代の旅人は、三度笠を少し持ち上げて空を仰ぎ、「なんでぇ、ありゃあ……?」と指を指していることだろう。
飛行機の中で聴いていたのは、福耳の「星のかけらを探しに行こう Again」だった。飛行機という空の舟が、星空をたどって進んでいるイメージがあるからだと思う。まだよく知らない土地に向かうとき、その土地でどんな風景に出会えるのか……そんな期待と、この曲の雰囲気が近いと思っている。
福耳は、BARBEE BOYSの杏子さん、山崎まさよしさん、スガシカオさんの3人によって結成された音楽ユニット。中でも杏子さんは、僕がこれから降り立とうとしている長野県松本市の出身なのだ。
この宇宙(そら)を見上げていると 遠い記憶がうずく
生まれる前のこと 想い出しそうになる
(中略)
だから 星のかけらを探しに行こう
舟はもう銀河に浮かんでる
願い忘れたことを届けたい
静かに見つめ合ってね星のかけらを探しに行こう Again
松本といえば…
iPhoneの電子書籍機能で、池波正太郎のエッセイ『むかしの味』を表示させると、「中華料理__松本市・竹乃家」の項目があるが、残念ながら竹乃家が1998年に閉店してしまっていた。しかし店主のお孫さんがレシピを引き継いだ上で開業していた系列店は今なお営業を続けており名を「チャイニーズレストラン驪山(れいざん)」という。竹乃家からの直系はこの一店のみ。
戦後になって、はじめて松本へ行った二十数年前に、
(まだ、竹乃家はあるだろうか?)
なつかしくおもい尋ねてみると、[竹乃家]も独自の叉焼も健在だった。
そして、あらためて私は、この店の料理の旨さにおどろいた。
以後、松本へ立ち寄れば、かならず[竹乃家]の料理を口にせずにはいられない。(略)
大正の末期に、中国から帰化した仙台の石田華さんが開店したころの、松本市の雰囲気がそこはかとなく感じられるではないか。池波正太郎「むかしの味」より
チャイニーズレストラン驪山
どこか喫茶店のような落ち着いた雰囲気のなか、数あるメニューから選んだのは「中華麺」。ジャスミン茶、烏龍茶、プーアール茶の中からひとつを選ぶことができ、サービスだと奥さんはいう。ポットでたっぷりと淹れてくれる本格的な香りが、それだけでうれしい。
注文した品が運ばれてくるまでにはずいぶん時間がかかったが、きっとなにかしら丁寧な仕事が奥でなされているに違いない。
ようやく目の前にラーメンが置かれたとき、そのビジュアルの意外さに驚いてしまった。丼のなかには、麺とスープのみ。具は別皿に盛り付けられていたからだ。「なつかしい醤油ラーメン」のような姿を想像していたので、意外だった。
スープを一口。じんわりと、やさしい味だ。池波正太郎が「捨てがたい」と記した味を、口に含めたことを幸せに感じる。
100年ほど前、中国から帰化した料理人がこの松本の地で生み出した味が、今も受け継がれている……のならば、もしかすると、これこそが日本における「ラーメンの原風景」のひとつなのかもしれない。
池波先生がこのラーメンを初めて口にしたのは、おそらくいまから75年ほど前。さらにそこから75年遡れば、もう明治初期で、つい最近まで江戸時代だった頃である。冒頭に書いた通り、江戸時代は、ほんの数人の記憶を介せば届いてしまうくらいのものなのではないか。
この店に来る前、松本城に立ち寄った。
現存する天守の中でも、江戸時代以前に建てられた数少ない城だそうだ。明治維新の廃城令や戦災といった数々の困難を乗り越え、今も当時の姿のまま建っているというのだから驚きである。
長くそこに在り続けていた松本城と、このラーメン。そのどちらにも共通するのは、変わらずに残っているということ。
松本城の後ろに見える近代的なビルを、そっと脳内から消してみる。土の道が広がり、茅葺の屋根が連なり、和服姿の旅人たちが行き交う光景を思い浮かべる。やがて時が過ぎ、建物が少しずつ高さを増していき、町の角にひっそりと中華料理屋が現れる。その店に吸い込まれる池波先生、そして店内のラーメンにズームする。
時は流れ、今日食べたラーメンに移り変わるタイムラプスを想像したとき、不思議と時間の距離は感じない。
やっぱり、江戸時代は、思ったほど遠くないのかもしれない。
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音楽人の旅メシ日記

その街では、どんな食事が愛されて、どんな音楽が生まれたのか。
土地の味わいと、そこに息づく全てのものには、どこか似通ったメロディが流れている。
旅と食事を愛するミュージシャン事務員Gが、楽譜をなぞるように紐解きます。