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銀河食堂の夜

2018.10.05 公開 ポスト

さだまさしさん、最新小説『銀河食堂の夜』より。

マジカのケンタロー始末『無器用な男』さだまさし

『銀河食堂の夜』のこと
30年ほど前、角川書店の「野性時代」に同題の連作短編を書いた。『銀河食堂の夜』というタイトルは僕が賢治ファンであることを知っていた編集者からの提案だった。当時「小説」を書く意識が希薄で小説としてはかなり雑なものだった。そのことはずっと気になっており、最近改めてこの物語を書き直したいという欲求が湧いて「小説幻冬」に隔月連載で書かせて貰った。舞台の葛飾区四つ木は中学時代を過ごした愛着のある町だが、物語と今の四つ木とは大いに様子が違う。心の中に在る故郷のようなものだ。勿論四つ木に『銀河食堂』は実在しないが、万一この店にふと「行ってみたい」などと思っていただけたなら、ありがたきしあわせ。   

                                  さだまさし

「マジカのケンタロー始末『無器用な男』」『銀河食堂の夜』第三話 試し読み

 春になりますと、風の色が変わるように人々の顔が新しくなります。
 学校、職場での新しい生活が始まって、いつもの道でも違う顔が目立つようになりますな。
 昨日まで何だか頼りなかった小学生の坊ちゃんが、中学生になった途端に妙にきりりとした顔ンなって、少し大きめの学生服に身を包んで胸を張って勢いよく歩いていく。
 女の子の方も学生から社会人になりますと、真新しいスーツに身を包み、つい数ヶ月前までは茶色だか金色だかに染めていた髪を染め戻したりします。
 意見には個人差がございますが、やはり日本の女性は黒髪が似合いますようで。
 その肩口まで伸ばしました黒髪も、決してざんばらにはいたしませんで、ぐっと頭の後ろで決心の一束にきりりと結んだかと思うと、真新しい鞄を提げて駅に向かって少しばかり早足になって歩いてゆく姿は、一夜のうちに生えた新鮮な筍のように勢いがございますな。
 そんな季節、おなじみの「銀河食堂」のお噂でございます。
 お母さんも髪を染めたようでして、黒々とした髪の色になりますとまた一層若く見えます。
 お天気の方は三寒四温から次第に菜種梅雨に移ります。
 降るような降らぬような、それでも雨模様と言うには空も高く、時折青空も覗こうという、気象予報士を悩ませる昼下がり、午後二時頃にお店にやってまいりましたお母さん、何やら珍しく店の中で料理をしておりましたが、出来上がってカウンターに並んだ大皿は「肉ジャガ」でございました。
 マスターが現れましたのはいつもの午後四時過ぎで、まずは奥の納戸から……といいますか物置……いや、ここは小部屋と申しておきましょうか……チェロのケースを運び出しまして、楽器を取り出しますとそっと調弦などいたします。
 店の奥に飾ってありますチェロは、出しっ放しの置きっ放しではございませんで、毎日閉店後、マスター自らファイバー製のケースに仕舞いまして、きちんと奥のその……小部屋に仕舞うのでございます。
 で、開店前にこれを取り出しまして毎日自分で調弦をいたしましてから、店の奥の角にある五寸高、一辺が五尺五寸ほどの直角三角形の、決してステージとは呼べない狭い台の上に倒れぬように立てかけます。
 つまりこのチェロは只の飾りではなく、マスターも大切にしている本物の楽器なのでございます。
 そうこうしております間に、お母さんが様々な料理を運んでまいりまして開店準備も整うわけで。
 本日カウンターの主役はじっくりと煮た豚の角煮「トンポーロー」です。これをお手製の蒸した熱々の酒饅頭の皮に挟んで食べますと絶品です。いわゆる角煮饅頭というヤツで。但し饅頭は数に限りがありますので、「吉田庵」のテルの現れます頃にはとうに売り切れております。
 それから「小イワシの南蛮漬け」。玉葱をスライスして軽く水に晒し、よく水切りしたものを南蛮漬けの上にぱあっと撒きまして、特製のお酢で頂きます。このお酢がまた甘すぎず辛すぎず、醤油の風味の、微かに遠くでショウガとゆずの香りがいたします絶品で。
 他には鶏肉とレンコンとゴボウとこんにゃくを煮付けたものなど、見るだけでもう、つい日本酒が欲しくなりますな。
 また、お母さんの得意な雪花菜が毎度大皿に載っておりますが、これはもう、舌触りがフエルトのような、きめの細かい卯の花に長崎産のひじき、山梨県市川三郷産の人参、お手製のお揚げなど選りすぐりの食材で拵えられておりまして。甘すぎず、辛すぎず、何ともこう、奥行きのある、妙な言い方ですが実にこの、雪花菜離れしたような立派な雪花菜で。
 その他に、今日は出始めの野菜にベーコンを焼いて刻んだのやらゴボウの揚げたのやらをまぶしましたトスサラダといったもの。
 これらがカウンターの上に並んでいて、このお総菜が好きで通う人もあるほどですが、〆にはうどんでもそばでも、時にはラーメンまで出してくれる上にお値段もリーズナブルというのですから、客の方は幸せな限りで、あとは気の置けぬ仲間と杯を傾けるばかりという塩梅ですな。

 今夜は浅い時間に、このところすっかり常連になりました保険会社の恵子とさおりが、新人の「まあやん」と呼ぶお嬢さんを連れてきておりましたが、何だかその後の予定があるそうで、軽く食べながら(角煮饅頭はここで売り切れです)軽く飲んで、八時過ぎには帰りました。
 まあやは麻絢と書くそうで、きらきらネームというのでしょうか、こうなるともう一体どこの国の人だか、さっぱり分からない。
 お嬢さん方が帰るのと入れ替わるように、コンピュータ修理のブンこと菅原文郎がカラン、とカウベルを鳴らして滑り込むように現れました。
「あれ、今日はお早いですね。お帰りなさいませ」
「九州から帰ったばかりだよ。もう桜が咲いてたぜあっちは」
 ブンは首を左右に折り曲げてポキポキと音をさせて入り口に一番近い席に座ったあと、伸び上がって目で大皿を物色してから、
「今日はもう寝るだけ。マスター、雪花菜と肉ジャガね」
「お持ちいたします。そうそう、今日は珍しくズワイガニが入りましたよ」
「へえ!? ぜーたくだなぁ、ズワイガニ?」
「ええ、山陰の蟹はもう終わりましたが、青森の知人が送ってくれましてね」
「頂くに決まってるでしょ」
「では日本酒にしますか?」
「さすが。吟醸酒がいいな」
「黒龍の『しずく』がございますよ。蟹に一番合うお酒です」
「うっひゃあ、最高じゃんよ」
 少し冷やした「しずく」正一合のクリスタルの徳利を脇に置いて、ブンが手酌で旨そうに、これまたクリスタルの酒杯を舐めております。
 そこへ追いかけるように、葛飾警察署生活安全課勤務の安田洋警部、通称ヘロシが、明日は非番らしくジャージ姿で現れます。
「お帰りなさいませ。あ、おニューですね?」とマスター。
「いつものジャージじゃんよ」とブン。
「さすがマスターだね。分かるんだ」
「発色が違います」
「へえ。俺にはどう見てもテツandトモにしか見えねえ」とブン。
「うるせえよ。お? ブン、何だよ豪勢だな。蟹で日本酒か?」
「うん。やっぱ蟹ときたら日本酒でしょうが」
「分かるなあ。でも俺はホッピーね、マスター。それからその、雪花菜と……南蛮漬けと……蟹まだあるの?」
「ございますよ」
 その時またカウベルが鳴りました。
「三人ですが……いいですか?」
 どうやら今夜は大繁盛のようで、三人連れの男性が入り口に立っております。三人とも初めて見る顔、いわゆるイチゲンさんですな。
 先頭の男性はブンやテルよりは少し若い人でしょうか、それでも四十でこぼこ。スーツ姿が板についておりますところを見ますと、しっかりとしたサラリーマンに違いない。
 後ろの二人はもう老齢に見える紳士です。一人は三つ揃いの高級スーツに身を包んだ物分かりの良さそうな、一目でインテリだと分かる白髪の紳士。それから一番後ろの一人は見るからに気の弱そうな、それでもいかにも人の好さそうな人で、どこかの会社のユニフォームのような作業着を着ておりまして、こちらは七十歳に近いかもしれませんが、ほとんど薄くなった白髪をきちんとオールバックになでつけております。
 若い人と年配の二人とは、およそ親子ほど歳が離れて見えます。ま、一口に申し上げれば、いわゆる不釣り合いな三人連れでございます。
「さあ、どうぞ。お帰りなさいませ、奥が空いております」
 マスターが柔らかく誘うと、三人は先客に軽く会釈をしながら奥の方に座ります。
 三人はそれぞれ「取り敢えず」とか言いながら生ビールを頼み、改めて乾杯などいたしまして、そこはそれ、酒場らしく次第にゆるゆるとほぐれていくようで。
 それにしても、飲み友達とも会社の寄り合いとも違う、奇妙な三人連れで、巧くは言えませんが、なんだかそれぞれの体温が微妙にずれている、と言いますか、普段はさほど親しいわけではない三人、と見えますな。
 暫くしてカラン、とカウベルが鳴って吉田庵のテルが現れるなり愚痴をこぼしております。
「新しく若いのを入れたんだけど、こいつがまた酷く要領悪くてさ。誰でも最初はそうだけど、ま、そのうち、だな」
「要領よく出来る奴ならおめえんとこなんかに修業に来ねえよ」
「確かに」大声で笑ったテル。
「マスター、俺もその、豪勢な蟹と、肉ジャガと、南蛮漬けと……ワインね。ああ、腹減った」
「今日のグラスワインはイタリアですが」
「いいんだよマスター、イタリアだかフランスだかカリフォルニアだかコイツ分かっちゃいないし」ブンが毒づいています。
「確かに」テルは逆らいもせず一緒に笑っています。
「ああ旨ぇ」
 グラスワインを一口飲んで大きく息を吐きだしたテルの横顔をじっと見ていた先ほどの三人連れの一番若いのが、ふと呟くのが聞こえました。
「あれ? テルさんじゃないですか」
 振り返ったテルの顔がほころびました。
「あん? ケンタローか?」
「ああ、やっぱテルさんだ」
 ケンタローと呼ばれた男が立ち上がってテルに挨拶しています。
「久しぶりじゃねえか、おめえ老けたなあ」
「酷(ひで)えなあ。でもテルさんは変わらねえなあ」
 ケンタロー、嬉しそうです。
 テルがケンタローと呼んだ相手はこの辺りで一番大きな軽金属加工会社、東亜軽金属の総務をやっている茂木健太郎で、彼もテルの幼なじみで、やはり木根川小学校、中川中学校の二年後輩になります。
 驚いた時や感嘆符がわりに『マジか』と言うのが癖なので、渾名は『マジカのケンタロー』。
「お楽しみのとこ、お邪魔してすみません。私この近くで蕎麦屋をやっている吉田と申します。コイツの小学校中学校の同窓生で」
「あの、僕の先輩なんです」とケンタロー。
 それから改めてテルに連れの人を紹介します。
「ウチの会社の弁護士さんと……その……古い友達です」
 口ごもっているのを引き取るように、「私は茂木くんの……東亜軽金属の弁護士の室井っつうもんです」と、弁護士さんが手をさしのべて握手をします。
 物腰の柔らかさは勿論、そのくだけた親しみの籠もった口調は、弁護士という難しい仕事をやっている人とはとても思えない。
 いっぺんでテルは打ち解けたようです。
 テルはこれで案外難しいところがあって、気に入らないと、隣に座っても口もきかない強情なところがあるのでございます。
「この二人は……」テルはブンとヘロシを振り返って、「こっちは菅原ブン、コンピュータの会社勤め。こっちは安田ヘロシ、ヘロシは警察官です」。
「菅原です」
「安田と言います」
「やあ、はじめまして。ああ、そうですか警察の人」と室井氏。
「今は生活安全課にいます」とヘロシ。
「あ、そりゃ大変だ」弁護士はヘロシの大変さが分かります。
「兄弟みたいな連中でね、そういう意味ではこいつらもこのケンタローの先輩ってわけです。よかったら一緒にやりませんか」
 テルがそう言うと弁護士の室井氏はぱあっと明るい顔で、「いいねえ、望むところだ」。
「おっと先生、望むところ、はいいね」
 テルったらすっかり友達口調です。
「先生はよそうよ、室井恵っていうんだ、めぐみちゃんの恵ね。だからけーちゃんでもいいよ。それからこの人ぁね」と隣の人を指して言います。「古い友達でね、今、立石のデイケアサービスで手伝いをやってる菊地さん。ヨロシクね」
「菊地と申します」
 立ち上がると、何と言ってるんだか分からないような小さな声で、もそもそと何やら挨拶をしているその人、歳の割にいかにも頼りないように映ります。
 七十まではいかないだろうが、こんな無器用な感じの、しかも年配の人がデイケアサービスで働いているとなれば、なるほど今や老々介護の時代なのだということが却って知れる。
「ああ、立石のってえと、あそこですか? 奥戸橋の手前の……こっちから行くと右手の方にある?」
「そうそう」と室井弁護士が引き取る。「デイケア『かつしかみのりの家』ってところなんだよ」
「ああ、それ、俺の知り合いのおばあちゃんがお世話になってるとこですよ」とテルが膝を打ちます。
「へえ? なんて人?」と室井氏。
「松井(まつ い)って人なんです。常連さんのお母さんで」
「知ってる? 松井さんって人」室井氏が菊地さんに聞く。
「あ。平和橋の近くにご自宅のある方……」口の中で菊地さんがもそもそと答える。
「そうそう、平和橋の近く」テルが言う。
「へえ? 知ってる人?」と室井氏。
「はい。私の……担当なんです」
「ほお、そりゃあ奇遇だ。いやその松井さんってのぁ、いい人でねえ」テルが語り始めて一同の気持ちが解れていく。
 良い酒場は良い集会場でもあり、良い学舎でもあります。生徒同士は、あっという間に打ち解けて参りますな。
「それにしても先生さぁ」とすっかり座が温まってご機嫌になったブンが室井氏に尋ねます。
「軽金属と弁護士さんとデイケアってのは、三題噺みてえな飲み仲間だなあ」
「いや、この三人で飲むのは珍しいんだよ」
 室井弁護士がそう言います。
「三回目……だったかな?」と指を折ってケンタローが続けます。
「僕と菊地さんとか、菊地さんと先生とかで飲むことはあるんですけど、三人で一緒に飲むのは珍しいんです」
「そういう関係ってあるよな」とブン。
「室井先生には今ウチの顧問弁護士をお願いしてるんすけど、……昔、とある裁判でお世話になった……っつうか……ま、色々ありまして」
 ケンタロー、しどろもどろで何を言っているのか意味が分かりません。
「よく分からねえな」テルが吹き出します。「おめえが裁判で室井さんに弁護してもらったのか?」
「いえ、その頃は先生は裁判官で」とケンタロー。
「何かやったのか? ケンタロー。裁判官のお世話になること」とテル。
「そうじゃないのよ」室井氏が引き取ります。「開けっぴろげに話せないことってあるじゃない。ほら、今、個人情報うるさいでしょ」
「おっと意味深ですね」とテル。
「どっかで聞いたことあるな、個人情報保護法があるから話せないっての……」とブン。
「俺が言ったんだよ、ずいぶん前にな」とヘロシ。
「あ、でもあん時はおめえ、雑談だからいいやって言って話してくれたじゃねえかよ」とブン。
「雑談だ、なんて言わねえよ、あくまで『世間話だぜ』って念を押しただけだい」とヘロシ。
「うん『世間話』か、巧いな、反則だけど」室井弁護士が吹き出します。
「え? じゃあ三題噺で想像するっきゃないのね」とブン。
「茂木君の『世間話』ならいいだろう」と室井氏。
「よおよお、そうこなくちゃ」とブン。
「先生がいいっておっしゃってんだろがほら、早く吐け」
 テルが睨んで言います。
「うわマジか……」
 暫く天井を仰いでいたマジカのケンタローが大きく深呼吸をすると、やがて腹を括って、こんな話をした。

関連書籍

さだまさし『銀河食堂の夜』

ひとり静かに逝った老女は、愛した人を待ち続けた昭和の大スターだった(「初恋心中」)。 運に見放され、母親を手にかけてしまった息子の心に残る母の言葉(「無器用な男」)。 あの戦争で飛び立った青年が聴いた「最後の曲」に込められた想い(「ぴい」)。 ……謎めいたマスターが旨い酒と肴を出す飲み屋を舞台に繰り広げられる、不思議で切ない物語。

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さだまさし

1952年長崎市生まれ。72年に「グレープ」を結成、「精霊流し」「無縁坂」などが大ヒットする。76年、グレープを解散後、シングル「線香花火」でソロデビュー。2001年、初小説『精霊流し』がベストセラーになる。『精霊流し』をはじめ、『解夏』『眉山』『アントキノイノチ』はいずれも映画化され、話題に。その他の小説に『はかぼんさん一空蝉風土記』『かすてぃら』『ラストレター』『ちゃんぽん食べたかっ!』など。

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