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親父の納棺

2022.08.04 更新 ツイート

親父が死んだ。そして「納棺師(見習い)」になった。 日暮えむ/柳瀬博一

コロナ禍、身近な人を亡くして、十分なお別れができなかった――という方は多いのではないでしょうか。東工大の教授(メディア論)である著者・柳瀬博一さんは87歳の父を亡くし、納棺師の女性の勧めで、突然、父親の「おくりびと」になりました。そのリアルな体験から、家族の死とどう向き合うのか? というプリミティブな感情を綴った『親父の納棺』より冒頭をお届けします。優しい挿絵は『ひぐらし日記』の日暮えむさんです。

*   *   *

プロローグ

親父が死んだ。 そして「納棺師(見習い)」になった。

「いっそ、お父様のお着替え、お手伝いされませんか?」

すずさんは言った。

「ぼくらが、ですか?」

思わず、問い返した。

「……あの、やってもいいんですか?」

「もちろんです」

1秒前まで想像すらしていなかった。

親父は、目の前に横たわっている。

着替えさせたことなんか、ないぞ。

しかも、死んでいるのだ。親父は。

いきなりリハーサルなしで、私は「納棺師」の仕事を手伝うことになったのだ。

親父が死んだ。実家のある静岡のとある病院で。 歳だった。 その5ヵ月後、フランスの大スター、ジャン = ポール・ベルモンドが亡くなっている。

ベルモンドは親父と同年代だった。親父の鼻の形は、ベルモンドのあの鉤鼻とちょっと似

ていた。唇が分厚いところも似ている。しかし、顔は似ていない。髪型も似ていない。そも そも、若い頃から、親父には頭髪があまりなかった。鼻の形は、私にちょっと遺伝した。

親父の病と死は、新型コロナウィルスの感染拡大時期とぴったり重なっている。

親父自身はコロナに罹って亡くなったわけではない。が、コロナがもたらした急激な社会の変化に、親父は翻弄された。家族も翻弄された。

生きた親父と私が最後に会ったのは、亡くなる8ヵ月前のことだった。

3ヵ月間入院していた病院のエレベーターホールで。たった 分間だけの面会である。 外部の人間が病院に立ち入ることは、原則禁止されていた。

退院した親父は、自宅には戻らず、そのまま特別養護老人ホームに入所した。ここで も、親父と会うことは不可能だった。東京で暮らす私、弟、海外に住む妹、老人ホームか ら徒歩圏内に暮らす親父の妻=母。誰も、親父と面会できなかった。

老人ホームに入所して半年後。体調が悪くなった親父は、再び病院に入院した。引き続き面会はできない。電話で話をすることも無理だった。 すべて、「コロナ」のせいである。

入院から1ヵ月半後。

親父はあっさりこの世を去った。

1年ぶりに自宅に戻った。

南向きの和室に、親父は布団を敷いて寝かされた。

通夜は家族だけで行った。

カソリック教会での葬儀も、参列した人は数えるほどだった。

人が集まることは極力避けねばならなかった。だから、お通夜も葬儀もごく少人数で行わざるをえなかった。親戚の大半も、友人も、知人も、立ち会えなかった。 すべて、「コロナ」のせいである。

親父が死んで、東京から実家に戻ってきた。

自宅の和室に親父が横たわっていた。

誰も弔問にこない。誰も通夜にこない。

喪主の挨拶も、知らぬ人の涙も、大勢の親族との献杯もない。

と書くと、さみしい別れ、のように聞こえるかもしれない。

ところが、である。

実は、ちょっと違った。いや、ずいぶん違った。

私たち家族は、葬儀までの5日間、亡くなった親父とある意味で、通常ではありえなか

った濃密な時間を過ごした。

私が実家を出たのは 年近く前のことだ。東京の大学に進学したのがきっかけだ。以来

ずっと首都圏住まいである。

現在、私は東京工業大学でメディア論を教えている大学教員だ。その前は 年間、日経BPという出版社で働いていた。ビジネス誌『日経ビジネス』の記者を振り出しに、書籍の編集者をやり、ウェブメディアの立ち上げに参画し、広告プロデューサーを務め、合間にラジオのパーソナリティにもなった。週末は、NPO法人「小網代野外活動調整会議」 のメンバーとして、三浦半島小網代の自然保全活動にも従事していた。これはいまもだ。

そんなわけで、私の暮らしの場も仕事の場もずっと首都圏だった。静岡県にある実家に 戻るのは年に1度か2度、盆と正月くらいである。長居はしない。たいがい2日か3日で 東京に戻っていた。 私にとって、5日間も親父と一緒にいたのは、大学卒業以来初めてである。もちろん、 その親父はもう死んでいるわけだが。

それだけではない。私は、葬儀の前に想像もしなかった経験をすることになった。親父の納棺を直接手伝ったのである。

手伝ったどころじゃないかもしれない。納棺の儀の大半を、いきなり練習もリハーサルもなしにやったのである。

私は、病院から死んで戻ってきた親父と、荼毘に付されるまでの5日間、ある意味で生

きていたとき以上に深く寄り添うことになった。

……奇妙な話だが、「コロナ」のおかげである。

2020年1月以来、世界を覆い尽くした新型コロナウィルスは、私たちの日常からさまざまなものを瞬時に奪った。たくさんの人々の生命が危機にさらされ、人と人とが物理的に会うことが困難になり、当たり前の社会活動ができなくなった。私の場合、親の死に目に会えなかった。

一方、コロナ禍は、想像もつかなかった体験をもたらした。物理的に会えない代わり に、私たちはインターネットのリモート会議サービスを活用し、遠く離れた家族や友人 と、かつてより頻繁に密接にコミュニケーションをとるようになった。出勤や通学を自粛 せざるをえず、自宅にこもるようになって、家族と向き合う時間が物理的に増え、近所で 過ごすことが多くなった。

親父が火葬場で灰と煙となった夜。私は、5日間の経験を、その間に劇的に変化した自分の主観についてを、そのままパソコンに打ち込んだ。生々しい体験だったが、だからこそ、すぐに書かなければ、あっという間に忘れてしまっただろう。

自分の経験と感じたことを言葉に置き換えているうちに、気づいたことがあった。

死んだ親父の体に直接ふれ、服を着替えさせる納棺という仕事。それは、きわめて具体的な「死者との対話」だった。

納棺の手伝いをするその直前まで、私は親父の死を、親父の遺体を、ちゃんと感じることができていなかった。

コロナ禍でずっと会っていなかったからだろうか。最期を直接みとれなかったからだろうか。そうかもしれない。そういえば、祖父母や友人が突然亡くなったとき、目の前に遺体があるのに、なぜかリアリティを感じることができない。そんな戸惑いを覚えた経験が何度かあった。

実際の通夜や葬儀の場で、そこに親しい人間の遺体があるのに、その遺体の意味を、死んだという事実を、二度と戻ってこない喪失を、うまく汲み取れない。目の前に遺体があるのに、だ。親しかった人の遺体がリアルな存在に感じられない。白い棺に入り、花に縁取られ、白装束を身にまとった故人。亡くなったばかりの本人の体が横たわっている。

現代においては、よっぽど近くで寄り添っていない限り、私たちは、亡くなった人の死に直面することが困難だ。お通夜に駆けつけても、故人はすでに棺に納められ、祭壇に飾られた花とともに、本人ではなく本人の象徴のような存在になっている。そのまま翌日に なれば、葬儀が行われ、すぐに荼毘に付されてしまう。遺された者が故人の死を肉体的に直接感じる機会は、ほとんどない。

実家に戻って、布団に横たわる亡くなった親父と対面したとき、戸惑った。

うまく感情が出てこない。そして、妙に覚めた、妙に他人行儀な、斜め上から見ている ような自分の視線に気づいた。私はますます戸惑った。なぜ、こんなによそよそしいんだ。

その戸惑いは、しかし翌日の午後、ある行為によってたちどころに消えてしまった。

納棺師の誘いで、私は、親父の体にふれ、手を握り、裸にし、服を着替えさせた。

その瞬間、目の前の遺体は、抽象的な存在から、昔から知っている肉親に戻った。

着替えさせながら、私は親父に話しかけた。声を出して。

まさに「死者との対話」というやつを、きわめて即物的にやっちゃったのだ。そしてその経験は、思わぬものを、亡くなった親父と私と家族にもたらしてくれた。

ひとことで言うと、「ケア」だ。 では、そのケアとはなにか。

興味を持っていただけたら、続きを読んでみてください。

関連書籍

柳瀬博一/日暮えむ『親父の納棺』

東工大の教授(メディア論)である著者が、納棺師の女性の勧めで、突然、父親の「おくりびと」になったリアルな体験から、家族の死とどう向き合うのか? というプリミティブな感情を綴る。遺体の着替えをやるなどして考えた「死者へのケア、死者からのケア」についての論考と、「コロナ禍」で向き合う家族の死と「Zoom」の関係も。付章として、養老孟司さんと、「おくりびとアカデミー代表」木村光希さんへのインタビューも収録。

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親父の納棺

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日暮えむ

成田市在住。利根川沿いの田園風景が広がる豊住地区に生まれ育つ。小3のとき、担任の先生からすすめられて日記を書きはじめ、以来1日もかかさず続けてきた。その日記をもとに、昭和・平成・令和へとまたがるエッセイ漫画「ひぐらし日記」(コミックNewtype)、「新ひぐらし日記」(cakes)を執筆。2019年、幻冬舎×テレビ東京×note「コミックエッセイ大賞」で審査員特別賞を受賞。2022年に初の著書『ひぐらし日記』(KADOKAWA)を上梓。

柳瀬博一

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)。1964年生まれ。

慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社し「日経ビジネス」記者を経て単行本の編集に従事。『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などを担当。「日経ビジネスオンライン」立ち上げに参画、のちに同企画プロデューサー。TBSラジオ、ラジオNIKKEI等でパーソナリティとしても活動。2018年より現職に。著書に、『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著)が。初の単著となった『国道16号線』(新潮社)が2020年11月上梓以来好調。

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