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歌舞伎町で待っている君を

2024.04.29 公開 ツイート

「ラストソングを歌うのは誰?」3本目のドンペリニヨンで一気に高まる緊張 SHUN

営業が終わりに近づく下町のホストクラブ。遅くまではいられないはずの「君」はまだ飲み続けている。
 

(写真:Smappa! Group)

#8下町ホスト

籠った低音が響く誰もいないスタッフルームで、美しい青年の濁った瞳の切れ端に少し触れた私は、ぬるいペットボトルの水を溺れるように飲んだ

 

陳列したダンボールから適当に取り出されたペットボトル達は、賑わいと共に乱雑に扱われ、ゴミ箱へ行くわけでもなく、スタッフルームの各所で寝転んでいる

大量のスーツが掛かっていた不安定なハンガーラックは隙間が目立ち、本来の安定感を取り戻していた

真ん中の小ぶりなテーブルには読みかけのマニュアル本と幾つか源氏名の候補が殴り書いてある紙切れと長い吸い殻が残されている

ハンガーラックと逆側にある棚は、細かく仕切られていて、それぞれ源氏名のシールが貼られている

まだ私の名前はどこにも見当たらない

同じようなユーロビートが二曲終わって、ペットボトルの水をもう一本飲み終えた頃、隠しきれない霞んだ感情を胸ポケットに無理矢理仕舞って君の席へ戻った

変わらず金髪リーゼントが席に着いており、話題は不安定な身の上話から幸福そうな身の上話に切り替わっている

君は返答しづらそうな質問に、時折相槌をうち、二本目のドンペリニヨンを飲んでいる

まだ、中身が八割ほど残っている液体は汗をかいており、シャンパンクーラーの氷が溶けると自身の重みで少し沈んだ

店内は、すべての席が埋まり、人間の熱気がエアコンの作動を防ぐ

あまり長居できないと言っていた君に帰るタイミングを聞ける技術はなく、刻々とラストオーダーへ向けて時間が過ぎてゆく

金髪リーゼントの身の上話しが終わり、ユーロビートに小刻みに乗りながら、背の高い小蠅のようなホストがやってきた

テーブル前でテンション高く、席に着いていいかという意味を含めた短絡的な挨拶が飛沫と共に宙を舞う

君は目を合わせず、いらないと一言、塩辛い矢を放ち、金髪リーゼントの控えめな援護も虚しく、背の高い小蠅のようなホストは、リズムからずれ落ちて逸れた鰯のように去っていった

何故席に着けなかったのか聞かなくても私にも理解できた背の高い小蠅の一連の動作と空気にあちら側の片鱗を知る

金髪リーゼントが綺麗な所作で席を抜けて、君と二人きりになった

聞きたいことが山積みだったが、喉の奥に詰まったままだった

私のグラスは丁寧に水滴を拭かれていて、眩い黄金色の液体が微かな炭酸を吐いている

君のグラスに軽く傾けてから、一気に飲む

少しの沈黙を破いて君の口角が上がる

すこーし酔っ払ってきちゃった

君はコースターに置かれている水を一口飲む


こうやってコースターのあるおうちに憧れなかった?

 うーん、あんまりかなあ

そう

 そういえば、おうちコースターあったよね?

憧れてたから買ったの 結局シュンくんが子供に勉強教えに来てくれてた時ぐらいしか出してなかったの

 そうだったんだ

そうだよ
私ラストソングぐらいまで居てもいい?

 もちろん
 家大丈夫なの?

うん


そう言ってほぼ満杯に注がれたドンペリニヨンを君は一気に飲み干した

営業は終盤に差し掛かり、やや数字のあるホストたちがシャンパンやワインを入れ始める

シャンパンコールをする席は無く、どこも卓飲みをしている様子だった

徐々に美しい青年の複数ある席から、マイクが途切れることなく、シャンパンが入り始める

メニュー表を参考に、脳内で計算し、もしかしたら私がラストソングという緊張感に浸っていた

ラストオーダー五分前を迎え、内勤者が私のテーブルに最後のオーダーを聞きに来た

君は、周りの様子を見ながら、もう一本、ドンペリニヨンを笑顔で注文した

緊張が更に高鳴り、酔いが醒める

全ての卓のラストオーダーが終わり、私以外のシャンパンが次々と各卓へ運ばれてゆく

そして、私がドンペリニヨン三本目入れた事実をスピーカーたちがすべてのホストに知らせた

巨大な拍手が豪雨のように頭から降り注ぐ

それでも君は冷静な顔で、ゆっくり煙草を吸っていた

更なる緊張により手こずっている私を見かねて、店長が素早く丁寧に尚且つ音を立てずに、抜栓をした

店長は残っていた二本目のドンペリニヨンをスマートに減らし、残り少なくなった液体を私と君に少しずつ注いで、三本目へのバトンを繋いでくれた

次第に酔いが回って緊張と溶け合い脳内が正体不明の絶頂に達していた

美しい青年が笑いながら席を移動するのを、私の右目の端が捉えた

その瞬間、店の照明が一気に暗くなり、幽玄な音楽のイントロが流れ出す

艶のない黒色のマイクを持った二人のホストが、勢いよく喋り出し、高額のシャンパンを引き連れて、美しい青年の席へ向かった

メインMCが手際よくすべてのホストを美しい青年の席へ誘導し、無数のホストで席を囲む

数字のあるホストは前列へ導かれた

私は勝手がわからなく、一番後ろで半歩だけ参加している

サブMCが何らかの準備完了サインを出し、メインMCの喉が更に開く


それでは開栓の良い音聞かせていただきましょー

スリー ツー ワン ゴー

ポン

怒号が飛び交い、ホストが野獣に化ける

さー No.1 から一言いただきましょー

スリー ツー ワン 


シャンパンありがとうな
お前ら全員俺に付いて来い


更なる怒号が飛び交って、野獣たちは遠吠えのような音を放つ

君の顔をちらっと見たら、シャンパンコール中の美しい青年の席を見ながら、仄かに微笑んでドンペリニヨンを口に含んだ

野獣たちがありがとうと連続で叫び、最後に大きく深々と一礼して、シャンパンコールを終えた

君の席に戻る最中、店内がまた暗くなり、聞き覚えのある到底大人になれなさそうなイントロが流れた

ぐちゃぐちゃの感情を仕舞う場所を見失い、引き攣った小鬼のような表情で君の席へ戻った



太陽が月に渡した明るさで君が落とした気持ち見つける


菊の葉を浸し続けた出し汁を一口すする青い唇


紺碧の広いお皿の片隅にぽつんと死んだ頭を置いた


君が去り風すさましく更くる夜に痴れ者が吸う短い煙草


茉莉花が咲き乱れたる新宿で白い向日葵見つけておりぬ

 

(写真:SHUN)

 

関連書籍

手塚マキ『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街>を求めるのか』

戦後、新宿駅周辺の闇市からあぶれた人々を受け止めた歌舞伎町は、アジア最大の歓楽街へと発展した。黒服のホストやしつこい客引きが跋扈し、あやしい風俗店が並ぶ不夜城は、コロナ禍では感染の震源地として攻撃の対象となった。しかし、この街ほど、懐の深い場所はない。職業も年齢も国籍も問わず、お金がない人も、居場所がない人も、誰の、どんな過去もすべて受け入れるのだ。十九歳でホストとして飛び込んで以来、カリスマホスト、経営者として二十三年間歌舞伎町で生きる著者が<夜の街>の倫理と醍醐味を明かす。

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