
薬に頼らない独自の精神療法で数多くのクライアントと対峙してきた精神科医・泉谷閑示氏。ロングセラー『仕事なんか生きがいにするな』『「うつ」の効用』は年齢、性別問わず幅広く読まれています。泉谷氏の最新刊『「自分が嫌い」という病』は昨今たくさんの人が悩んでいる「自分を好きになれない」「自分に自信が持てない」という問題に真正面から向き合った1冊。親子関係のゆがみからロゴスなき人間の問題、愛と欲望の違いなどを紐解きながら、「自分を愛する」ことを取り戻す道筋を示しています。本書から抜粋してご紹介していきます。
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精神療法(カウンセリング)を専門とする私のクリニックには、さまざまな悩みや心の問題を解決しようと、いろんな方たちが日々相談にいらっしゃいます。
うつ状態に陥って苦しんでいるケースもあれば、不安やパニック発作で生活に不便をきたしている方。はたまた、表面上の社会適応はできていても生きる意味が見出せずに虚無感に悩んでいる方。対人関係に自信が持てないことで長年生きづらさを抱えているなど、持ち込まれる問題は実に多種多様です。
しかし、その問題の多様さはあくまで表面に現れた次元のものであって、それぞれの問題の根源をじっくりと探索していくと、その奥には必ずと言って良いほど「自信が持てない」「自分のことが嫌い」といった、自分自身との関係の不調和が潜んでいることが見えてきます。
日頃の診療場面のみならず、講演会などの場においても「自分を愛するにはどうしたらいいのか?」といった質問をいただくことがとても多く、改めて私は、この問題へのアプローチ方法を一度きちんと整理し、丁寧に解説する必要があると思い、今回、本書を書くことにしました。
「自己肯定感」を高める必要は本当にあるのか
巷にあふれている自己啓発本や動画サイトなどでは、そんな生きづらさから脱するために「自分を受け入れること」「自己肯定感を高めること」「自分を愛すること」が大切だと説かれていることが多いのではないかと思われますが、しかし、いざそれを自分でやってみようとすると、「何をどうしたら良いか分からない」となってしまって、そこで足踏み状態になってしまう方も少なくないようです。
よくある「自分の良いところを見つけて、自分を褒めてあげましょう」といったアドバイスにいざ従ってみようとしても、「自分には良いところなんか何もない」と途方に暮れてしまったり、そもそも「こんな大嫌いな自分を褒めるなんて、そんな気持ち悪いことはできない」と、拒否反応が出てしまう方もあったりします。
私自身も、このよく使われている「自己肯定感」という言葉には、どこか過剰なポジティブ思考のニュアンスに違和感を覚えるので、あまり臨床場面で用いることはありません。むしろ本質的に必要なのは、「自己否定」というものを外すことなのであって、無理矢理に、取って付けたような「自己肯定」をすることではないのではないかと思うのです。
それにしても、この「自己否定」という現象は、一体なぜ生じるのでしょうか。
自然界の生物で、「自己否定」をしているのは人間だけです。自己否定しているゴキブリなどどこにもいないわけです。そこから考えていくと、「自己否定」の問題に取り組むということは、「人間とはいかなる存在なのか」という、人間の内面の性質そのものに迫っていかなければならない奥行きのある作業だということが分かってきます。
また、そもそもの「自分を愛する」というテーマについても、「愛する」とはどういうことなのかをきちんと考察しなければ、単に「愛する」というお題目の周りをグルグル回り続けるだけになってしまうでしょう。このように、私たちの内面に生ずる悩みを解決するためには、そこで用いる言葉を正しく定義付けなければ、いくら考えているつもりでも、雰囲気で悩むような次元で行き詰まることになってしまいます。
つまり、言葉上では一見単純そうに思える「自分を愛する」というテーマは、いざ本気で取り組んでみると、なかなかの奥行きがあって一筋縄ではいかないところがあるのです。そして、私たちがなにげなく信じ込んでいる諸々の価値観が、このテーマへのアプローチを妨げるように、複雑に立ちはだかっているのです。
そこで本書は、この「自分を愛する」という状態にアプローチするための道案内を行なうと同時に、その際に必要となるさまざまな価値観の洗い直しについても、適宜ご紹介しながら進めて行こうと思います。そして、一連のプロセスを通じて、単に「自分を愛すること」ができるようになるだけでなく、人間というものの根本的な性質についての新しい理解や、現代社会の生きづらさの本質を考えるための重要なヒントも得られるのではないかと思っています。
現代人の実存的苦悩と「内省」
ところで、現代人の抱える内面の問題は、従来の心理学や精神分析、精神医学の知見だけでは扱い切れない領域が少なくないように思われます。かつて拙著(『仕事なんか生きがいにするな』幻冬舎新書)でも論じましたが、「ハングリー・モチベーションの時代の終焉」を迎えた私たちは、その抱える悩みの内容が、昔とはかなり異なった実存的なものに変わってきていると考えられます。そして、精神的基盤である「自分を愛すること」のところに問題を抱えたままの状態では、より一層、生きづらいような世の中に変わってきているのではないかと思うのです。
このように、現代人には実存的な問題が増えてきている一方、実際に行なわれているメンタルケアは、皮肉にも、以前にも増して即物的、マニュアル的な方向に傾斜してきており、およそ問題の本質からは遠ざかる方向にあるように思えてなりません。
悩んで行き詰まっている人自身が、自分の抱えている問題の正体に気づくことができないのは仕方がないこととしても、いざ専門医を受診しても、そこではマニュアル的に診断され薬物を投与されることが多く、滅多に本質的なアプローチが行なわれることがありません。また、勧められた社会復帰プログラムをいくら行なっても、なかなかスッキリと回復しないという感想を耳にすることも少なくありませんが、これも、生じている問題の本質と対処法とが嚙み合っていないことによるのではないかと思われます。
しかしだからこそ、私たちは生きづらさを感じていることそのものを、むしろ貴重なチャンスと捉えて、人間存在の本質について目を開き、自分のみならず人間というものを深く理解し、この問題に少しでも自らアプローチしてみる必要があるのです。そして、自分と家族との関係や社会や世間との関係について、新たな視点を持って見つめ直し、自分の心の歴史について問い直していくことが必要なのです。このように自身の内面に意識を向けることを「内省」と言うのですが、現代の精神医療や心理療法では、残念ながらこの「内省」が随分軽視されてしまっています。しかし、心の歴史によって規定される人間という存在の問題について、本質的にアプローチするためには、この「内省」は欠かせない大切な作業なのです。