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かんむり

2023.02.03 公開 ツイート

彩瀬まるインタビュー

あえて描きたかったのは、喧嘩や浮気のもっと手前、人間の普遍的なすれ違い 彩瀬まる/幻冬舎編集部

育休中のリスキリング支援について色々盛り上がっております。この記事を作っている私も会社員、そしてワーママ、色々思うところありました。育児について「私も経験した」と”お父さん”が言ったことで蘇ったのは、里帰り出産せず、ワンオペでこなした自分の育休のあの時間。誰に何かを口出しされることなく自分のペースでやり、仕事も続けたかったのでリモートで少しずつ働いていました。それが私には「楽」だったし、なにより夫の稼働を期待していなかったから。それでも、「どうして夫は何も失わないのに私だけ色々諦めないといけないのか」と、時間や仕事など「今までの自分の喪失」にイライラしていたことを思い出しました。そんな中、私の夫は、夫の周りでは「子煩悩」で通っているのだとか。子供を溺愛し、これから親になる後輩たちや既に百戦錬磨の親の先輩たちに「おむつ替えが懐かしい」「あの頃は寝られないよね」「会社にお母さんが増えているから働きやすいようにしないと」なんて言っている。きっと夫も育児を「経験した」と思っている。でも、それは嘘ではない。夫も親だしもちろん育児している。けれど、あの時期、私が「経験した」こと、そして今も継続して私が「経験している」ことを、夫は「わからない」んだろうな、と思った。けれどそれを夫に「わかって」と言ったとしても、夫も「どうして色々してるのに妻はわかってくれないんだろう」と思うだろう。

夫婦といえど、違う体を持った人間同士。一緒に子供を育てていても、同じ家で眠っていても、お互い「わからない」ことばかり。私たちの日常は小さな「わからない」の連続とその積み重ね。彩瀬まるさんの『かんむり』を読むと、その「わからない」をなんとか「わかりたく」なると同時に、「わからない」のその壁の高さに苦悶する。育児とか世代差とか性差とか、よりよい環境とか教育とか。色々悩ましい今の時代だからこそ読んでいただきたい『かんむり』の著者インタビューを掲載いたします。

*   *   *

繊細な言葉でつむぐ、名付け難い感情の揺れや暮らしに潜む
小さな違和感。浮かび上がる日常はあまりに切なく、愛おしい――。

かんむり』を彩瀬まるさんが書き下ろされました。女性の視点から夫や息子との関係を描いた家族小説です。人間が共に生きることの意味を問う鮮烈な作品はいかにして生まれたのでしょうか。

取材・構成/篠原知存
撮影/吉成大輔

── 夫婦についての物語を書こうと思われたきっかけは?

多くの人は交際して結ばれます。もちろん、違う脈絡で結婚する例もあるけど、たいていは多少なりとも相手のことが好きで一緒になります。でも継続していくって、すごく難しいじゃないですか。一つの小さなコミュニティーに自由意志を持つ人が複数いるのは理想的だけど大変。維持していくには双方の敬意と努力が必要になります。

家族になると、次第に意思決定者が固定され、別の人の意思決定の機会や能力を奪ってしまう現象も珍しくありません。意思決定の苦手な人や選択に負担を感じる人もいるので、そういう人が意思決定を預けられる人とマッチングされるのはいいかもしれません。でも明確な意思を持つ人同士はどうすれば良いかたちで家族を続けていくことができるだろうか、と思っていました。

この物語では、主人公の光も夫の虎治も明確な意思を持っていて、当然だと思っていることがそれぞれ違っている。お互いのことが好きだけど、いろいろな思いこみから逃れられない。特に自分自身について「こうあらねばならない」という呪いみたいなものがあって、二人きりでいるけれども、真の意味で二人きりになれていない。

── そう仰ると、光と虎治が強烈な人のように聞こえますが、読めば、自分のすぐ隣にいそうな人物だと感じました。

基本的にはラブストーリーで、普通に夫のことが大好きな妻のお話ですから(笑)。ただ、夫婦の物語を書くにしても、ぼんやりとしたイメージ、ほんのりした恋とかではなくて、相手が肉体として、同居人として、くっきりとした存在の“現実”だと感じられる、ということは意識していました。

浮気した、遠距離になった、といったドラマチックなことはもちろん思いつきます。実際に結婚生活を送っていると、もっと手前に問題があるじゃないですか。別に不倫とかしていなくても大喧嘩したりする。ちゃんとドラマがある。私生活では結婚して十年ほど経ちましたが、今でないと書けない小説だと感じています。

刷り込まれてきてしまった固定観念が、夫婦の物語から社会の物語に変える

── 夫婦は中学時代に出会ったという設定にして、長い時間を描かれています。

なるべく若い頃からお互いを見る機会をつくりたいと思っていました。付き合いが長くなると、「あれ、この人ちょっと変わった?」とか、「こういう人格は今まで埋もれていた?」とか、見ている側の認識が揺らぐような瞬間が出てくる。そういうのは面白いかなと。

── 高校時代は女子生徒の側に立って学校を批判していたこともある虎治が、親になって息子に対して男社会の現実を押し付けたりしています。

学生時代は気軽に断罪できることでも、大人になって社会の仕組みが分かってくると、批判も奥歯に物が挟まったようになる。たぶん、大人になった虎治が、いろんな思いをしながら生きてきた感慨が出たのだと思います。揺らぎとして。

家族の物語をきちんと書こうとすると、ただの個人的な問題ですまないことが多い。どうしてこの人はこういう考え方をしていて、生きづらさを抱えてるんだろう、と考えていきます。例えば、光には自分が周囲の世話をしなければならない、という思い込みが刷り込まれている。それは光個人の資質や責任だけに帰結するようなものではないですよね。

しかも無意識に自分にインストールされてしまったものが、子どもに受け継がれてしまう。うまくシャットアウトして、まっさらで伝えることができればいいけど、本当にそんなことができるのでしょうか? そういったことを細かく考えていくと、夫婦の話なんだけど、だんだん社会の話になっていく。

── 夫婦だけどお互いが理解できない。好きな相手でも、受け入れられなくなってしまったりする。

虎治も間違っているわけではない。そういう処世で生きてきた人である、ということをきちんと書こうと思いました。社会で評価されるようなスキルを息子に身に付けさせたい、という欲求は、困って欲しくない、という心配の裏返しでもある。行き過ぎは辛いですが、その行きつ戻りつを常に夫婦でやり続けなきゃいけないんですね。

子育て中の親の葛藤に著者自身の体験も投影

──「言葉にしてほしい。じゃないと、わからない」ときちんと虎治に言える光がいいです。

虎治を、古臭い価値観の抑圧的な父親、としては書きたくありませんでした。子どもが強くなければ、あとで大変になると恐れたり、別の道を選ばせてあげたいと願ったり。この葛藤こそが子育てのリアルなので、虎治をただの悪役にしたくはなかったし、光も荒唐無稽な理想主義者みたいにもしたくなかった。迷いながらも大事にしたいことがあるというラインを二人とも守ってくれたと思います。

── たしかに、多くの家庭でそうですね。つらいことがあってもいろんな折り合いをつけながら生きている。

どうしたら、この家族が少しずつ楽な方向に行けるかっていうのを、物語の中でも模索していたような気がします。
私の子供が保育園に通っていた頃に園でお相撲が流行って、「男の子は強いから、女の子は負けてもしかたない」と言って帰ってきたことがありました。まだ男女でそれほど体格が違うわけでもないのに、勝ち負けの理由にすでに性別のイメージが入っていることに驚きました。
親としては、自分が好きだと思うものの能力を伸ばして生きていけたらきっと楽しいよ、ぐらいの気持ちでいます。でもいつの間にか、子どもの方が社会の提示する枠組みを素直に受容してしまう。唐突に「お父さんは背広を着て、お母さんはエプロンなんだよね」と言われたこともありました。なぜ? と聞いたら、スーパーのトイレの洗面台にお父さんは背広姿で、お母さんはエプロンで正座している啓発イラストが貼ってあり、その影響だということがわかりました。

── 自然にインプットされてしまうんですね。

知人の娘さんが、以前は恐竜が大好きだったんですよ。『ジュラシック・パーク』を見たりして、強いからティラノサウルスが好きって言ってたのに、いつの間にか「恐竜は男の子のものだから」って言い出した。彼女のなかの興味の芽がいつの間にか摘まれていく。なんとなく社会に奨励されてるものだけが残されていく感じに、恐ろしさと切なさを感じています。

── ジェンダーの話で言えば、光が働くアパレル業界のユニセックスな服の話が印象的でした。社会の現実と理想というふうにも読めましたが。

男性と女性のどちらが着てもいい服がもっと増えればと思うんです。その方が楽じゃないですか。大手の生活雑貨チェーンが男女兼用の服を売っていたり、スポーツ用品メーカーが、この小説に書いたような多様な体型のマネキンを使っていたりします。なかなか普及していませんが、広がっていくと、もう一段階、自分たちの体に対する寛容度が増すんじゃないでしょうか。

── 販売現場のやりとりにもリアリティーを感じました。

実は私自身が生活雑貨の店で働いていたことがあって。家具や化粧品、服も売っていました。登場人物の一人が、マネキンのスタイルが良すぎてかえって伝わりにくい、と言うのは、実際に私が衣料品担当のスタッフから聞いて納得したことです(笑)。

記憶から丁寧に掘り起こす日常の疑問。奥行きを阻んでしまうメモはとらない

── 彩瀬さんの文章は、絶妙な表現ばかりです。

書いてるうちに思いつきます。ふわっと出てくるんです。シーンごとに書きたいことや、登場人物が漠然と感じているだろうことを、じっと考える。それを言葉に落とし込もうとしていくうちに文章のゴールが見えてきます。

── 目と言葉の解像度が恐ろしく高い。普通の人が見えないところまで見えていて的確に言語化されている。普段、こんな感じで世界を眺めているんですか。

そんなことはないですよ(笑)。日常生活の中で自分がよく分からないことをしたり、会ってる相手が一瞬不思議な表情をしたり、そんな引っかかった瞬間はストックしてます。お話の中でこういうシーンを作りたいと思ったときに、似たような気分になった経験はないか、過去の「?」の瞬間を丁寧に振り返っていく。

メモは取らないですね。書くことの奥行きが決まっちゃうので。できれば、考察ができていないまま、頭の中に収めておきたい。いろいろな瞬間をそのまま置いといて、書きながら、こういうことだったのかと分かっていくのがいいです。

── 多様なスタイル、テーマで作品を書かれています。今回は一人称の単独視点です。

結構迷いました。妻と夫の交互の視点や三人称も考えましたが、物語の中で“エラー”が生じてくるじゃないですか。

── 光の病的な部分が見え隠れしたり、夫の異質さも露わになる切実な齟齬のことですね。

自分の内部にもパートナーとの間にもエラーが生まれる。子どもに何やってんだよって指摘されたりして、情けない気分になりながらも生きていかなきゃいけない。エラーから逃れられない状況でもやっていくしかないという切迫感を書きたかったので、一人称の方がいいのかなって気持ちになりました。

── 本書は書き下ろしです。

難しかったです。実はラストシーンは、第二稿からかなり変わってるんです。最後にもう一段階あったんだ、というのを気づいていなかった。

愛が終わった。それは変わらない事実なんです。ずっと継続してきたものをそっと下ろすことができた。でも、ちょっと時間を置かないと、結末からもう一段階深めることができる、と気づけなかったんですね。

初稿、第二稿までは、自分の書きたかったことが書けているか、ということに集中していました。もちろん着地まで精一杯書いているつもりでいましたが、山のてっぺんまで来た、と思ってたら錯覚で、もう一合あったみたいなことはちょくちょくあります。

── 作品を冷静に見直していく、といった感じなのでしょうか。

デビューして数年間は、出版した時点でもう完璧だと思ってたんです。でも『森があふれる』っていう作品で、原稿を直し続けて完成するまで総力戦になった。ボロボロになって山頂に立ちましたけど、出版後にあれは八合目だったかもしれない、と思ってしまう苦い体験をしました。それからは、まだ実は先があるんじゃないかって、いつも考えてしまいます。

── 時間が経って彩瀬さんの立ち位置が変わったから見えてきた違う景色なのでしょうか。

年月が経って変わっていくレベルの“変わる”だったら、もう別のテーマや切り口で違う本を書いた方がいい。でも一冊の本で本当に山頂まで登り切っているかというのは、材料は揃っているし、文章も書けているんだけど、扱い方が難しかったり、あるいは私の視野が狭いせいで何かが拾えなくなっていたり、という感じです。第三稿ぐらいで、なぁんだ、こっちに行けるんだ、ってわかったりします。あぁ頭固くなってたなって気づく。今回の小説では、二稿で頂上までは登ってたんですが、あ、ちょっと待って、記念撮影スポットが奥にまだあったよ、みたいな感じです(笑)。

── 光と虎治ぐらい話せたら、世の夫婦はもう少しうまくいくのでしょうか。

結婚や就職は、自分が選ぶことですが、自分の意思だけで叶うことではない。運や縁というものが介在しています。仕事でたまたま誰かと繋がったり、偶然結果が残ったりします。夫婦も仕事も、自分の意思だけではうまくいかないけれど、たまたま状況として目の前にある。稀なことであるのは確かです。

断ち切ることだってできます。やめようと思えば。もちろんタスクや手続きや状況を整えなくてはいけないけれど、関係性を破棄することはできる。でも稀な状況を壊さずにおくんだったら、良いもの、喜ばしいものが、そこに現れるようにできたらいいなっていう気持ちがあります。

── 一方で関係性に絡め取られてしまう部分もありますよね。

夫婦でよい関係性を築き、それぞれが自由意志を持ってお互いを大切にできることって、すごく丁寧に考えないと衝突してしまう。そこに悩みを持つのは自然なことです。だからこそ、光は虎治に、黙られたらわからない、言葉を尽くしてほしい、と言う。そういう言葉が出やすくなるといいな、と思います。書き終わって、ラストがわりと明るくなったのはよかったと思っています。

「小説幻冬」2022年10月号より転載

関連書籍

彩瀬まる『かんむり』

「私たちはどうしようもなく、別々の体を生きている」 夫婦。血を分けた子を持ち、同じ墓に入る二人の他人。 かつては愛と体を交わし、多くの言葉を重ねたのに、今はーー。 夫が何を考え、どんな指をしているのかさえわからない。 「私のかんむりはどこにあるのか」 著者四年ぶり書き下ろし長編。

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かんむり

私たちはどうしようもなく、
別々の体を生きている。 

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夫婦とは、家族とは、私とは。ある女性の人生の物語。

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彩瀬まる 作家

1986年千葉県生まれ。上智大学文学部卒業。2010「花に眩む」で第9回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。18年『くちなし』が第5回高校生直木賞受賞。21年『新しい星』が二回目の直木賞候補。その他に『あの人は蜘蛛を潰せない』『骨を彩る』『やがて海へと届く』『不在』『森があふれる』『さいはての家』『かんむり』など著書多数。

幻冬舎編集部

幻冬舎編集部です

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