
京都、横浜、神保町、神戸、大阪、そして、また京都。多忙を極める4人の男が仕事の合間を縫っては古い街を訪れ、喫茶店をハシゴする。そこで彼らが話題にするのは怪談。恩田陸さんが実際に喫茶店をハシゴしながら執筆を重ねていったという六話の連作『珈琲怪談』。本書に描かれた店も実在のものならば、語られていく怪談もほぼ実話。4人のところに何かが集まってくるように、書いていくうち、恩田陸さんのなかに現れてきたものとは?
(構成:河村道子 撮影:吉成大輔)
自分はホラー好きかもと気付いて
――「ようこそ、珈琲怪談へ」というお約束のセリフも毎回楽しみな、働き盛りの四人の男が怪談を持ち寄って喫茶店をハシゴする設定はどこから生まれてきたのですか?
もともと喫茶店巡りが好きだったのと、うだうだどうでもいいことを喋る会話のシーンを書くのが好きだったのと、実話怪談を読むのが好きだったのとが組み合わさって、じゃあ喫茶店でえんえん怪談を話す小説にしよう、という単純な発想からでした。
――初期のSFホラー小説『月の裏側』に登場した、レコード会社のプロデューサー・塚崎多聞は、後にトラベル・ミステリー短篇集『不連続の世界』でも主人公となりました。登場人物にあまり肩入れするほうではない、という恩田さんが、“気に入っている登場人物”として名前を挙げたことがある彼が、本作でも主人公を務めています。
塚崎多聞は、書いていて負荷がかからない人物というか、ひどい目や怖い目にあってもわりと気にしないでくれそうな人物なんです。実際のところは気にしているんでしょうけれど、いきなり異世界に放り込んでも彼なら耐えてくれそうだなと。そんな本作を書きながら、気付いたことがありまして。
――何に気付かれたのでしょう?
私はずっと自分がホラー作家だと思っていなかったんです。でも、今更ですが、もしかしたらホラー好きなんじゃないかなって。定期的に怖いものを書きたくなるんですよね。『珈琲怪談』は十八年という長い年月のなかで書いてきたものなのですが、しばらく時間を置いても多聞は当たり前にホラーに付き合ってくれる、なかなかありがたいキャラクターなんだな、と。
――そんな多聞とともに喫茶店をハシゴしていくのは、作曲家兼スタジオミュージシャンの尾上、ドクター・キリコのような風貌の外科医・水島、そして東京地検の検事・黒田。この三人は、『不連続の世界』の最終話「夜明けのガスパール」で、“夜行列車で怪談をやりながら、さぬきうどんを食べに行く旅”に多聞を誘った人たちですね。
この四人は仕事が異なり、利害関係がまったくない。純粋に雑談だけに集中できる、という関係性からこのメンバーになりました。
――一話目は、祇園祭が近づく梅雨明け前の京都が舞台。多聞の唐突なひと言から物語は始まりますが、その言葉を聞いた水島が「そうだった。おまえの思考回路は独特だったってこと、今懐かしく思い出したよ」とさりげなく返す。多聞の思考は、いつの間にかあらぬところへ入りこんでいってしまいます。
本人のなかでは話が繋がっているつもりなんだけど、周りからすると、彼の話の脈絡が見えないんですよね。多聞が最初に放った「ヒドゥン」というひと言は、私自身が京都で喫茶店をハシゴしているとき、唐突に思ったことをそのまま使っているんです。作中に書いてあることは本当にそのまま、実際、私が街を歩いていたときに感じたことが入っています。
――喫茶店で珈琲を飲んでいるときのみならず、彼らは道中でもとめどなく話しています。道すがら、たとえば京都では、「その時々で、碁盤の目の長さが異なるのだ」という言葉が出てくるように、街そのものの姿も浮かびあがってくるようです。
私はわりと地霊みたいなものを信じているんです。特にこのなかに書いた古い街には、そういう雰囲気があるなって。京都はもちろん、横浜もすごく独特な空気があるし、神保町も面白い街。第二次世界大戦で戦火を免れているんですよね。アメリカが故意にという説と偶然だったという説、二つあるんですけど、日本通の誰かが作った「ここは焼かないでくれ」というリストに神保町が入っていたというのは本当らしい。神戸も大阪も古い建物がたくさんあって、街が持つ歴史が長い上方は、やはり土地の力が強く、怖いなと感じます。子どもの頃、転校の多かった私は、「土地の雰囲気ってそれぞれまったく違うな」ということを肌身で感じながら育ってきたので、そういう感覚は今も変わってないなと思います。
――神保町の“痕跡本”の話、神戸では何度失くしても返ってくる多聞の傘の話、そして大阪では何基もあるのに、ひとりで待っているとどういうわけか必ずやって来るエレベーターの話などが語られていきます。
古本って時々変な書き込みが出てきて、ゾッとするときがありますよね。私、本やレコードはともかく、古着とか誰かの使っていたものはちょっと怖いんです。多聞の傘の話は、私にもこの傘だけはなぜか失くさないという傘があって。一番古い傘なんですけど、どこかに忘れてきても、いつもなぜか返ってくるんです。多聞はあまり物に執着しない人です。物の方が彼に執着してしまうというか、そういう感じがありますから。そして古いビルのエレベーターはがくんと鳴って、一瞬沈みこんでからドアが開く、あれが怖くて。あれさえなければ、古いビルは大好きなんですけどね。東京の丸の内とか、大阪の心斎橋あたりにあるのとか。土地もそうですが、建物も人間の精神に影響を与えそうな場所って絶対にあるのではないでしょうか。建物は建物で、やはり地霊のようなものがいると思っています。
怪談文学であり、雑談文学
――語られていく怪談は、創作ではなくすべて実話なのですね。
ちょっと変えたところもありますが、このなかに書いた話は全部、自分が体験したり、誰かに聞いたりした話なんです。ここ十年くらい「怖い話、ないですか?」って、いろんな人に訊いているのですが、面白いのが、「この人、怪談とは全然関係なさそうだな」と思っていた人が意外と「え?」というネタを持っていたりするんですよ。お願いする時に気をつけているのが、いかにもな、幽霊が出てくるような話ではなくて「よく考えたら変だよね、という話があったら教えてね」と。
――怪談かはわからないが不思議な話であることは確かだというやりとりが、この四人でもなされる怪談が、次々と現れてきます。
後からよく考えてみると、「あれは、おかしい」という怖さを感じるものですね。たとえば、作中に登場する、通勤電車のなかで、大きな人形を膝の上で抱えていた女の人の話とか、隣家の中をちらっと見たら、黒いゴミ袋が積んであった話とか。実はあれ、私の体験なんです。よく考えてみたらおかしいよね? っていう話が好きなのでいろいろ交ぜてみました。
――『油照り』という言葉が怖いと話し出す多聞。“何が怖いって、そういう暑さを『油照り』と名付ける言葉のセンスが怖い”と。日常的にあるもの、普通に使っていたものが、突如として姿を変えるような怖さも現れてきます。
恐怖は個人的なものと普遍的なものがあると思うのですが、自分が思う“これって怖いんじゃないか”というものをボーダーレスに盛り込んでみたかったんです。「怖いってなんだろう?」ということを常々考えているのですが、そこに現れてくる怖さのショーケースのようなものにしたいなと。今回、それを書いていったとき、自分が恐怖を感じるのは、違和感に近しいところなのだなと自覚しました。
――読んでいくと、小説そのものも違和感の連続です。
あえてオチをつけたり説明したりせずに、それぞれのエピソードをフラットに並べていく、というのをやってみたかった。
――作曲家の尾上が曲のインスピレーションを、検事の黒田が事件解決の糸口を怪談から得ていくという展開も面白くて。恩田さんご自身、怪談から小説のインスピレーションを得ることはありますか。
なぜ電車内で大人がむき出しの人形を抱えているんだろう? とか、どうしてあんなに大量のゴミ袋を部屋中に放置したままなのかとか、その違和感の理由を考えていくことによって発想が生まれてくることはありますね。
――怪談ってどうして人気があるのかと、彼らが語り合う場面も興味深かったです。
怪談って世代を超えて共有できる感覚なんじゃないかなと思うんです。世代間で感覚や知識が乖離してきた今、最大公約数的に皆が理解できる話題なんじゃないかと。怖い感覚は原始的なものだから。これだけは誰でも共有、共感できるという意味では、落ち着くし、和む。コンテンツ的にはもしかしたら今、最強なのではないかと。
――四人が淡々と語る怪談に触れながら感じたのは、怪談は人の記憶の集積みたいなものでもある、ということです。見たことや聞いた話が自分の記憶のなかで塗り替えられることもあるし、誰かに語り、そこで上書きされていくこともあります。
怪談を語るときって、あれはこういうことだったんじゃないかって、自分でその怪異や違和感に説明をつけているところがありますよね。そして、人って本当に記憶でできているんだなということを書きながら改めて思いました。「記憶って何なんだろう」ということを私はずっと考え続けているのですが、本当に不確かなものだって思っていて。同窓会に行くと、私は何も覚えてないほうのタイプなんですけど、すごく鮮明に当時のことを覚えている人もいっぱいいて。この違いって何なのだろうっていつも思っているんです。全員が覚えているものがあっても、ちょっとずつそれが違っている、というのもすごく不思議。誰もが自分自身のイメージで覚えてるんだと思います。
――多聞は時おり、自身の父親の話をしていきますが、後半で、無意識のうちに父親の死をなかったことにしている自分に気付きます。意識と無意識も、本作のテーマのひとつとなっていると感じました。
本人が意識してるつもりのものと、実際感じているところには何か乖離したものがあると思っているので、そうした部分も書きたかったです。都市伝説って大体、その時代に皆が漠然と不安に思っていたことが出てくると私は思っているんですね。かつて「ピアスの白糸」という都市伝説があったじゃないですか。ピアスの穴を開けると、その穴から白糸が出てきて、それを引っ張ると失明するという。あの都市伝説が出てきたのは、ちょうどピアスが流行り始めた頃。親からもらった体に穴を開けるということにまだ忌避感情があった頃なんですよね。「マクドナルドのハンバーガーは猫の肉」という都市伝説もファストフードが初めて日本に入ってきた頃で。それまであまり外食をせず、したとしても、よく知る食堂が主だった人々が、無意識のうちに、どこで誰が作ってるのかわからない、何が入っててもわからないと思っていたことからあの噂が出てきたはずです。そういう無意識が都市伝説になるのではないか、それはきっと怪談にも表れてきているのではないかと。
――一話、一話のラストに何かが起こる。四人が語っていく怖い話と物語全体を包み込む怪異。その融合も怪談好きにはたまらないです。
それを目指して書いていました。怪談を語っているところにちょっと怪異的なものが近寄ってくる、語り終わると何か怪異が起こるという、ちょっとクラシカルなところを。「百物語」のオマージュというか、リスペクトを込めて書いていました。
――再び京都へと戻ってきた最終話で、それまでちりばめられていたピースが一枚の絵図になっていく。そこでは多聞がちょっと幸せそうですね。
そうなんです。最後の場面の多聞の心の声に込めたのは、生きていることと死んでいることって、実はそんなに遠いところにはない、そんなに違いはないんじゃないか、という感覚ですね。本作ではその感覚を書いておきたかった。
――本作は、怪談である一方、雑談文学であるとも言えます。社会の中枢を担ういい歳をした四人の男たちの会話、ツッコミも、脱線も、チャチャ入れも含め、本当に愉しくて、その関係性も羨ましくなってきます。
私自身も、こういう風に純粋に、雑談と怪談だけするというのが理想なんです。けれど実際はそんな風にはいかないじゃないですか。相手が仕事関係の人だと、ちょっと話題に気をつけたり、逆にこういう話を振らなきゃみたいな気遣いも働いてしまう。そういう意味で、仕事もバラバラ、なんの利害関係もないこの四人の雑談は純粋な雑談。さらに言えば、そもそも怪談そのものが利害関係を孕まないものなんですよね。それを語るところに目的はまったくないから。だから怪談って“究極の雑談”だとも思うんです。
――語られていく怪談も実話なら登場してくる喫茶店も、店名こそ記してないけれど、実在の店。この一冊を手に聖地巡礼したくなってしまいますね。
読めば特徴がわかるように書いていますので、知っている方なら、「これはあの店だよね?」とわかっていただけると思います。なかにはもうなくなってしまった店もあるんですけど、多聞たちが神戸に行った話のなかに出てくるバターコーヒーを出すお店は私も大好きで、行くと必ず、豆を挽いてもらって買って帰るんです。ぜひ皆さんもご利用ください(笑)。そして横浜へ行った話のなかに出てくるホテルは、このなかに書いたとおりの仕様の部屋があって。いつもはそんなことないんですけど、そこに泊まったときだけ、なぜかものすごく怖くて灯りをつけっぱなしにして寝ました。
そちらもよかったらお試しください(笑)。怪談ってもはや和みツールだと私は思っているし、実際、私は怪談をむしろホッとするジャンルだと思って書いているので、ぜひこの一冊でひととき和んでいただければ。