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「超」古代文明の謎

2022.07.30 更新 ツイート

第1回

モアイ像は「ムー大陸」の遺産!? 誰が何のために造ったのか 島崎晋

謎とロマンにあふれている古代文明。あの建造物や不思議な絵などは、いつ、誰の手で、何のためにつくられたのか……? 世界中に残る謎に満ちた遺跡や神秘的なスポットについて解説。第1回はイースター島のモアイ像の謎をお送りします。

*   *   *

(写真:iStock.com/AlbertoLoyo)
 

絶海の孤島に立ち並ぶ巨像

南太平洋の東部に浮かぶイースター島。1888年以来、南米チリの領土となっているこの島は、モアイ像という巨像が建ち並ぶことで知られている。

形状だけを見るなら、日本の「こけし」に近いが、モアイ像はすべて石製でサイズは桁違い。最小のものでも高さ1.13メートル、最大のものだと高さ21.6メートル、重さ160~182トンにもなる。周囲58キロメートルというから、佐渡島の4分の1程度しかない小さな島に、こんな代物が約1000体も確認されているのだから驚きだ。

イースター島はチリの首都サンティアゴから飛行機で5時間40分ほどの距離にあり、フランス領ポリネシアのタヒチ島からでも飛行機で5時間ほどかかる。周囲とそれほど離れているなら、絶海の孤島と呼ぶのも大袈裟ではない。

製造したのは「ムー大陸」の生き残りの人々か

ヨーロッパ人が初めてイースター島に上陸したのは1722年のこと。当時はポリネシア系の住民のみで、モアイ像については断片的な伝承しか持たず、島の遺跡に残るロンゴ・ロンゴ文字を読める者もいない。そのためヨーロッパ人は、ポリネシア系住民が同島に住むようになったのは、モアイ像を造った人びとの後裔が死に絶えた後と決めつけた。巨大な石像を造り、移動させるだけの技術を、ポリネシア系住民が持っていたはずはなく、高度な文明を有した先住民がいたに違いないと。

いつの頃からか、モアイ像を製造したのは、高度な文明を誇りながら、1万2000年前の天変地異により一夜にして水没したムー大陸の生き残りという説が唱えられるようになった。

ムー大陸は一つの帝国により治められ、総人口は6400万人。高度な石造建築物をつくり、港には全世界の物資が集散した。同大陸は南太平洋の中央部に位置し、危うく難を逃れた人びとがイースター島を第二の故郷として住み着いて、ムー伝統の技術を使い、モアイ像を築いたというのである。

しかし、ムー大陸の存在を示す遺物はこれまで一つとして発見されていない、しかも、ムー大陸について最初に言及したアメリカ在住の英国人作家ジェームズ・チャーチワードも自説の根拠とした古代碑文のオリジナルを公開することなく、経歴詐称や文書偽造の余罪も暴かれたことから、少なくとも学問の世界では、ムー大陸の存在を信じる者は皆無に等しい。

謎だらけの製造者

それならば、イースター島のモアイ像はいつ、誰の手で、何のために造られ、どのようにして運ばれたのか。

巨人によって造られたとする島の伝承もあるにはあるが、巨人の実在を証明する文物が皆無な以上、その信憑性はムー大陸と似たり寄ったりと言うほかない。

モアイ像の製造時期は、古いものでは紀元400年頃、もっとも新しいものでは1680年頃と非常に幅広く、時代が下るにつれ、大型化が進んだと推測される。

次に製造者だが、これはポリネシア系の人びと以外には考えられない。彼らには無理との見方は、いかにも近代のヨーロッパ人らしい偏見である。製造法が継承されていないことをもって疑問視する向きもあろうが、それはエジプトのピラミッドも同じこと。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスはその著『歴史』のなかで、聞き取り調査の結果について詳しく記しているが、現在までの考古学上の成果から、その大半が誤りであることがわかっている。住民構成は変わらずとも、技術や情報が後世に正しく伝えられないことは珍しくないのだ。

(写真:iStock.com/lovelypeace)

モアイ像は自分で歩いた!?

製造場所は島内のラノ・ララクという石切り場であることが判明しており、運搬方法については、木製の橇(そり)に載せたとする説、地面に多くの丸太を置いて少しずつ滑らせたとする説など唱えられているが、少なくとも現在のイースター島には木材になりうる大木が存在しない。

そこで再注目されたのが、「モアイ像は自分で歩いた」とする島の伝承である。ロープを巻き付け、左右から交互に引っ張り、歩かせるように運んだのではないかというのだ。

2011年にはナショナルジオグラフィック協会の出資のもと、3本の頑丈なロープで、高さ3メートル、重さ5トンのモアイ像のレプリカを運搬する実証実験が行われ、わずか18人が少し練習しただけで、モアイ像を短時間に数百メートル動かせることが証明された。あやふやな伝承も、時には核心を伝えてくれることはあるのだ。

なぜモアイ像の製造が途絶えたのか

最後に製造目的だが、約1000体のうち、海を向いているものがわずか7体という事実からすれば、外敵を威圧することが目的とは考えにくい。

けれども、海岸近くのものを除けば、集落を囲むように建てられたことがわかっているため、集落の守護神か祖霊の墓碑、もしくは豊穣祈願のモニュメントなど、祭祀にまつわる何かであることは間違いなさそうである。

ちなみに、海に向かって立つモアイ像7体のことを「アフ・アキビ」という。海の向こう側からやって来た伝説の王ホツマツオの従者とも伝えられる。

モアイ像の製作が途絶えたことに関しては、島内の戦乱で、技術者や口頭伝承を受け継ぐ者が死に絶えたためと推測しうるが、なぜ巨像でなければいけなかったのかなど、モアイ像についてはまだまだ未解明な部分が多く、今後もミステリー色が払拭される日はこないであろう。

(写真:iStock.com/Ricardo Jara)

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「超」古代文明の謎

謎とロマンにあふれている古代文明。あの建造物や不思議な絵などは、いつ、誰の手で、何のためにつくられたのか……? 世界中に残る謎に満ちた遺跡や神秘的なスポットについて解説。

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島崎晋

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、出版社で歴史雑誌の編集を経て、現在は歴史作家として活躍中。主な著書に『ロシアの歴史 この大国は何を望んでいるのか?』(実業之日本社)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『鎌倉殿と呪術 怨霊と怪異の幕府成立史』(ワニブックス)、『人類は「パンデミック」をどう生き延びたか』(青春出版社)などがある。

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