
「書くこと読むこと」は、ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。
今回は、デビュー作『あなたの四月を知らないから』を刊行された、青山ヱリさんにお話をおうかがいしました。
(小説幻冬2025年6月号より転載)
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note主催の創作大賞2024で朝日新聞出版賞を受賞した青山ヱリさん。受賞作「大阪城は五センチ」と書き下ろし「ゼログラムの花束」を収録した『あなたの四月を知らないから』は、デビュー作とは思えないほど達者な書きっぷりだ。
「小説を書き出したのは二十歳前後の頃。川上弘美さんの『蛇を踏む』の文庫に、『惜夜記』という漱石の『夢十夜』のような短篇集が収録されていて。物語より言葉そのものに夢中になった体験ははじめてで衝撃を受け、自分も小説を書いてみたいと思いました」
その後、北日本文学賞に入選、林芙美子文学賞でも何度か最終選考に残った。つまり書き手としても読み手としても純文学寄りだった。少しずつ、枚数のある原稿を書く時は物語性を意識しはじめ、その一方で断片的な文章はnoteにアップした。創作大賞に応募する際は、noteの仲間たちに「ああ面白かった」と思われる小説を書こうと思ったという。
「友人たちに“恋愛小説が読みたい”と言われて。その時に四年前に書いたものを思い出しました」
それが、「大阪城は五センチ」の原型だ。舞台や登場人物の名前、設定はほぼ同じだという。
主人公の八木由鶴は大阪に暮らす会社員。三十九歳一人暮らし、恋人なし。そんな彼女に自信を与えてくれるのは一千万円の貯金だ。
「仕事や私生活から充実感を得られなくて、自分には分かりやすく誇れる特技や打ち込める趣味もないと思ってしまった時、お金は人の支えになるんじゃないかなと考えて、想像を膨らませました」
由鶴は一年前衝動的に女性向け風俗に電話し、以降定期的に年下の青年、宇治の施術を受けている。
「女性向け風俗というサービスを初めて知った時、なぜ、と躓いたような気持ちになりました。利用されている方との間に、自分が無自覚に作った壁があると感じたんです。それを嫌だなと思って書き始めた気がします。知らない感覚や概念に触れた時は、小説を通して考えながら壁を壊して、こういう世界があるんだと肯定するところまで自分の心を持っていきたくなります」
由鶴の一人称文体がじつに楽しい。ユーモアのある人なのだ。
「読む人にあまり負担をかけないよう、主人公はからっとした性格にしました。そういう人の目線で、描写や比喩を選んでいきました」
由鶴と、彼女の部下で友人でもある多部ちゃんとの会話も笑える。その多部ちゃんがマンションを購入したことに刺激を受け、由鶴もなんとなく物件探しを始めたり、住居サブスクリプションサービスを試しに利用したりするように。
「私は家に執着がないタイプで、むしろいろんなところに住んでみたいタイプ。おうちにこだわる人と自分はなにが違うんだろう、家ってなんだろう、と疑問に思ったことがあったんです」
宇治とは割り切った関係のつもりだったが、由鶴はある時、自分の宇治への恋心を自覚してしまう。
「四年前は宇治のことはちゃんと書けていなかったんです。由鶴も、そこまで恋していませんでした。でも一年も会い続けて、自分の言って欲しい言葉を言ってくれる理解者のような相手に、そんなにフラットでいられるかなと思って」
恋に住まい選びに心を揺らす由鶴は、やがてふたつの決断を下す。
「ゼログラムの花束」は宇治が主人公。受賞後、編集者からスピンオフを提案されて書いたものだ。
「彼はそもそもなんでこの仕事をしているんだろう、こんなに気遣いができるのはどういう生い立ちだったんだろうと考えました」
疎遠となった母親との切ない思い出が明かされる一方、現実の宇治は、友人の嶋と赤ちゃんプレイお化け屋敷なる奇妙なリラクゼーションを体験することに……。
「ただ二人で飲みに行く話を書いても私の気持ちがあがらないし、読んでいる方も面白くないだろうから、ちょっと変なアクティビティに行ってもらいました(笑)」
意表をつく設定のなかで、彼が抱える事情や、由鶴をどう思っていたかも読者は知ることとなる。
繊細さと諧謔味を持ち合わせ、確かな筆力を感じさせるデビュー作。「文体でも物語でも、得意なことより、知らない分野をやりたくなります」というように、今後、広い作風を見せてくれそうだ。
好きな本の印象的なフレーズに選んでくれたのは、川上弘美さんの『真鶴』から。
わたしの心の中でふくれていった、夏の雲がちぎれてすぐに形をかえる、まるくなったり、かとおもうと端がほそくなってのびたり、またちぎれてこまかくなったり、それと同じ、考えのすきまからもれでてきた妄念のようなものが、どんどん形をかえて、大きくなったり、小さくなったり、おそろしいものになったり、とつぜん明るくひかるものになったり、ただのそんなものだったのよ、あれはきっと。
─『真鶴』川上弘美著(文春文庫)より
「記憶の不確かさについての一文ですが、小説という媒体そのものを形容しているようにも思えるんです。このフレーズを思い出すことで自分が書いている小説がととのうので、手帳にメモして折にふれ見返しています」
取材・文/瀧井朝世、撮影/米玉利朋子(G.P.FLAG)
書くこと読むこと

ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。小説幻冬での人気連載が、幻冬舎plusにも登場です。