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大名やくざ

2019.07.29 更新 ツイート

#4 飛んで火に入る悪い奴…粋でいなせな痛快時代小説風野真知雄

虎之助は旗本、有馬家の次期当主。ところが屋敷を一歩出れば、着流しを大きくはだけて目つきは鋭く、「若親分!」と方々から声が飛ぶ。じつはこの虎之助、侠客の大親分を祖父に持つ根っからのやくざだった……。風野真知雄の痛快時代小説シリーズ、『大名やくざ』。次々と舞い込む難題に、稀代の暴れん坊はどう対峙するのか? 読めば江戸にタイムスリップしてしまう、臨場感たっぷりの本書の第一話をご紹介します。

*   *   *

ふと見ると、風向きが変わったのか、火のついた紙屑などが塀を越え、有馬屋敷に飛び込んで行くのが見えた。

「おい、危ねえな。ちっと気をつけろと言ってきてやるか」

虎之助は梯子を借りると有馬屋敷の塀にかけ、たちまち塀の屋根によじ登った。

(写真:iStock.com/Yue_)

旗本屋敷などとは比べものにならない豪壮な屋敷と、きれいに整えられた庭が見えた。とにかく広い、大きい。

いちおう火消しらしい連中もいるが、どうやら煙が流れているほうに集まって、水をかけたりしているらしい。こっちにはほとんど人けがなくなっている。

虎之助は屋根のわきの松の木をつたって地面に降りると、火の粉のようすを見ながら庭を横切った。

ふと、庭に面した部屋に誰かが寝ているのが見えた。

──病人がいるのか。

火が移って逃げ遅れたりしたらいけない。ひとこと注意を促してやろうと、

「火消しの者だが、ここまで火の粉が来てるんじゃねえですかい?」

と、声をかけた。

寝ていた人がなにか言ったが聞こえない。

「なんですって?」

近づき、縁石から廊下に上がった。

寝ているのは若い男だった。一瞬、

──これが、死にそうだという殿さまか?

と思ったが、殿さまにしては若過ぎる。

若い男は、驚いた目で虎之助を見ている。

「具合が悪いんですね。飛び火するようなら早めに逃げたほうがいいんだが、ここの屋敷の人たちは皆、向こうに行っちゃってるみてえだ」

虎之助は振り返って、火の粉の飛び具合を確かめた。

だいぶ火勢は衰えたらしく、ここまで飛んで来るような大きな火の粉はなくなっていた。

「なんとかおさまるかな」

そう言ったとき、

「なんだ、そのほうは!」

向こうで声がして、何人かの武士がこっちへ慌てて駆けて来るところだった。

「おっと、間抜けな連中の相手してる暇はねえんだ。じゃあな、お若いの」

虎之助は寝ていた男にそう言うと、いっきに庭を横切り、松の木から塀の屋根、さらに外へと逃げ出した。

さっきいたところにもどると、すでに火はだいぶ小さくなっているのが見えた。

火消し連中も集中して水をかけているので、これでおさまりそうだった。

いまのところ、全焼は稲荷神社の祠と家が二軒。

取り壊したのが三軒。

──我ながらいい指図だったぜ。

虎之助も満足した。

一息ついたところだった。丑蔵のところの若い者がやって来て、

「虎之助さん。あっしが来るとき、店の近くで独眼竜を見かけましたぜ」

と、告げた。

「なんだと」

まだ逃げていなかったのか。

──ほんとに、なにしに来てやがるんだ?

不気味な動きである。

「そういえば、おじいはどうしてる?」

ふと不安になって、若い者に訊いた。

「こっちに向かったはずですが」

「まだ来てねえぞ」

浜松町二丁目からここらまでは半里(およそ二キロ)もない。せいぜい十二、三町(およそ一・三~一・四キロ)といったところ。いくら肥り過ぎの年寄りにしてもずいぶん遅い。

嫌な予感がしてきた。

──もしかしたら、この付け火でおじいをおびき寄せたのではないか。

「ぶんき、わりいな」

「え?」

「ねむが騒ぐんだよ」

ここの指図を代わってもらうため、弥次郎を捜した。

弥次郎はいちばん前で水をかけていた。

「兄貴。おじいのことが心配になった。ちっと見て来る」

「おい、虎。火事は消えちゃいねえぜ」

「でも、だいぶ下火になっているし」

「最後の仕事もあるだろうが」

そうなのだ。

棟梁役を務めたら、消えたあとも仕事がある。丑蔵一家の働きを町方などに売り込まなければならない。

褒美はもちろんだが、それで各方面に貸しをつくっておくのだ。

「おれが見て来るよ」

弥次郎が行こうとしたとき、

「虎之助さん。たいへんです!」

別の若い者が駆け込んで来た。

「おい、まさか」

「丑蔵親分が斬られました!」

「おじい、しっかりしろ!」

虎之助は浜松町二丁目の駕籠屋に駆け込んだ。

(写真:iStock.com/VTT Studio)

丑蔵は一階の奥の部屋に寝かされ、医者と虎之助の母の辰が晒しを巻いているところだった。

医者はなじみの金創医で、若い衆の斬った張ったがあると、かならず呼んで来る医者だった。

丑蔵は背と腹を斬られたらしい。傷はもう縫いつけたあとだったが、晒しに滲む血のあとから察するに、かなり深手だったようである。

「誰かおじいといっしょにいたのか?」

虎之助が訊いた。

「あっしと舟次が」

丑蔵を支えるのを手伝っていた若い衆の与平が言った。

すこし離れてもう一人寝かされているのは、昼間見かけた漁師の倅の舟次だった。

「独眼竜か?」

「いえ、侍です」

「侍?」

「三人で駆けつける途中、侍がいきなり斬りかかってきたんです。火消しの道具を持っていて戦ったんですが、あっという間に親分と舟次も斬られて。あっしは後を追おうとしたんですが、親分が心配で」

「ああ、それでよかったんだ」

虎之助はそう言って、次に舟次の枕元に座った。

舟次は丑蔵より真っ白い顔になっていた。

だが、目は開けている。それでもはっきりは見えていないような、不安げな目つきだった。

「舟次、わかるか?」

「虎之助さん?」

「ああ、おれだ。しっかりしろよ」

「すみませんでした」

泣きそうな顔になった。

「おめえのせいじゃねえ」

「足洗えとか言わないでくださいよ」

「ああ、わかったよ」

「おれはやくざなんだから」

誇らしげに言うと、首が落ちた。

こいつは幾つだったのだろう。まだ二十歳にもなっていなかったのではないか。

「舟次……仇は討ってやるからな」

医者がとりあえず手当てを終えたところに、火事の後始末を終えた弥次郎たちももどって来た。

「親分……」

皆、愕然として、丑蔵を囲んだ。

医者が桶の水で手を洗いながら、

「肉がたっぷりあるおかげで内臓までは届いていなかった」

周りを見回して言った。

「ふう」

若い衆からため息が洩れた。

「でも、太い血の道や筋をやられ、ずいぶん血が出た。助かるかどうかはわからない」

「そんな」

動揺が走った。

「おじい、しっかりしろ!」

虎之助が怒鳴った。

丑蔵がうっすらと目を開けた。

「おじい……」

「おれがどうにかなったら、跡目を継ぐのは弥次郎だ」

「え」

「わかってんだろうな」

弥次郎が意外そうな顔をしたのを見た。

「わかってるよ、おじい」

虎之助はうなずいた。

それは前から言われてきたことだった。

侠客というのは、倅に代をゆずるということはしない。強い者にゆずる。それをしないと、子分たちは離れていくことになる。

「武士が腐ってきたのも、力のない倅に家督をゆずりつづけているからだ」

丑蔵はつねづねそうも言っていた。

虎之助も滅法強い。子分にも慕われている。だが、血縁ではない弥次郎を跡目としたのは、丑蔵の気質からしても当然だろう。

ただ、弥次郎が意外そうな顔をしたことは気になった。

「ちっと出かけて来る」

虎之助が立ち上がると、

「どこへ行く気だい?」

辰が鋭い声で訊いた。

辰は、沈んだ部屋には似つかわしくない派手な着物を着ている。赤や黄色の蝶々の柄。それに金糸の入った緞子の帯を前で結んでいる。虎之助同様に堅気の女には見えない。

「虎之助さん。仕返しならあっしも」

「おいらも」

たちまち七、八人がドスを掴んで立ち上がった。

「待て、待て。安心しろ。おれはそんな頭の悪い猪みたいな真似はしねえ。ちっと知り合いに訊きてえことがあるだけだ」

虎之助は若い衆をなだめた。

「すぐもどるよ」

そう言って外に出ると、足早に江戸の中心部に向かった。

通りの店の間口はどんどん広くなる。

天下の日本橋を渡って、本小田原町。

ここに日本橋から神田、京橋一帯を縄張りにする大物やくざがいるのだ。

〈鎌倉の万五郎〉である。

綽名の通り、鎌倉から江戸に来た。家康が江戸に入ったとき、荒くれ者の人夫たちを鎮める役として、鎌倉の魚屋の棟梁を招いたという。

「お墨付きもある」

というが、誰も見た者はいない。

だが、いまや押しも押されもせぬ江戸の大親分である。子分の数で言えば、丑蔵の三倍はいる。

ただ、このところ何度か、両国界隈の揉めごとで、浅草の独眼竜に負けたという噂もある。

両国はいま、江戸でいちばんの歓楽街になっている。ここの実権を浅草のやくざに握られたりすると、やくざの勢力地図は大きく塗り替えられてしまう。

万五郎と丑蔵とは、昔からの知り合いだが、どこまで気心が知れているのかは、虎之助にはわからない。

万五郎の家は、江戸に来たときから、表の商いとして魚屋を営んでいる。だが、先々代から金貸しを始め、儲けも莫大らしい。

住まいは魚屋の裏手にある。そっちへ回り、

「鎌倉の親分に会いたいんだ」

と玄関口で声をかけると、数人いた子分たちが色めき立った。

「おめえは、水天宮の虎じゃねえか」

〈水天宮の虎〉とは、虎之助の通り名である。

「ほんとだ、虎だ」

「なにしに来やがった」

子分たちはいきり立った。いまにも食いつきそうに顔を近づけてくる者もいる。

虎之助は、そんな子分たちのようすをゆっくり見回し、

「そう騒ぐなよ」

落ち着いた声で言った。

「てめえ、殴り込みか」

「一人で殴り込むか、馬鹿。万五郎親分に訊きてえことがあるんだ」

若い衆が一人、奥にすっ飛んで行った。

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風野真知雄『大名やくざ』

有馬虎之助は大身旗本の次期当主。ところが屋敷を一歩出れば着流しを大きくはだけて目つき鋭く、「若親分!」と方々から声が飛ぶ。じつはこの虎之助、侠客の大親分を祖父に持つ根っからのやくざだった――。敵との縄張り争い、主筋の藩の跡目騒動、次々と舞い込む難題に稀代の暴れん坊がはったりと剣戟で対峙する!  痛快時代小説シリーズ第一弾。

風野真知雄『大名やくざ2 火事と妓が江戸の華』

風野真知雄『大名やくざ4 飛んで火に入る悪い奴』

風野真知雄『大名やくざ5 徳川吉宗を張り倒す』

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風野真知雄

1951年、福島県生まれ。立教大学法学部卒業。93年「黒牛と妖怪」で第17回歴史文学賞受賞。2015年、「耳袋秘帖」シリーズで第4回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞を、『沙羅沙羅越え』で第21回中山義秀文学賞を受賞した。「極道大名」「大名やくざ」「女だてら 麻布わけあり酒場爺いとひよこの捕物帳妻は、くの一耳袋秘帖  眠れない凶四郎」「大江戸落語百景」「昭和探偵」などの人気シリーズや『恋の川、春の町』ほか著書多数。

 

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