今回は、つづ井の『老犬とつづ井』(文藝春秋)をご紹介します。
つづ井とは変な名前ですが、10年前からツイッター(現X)で絵日記を公開しはじめた実在人物のペンネームです。
このアラサー独身オタク女性の絵日記が人気を呼んで、『腐女子のつづ井さん』というエッセーマンガのシリーズ(全3巻)になり、さらには、文藝春秋社のウエブ版「CREA」に連載されて、『裸一貫! つづ井さん』(全5巻)としていったん完結しました。
しかし「CREA」の連載は、新たに『とびだせ! つづ井さん』となっていまも続いていて、この4月に1巻目が出たところです。
今回の『老犬とつづ井』はそのスピンオフというか外伝というか、つづ井が10数年間飼ったAというラブラドールとの生活、そして、この老犬の死を題材としています。
飼い主と愛犬の生死を描くといえば、私は谷口ジローの大傑作「犬を飼う」をすぐに連想して、ちょっと暗い気分になってしまいます。
というのも、私自身、小学生の頃と、中高生の頃、そして、社会人になってからと、3匹の犬を飼ったことがあるのですが、その飼い方は動物に対する人間の身勝手を絵に描いたようないい加減なもので、思いだすたびに自分の残酷さと犬のけなげさばかりが甦ってきて、谷口ジローの愛犬に寄せる真情をこれでもかというほどに見せつけられると、ひどく荒涼とした後悔の念に刺し貫かれてしまうのです。
一方、この『老犬とつづ井』は、何事にも大らかなヒロインの性格を反映して、犬を愛する気持ちも、犬の死を悲しむ気持ちも、無防備にあけっぴろげで、こちらの心をも軽くしてくれるような、ゆるい肯定的な作用があるのです。
なにしろ、最初のエピソードは、Aが齢をとって体調を崩したため、私(つづ井)は愛犬の最期を看取るために仕事を辞めて実家に帰ることにした、という切実なものなのですが、しかし、Aは全快して、「毛はつやつや、お顔イキイキ、ごはんパクパク、ウンチ もりもり!!!!」、「よかったすぎ~」というのがオチなのです。
とはいえ、つづ井は犬に思いきり愛情を注ぎながらも、つねにその愛情なるものが人間の独りよがりで、犬には本当にうれしいかどうか分からないという疑問に悩まされる人でもあって、それゆえ、犬が自分に愛情を示しているとしか思えない行動をとるとき、ほかと比較できないような、純粋にうれしい気持ちに運ばれてしまうのです。
じつに単純な絵柄で描かれていますが、そうした犬と人間の繊細な心理分析を随所に見ることができます。
クライマックスとなるはずのAの死の場面は、わずか1ページ3コマで、読者の期待を裏切るように見えて、寡黙なナレーションに、すうっとカメラを引くような画面の演出がじつに見事です。
そして、Aとの生活の「すべてが私の中で『ただただ悲しいこと』から『絶対に忘れたくない大切なこと』に変化した」と記されるとき、そこには記憶による救済というプルースト的な主題さえ浮上しているのでした。
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