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暮らすホテル

2025.06.02 公開 ポスト

出不精の私を変えた「ひとめ惚れホテル」 京都エースホテル越智月子(作家)

もともと旅行にはさして興味がなかった。知らない土地を歩き廻るのは愉しいのかもしれないが、準備や移動の手間を考えるとう~ん……。途端に気が重くなる。根っからの出不精なのだ。わざわざ遠くへ出かけるより自分の部屋とか近場のお気に入りの場所とかでたらっと過ごすほうが性に合っている。ましていわんやホテルをやである。

でも、そんな私の考えが大きく変わった。あれは去年の春風を感じる頃。よんどころない事情で京都に行ったときのことだ。用事をすませたあと、新幹線の出発まで少し時間が空いた。とりたてて行きたい場所があるわけでもなかった。仕方なしに近くの烏丸御池周辺をぶらつくことにした。いざ歩いてみると、ヒストリックな街並みはなかなかよろし。ふ~ん、この街好きかも……そう思った直後、ふと目に留まる建物があった。

 

「新風館」

赤レンガ造りの外観は古い、でもなんだか新しい! 懐かしさとともにモダンな雰囲気を漂わせている。吸い込まれるようにしてアーチをくぐった。そこには緑にあふれた中庭が広がっていて、カフェやレストランが並んでいる。私の中を新しい風が吹き抜けていく……ような気がした。あたりをもう一度見まわす。うん? レトロな壁の先の看板を二度見した。そこに描かれているのは見覚えのある字体。

「Ace hotel」

ホテルがあるのか。ていうか、このえもいわれぬ味のあるロゴは? さらに進むと、あった薄暗い通路が。トンネルを抜けると、おお、なんという空間! 広々としたロビーは吹き抜けで木の格子の中に組み込まれる照明が木漏れ日のように心地よい温もりを添えている。そして360度円型のフロントカウンター。反対側はロビーというよりパブリックスペース? ラテンミュージックが軽やかに流れる中、長い木製のテーブルと座椅子が並んでいて、コーヒーを飲んだりリモートワークをしたり、カジュアルダウンな人たちが思い思いの時間を過ごしている。さらにその奥のレストランとおぼしき場所には、藍色に白抜きでコーヒーポットを描いたタペストリーが。やだ、これやっぱり♡ ファンなら一目でわかる、染色家・柚木沙弥郎の手によるものではないですか?! ってことはさっきの看板のロゴも。なに、このホテル! なになになに? このやわらかな風が吹きぬけるような開放感! ひさびさに興奮していた。生まれて初めて「ここに泊まってみたい」と思った。「ここに泊まるためだけに京都に来てもいい」そうまで思えた。

かくして重い腰はあがった。さっそく帰りの新幹線でホテルを予約! なんでもこのエースホテル。シアトル発のエースホテルがアジア第一号として開業したらしい。ホテルコンセプトは「East Meets West」。隈研吾とLAを拠点とするコミューンデザインのコラボレーションによるものだそうで。なるほどねぇ。言われてみれば、たしかに唯一無二の和洋折衷感。

……そして一か月後。めでたくヒストリックツインに泊まる日とあいなった。泊まることがメインですから京都駅から直行。過剰なサービス一切なし、ほどよくフレンドリーな円型カウンターでチェックインをすませ、木製カードキーを貰う。やわらかい茶色で描かれたロゴはBY 柚木沙弥郎。エレベーターを降りて廊下を渡り、旧京都中央電話局を活かした保存棟へと移る。等間隔に並んだ木製の柱、美しいアーチを描く白壁。あ~、ヒストリック。歩いているだけで懐かしく温かい気持ちになってくる。

エレベーターを降りた途端きゅん♡このクラフト感がたまらない
天井がとにかく高く風を感じる廊下
このヒストリカルな入口にやられました

そして……部屋に入った途端、思わずひとりごちた。「天井高っ」。大きな窓から自然光が差し込む寝室部分にはギターが。ベッドサイドのランプやファブリックはミナペルホネンで、これまたたまらぬ味わい。座布団がシートクッションになったラウンジスペースは、柚木沙弥郎のファブリックパネルとノグチイサムのランプシェード。対面のテーブルにはレコードプレーヤーがあり、脇にあるチボリオーディオから音が流れるしくみ。あれ、何これ? とドア付近にかけてある小さな箒をよく見ると、愛おしい字で「NOW」(きれいにしてね)裏を返すと「NOT NOW」(あとでよろしく)。これ清掃札がわりじゃないですか。アートとクラフトの温もりが溶け込んで、なにもかもが好みすぎ。いちいちニマニマしてしまう。なんかもうずっとここにいたい。

何がいいって、この部屋、絶妙にすっきりしていない。なんたって「East Meets West」。国内外のアーティストの作品が随所に散りばめられ、ファブリックも柄×柄の難易度高め。でも、不思議とすべてが調和している、くどくなる手前で絶妙な親しみやすさと居心地のよさを生み出している。部屋に置かれたレコードをかけ、ぼーっとしたり、ソファに座ってミニバーのビーガン用タンタンメンを食べながらネットフリックスを観たり、ギターを自己流にポロロンと鳴らしてみたり、ここにいると家と同じくらい、いやそれ以上に寛げる。

それまで、ホテルって「非日常」を楽しむ場所だと思っていた。でも、エースホテル京都での体験は、その考えを春風のように強く優しく吹き飛ばしてくれた。ホテルはただ泊まるための場所にあらず。自分が本当に求めている居心地のよさを再確認するところ。日常の延長にあってこそリラックスできるし、それがまた新しい「暮らしのヒント」になっていく。そう、これからも私、そんな「暮らしのホテル」を探してゆきたい。

大きな窓の脇にベッドがふたつ
ホテルロゴやファブリックパネルがいちいちツボ
ベッド脇のギターに釘付け
プレーヤーでレコードが聴きたくなるお部屋なのだ
この清掃札! この遊び心!
タバコは吸わないけど、思わず喫煙ルームに入ってしまいそうになる

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暮らすホテル

遠くへ出かけるよりも、自分の部屋や近所で過ごすのが大好きな作家・越智月子さん。そんな彼女が目覚めたのが、ホテル。非日常ではなく、暮らすように泊まる一人旅の記録を綴ったエッセイ。

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越智月子 作家

1965年、福岡県生まれ。2006年に『きょうの私は、どうかしている』でデビュー。他に『モンスターU子の嘘』『帰ってきたエンジェルス』『咲ク・ララ・ファミリア』『片をつける』『鎌倉駅徒歩8分、空室あり』『鎌倉駅徒歩8分、また明日』など。

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