現職の神職さんが指南する、人気連載。新緑の季節には、霊力の強い植物がいっぱいです!
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杜(もり)の中に身を置いて、新緑に神様を感じる月。五月限定のお祓いアイテム「菖蒲」のアロマは最強です
五月のある日、神社にある大きな栴檀(せんだん)の木の下で、おそうじをしていたときのことです。落葉はひととおり済んで、青々とした葉と、薄紫の小さな花が、頭の上を覆っていました。私はその下で、能に出てくる「尊い人の化身」のような心持ちになって、竹ぼうきを持っておりました。すると、
「ごくろうさんやなあ。ええ香りやなあ。栴檀は双葉より芳し(かんばし)、て、あれはビャクダンのことらしいけどなあ、ビャクダンも双葉は匂わんらしいねん、おかしいやろ。ワタシはなあ、芳しは、かしこい言う意味やと思てんねん」
と、参拝のおばあさまに話しかけられました。いつもの常連さんとはちがう方で、まるで歌うようなお話の仕方でしたので、私には本当にそれが、能の一場面のように思われました。たしかに、栴檀の双葉は香らないそうですが、花は香ります。その日は、栴檀の花が薄紫のたなびく雲のように咲いていて、真下の空間は、チョコレートと抹茶の粉をまぜたような、甘い香りに満ちていました。
晴天にもかかわらず、大きな栴檀の木の下はひんやりと暗く、「木下闇(このしたやみ)」という言葉がぴったりの朝でした。その闇にまぎれるように、一羽の黒いアゲハ蝶がゆったりと横切っていったときには、栴檀の花の甘い香りもあいまって、「神か」と思ったほどです。
人は、こうした自然のなかでの神的な体験を再現しようとして、暗い中でお香を焚いて礼拝をするのでしょうか。
「神社」は神の社(やしろ)と書きますが、社殿と、それを囲む植物たちの「鎮守の杜(ちんじゅのもり)」とが一体となったもののことです。どちらかというと、杜(もり)のほうがメインであることも、めずらしくありません。山や池、滝などの自然物がご神体で、社殿はそれらを拝むための人間用のためものであったりするのです。ですから神職は、社殿よりも、杜の中にいる時間のほうが、もしかしたら多いかもしれません。
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一年を七十二に分けた「七十二候」という季節のくくりでは、五月のはじめは「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」という季節にあたります。冬眠していたカエルたちが土の上に出てきて、水辺にゆき、伴侶をもとめて鳴きはじめる、そんな季節です。
大阪の神社に奉職して一年後、ひとつ上の神職階位を取るため、京都の神社へ実習に通っていたときのことです。五月のうるわしい日に、京都大学のとなりにある吉田山でおそうじをしていると、山の中腹で、とつぜん京大生が発声練習をしているところに出くわしたり、森の奥でカップルがくっついていたりして、びっくりすることがありましたが、もっとびっくりしたことがありました。
ある日、カラカラ・コロコロ・クルクルと、木でできた鈴を鳴らすような、不思議な音がするので、「なんだろうあのほっこりした、それでいて清涼感のある音は」と思って神職さんに聞いてみると、「モリアオガエルですよ。今日鳴き始めました」とおっしゃいました。なんと、社務所の中庭の池に、野生のモリアオガエルが住んでいたのです。わたしは、
「ああ、京都はカエルの鳴き声まで、みやび!」
と思い、うちに帰って七十二候の本を開いたら、ちょうどその日が「蛙始鳴」の開始日でしたので、こよみの正確さと、カエルたちの律義さに、驚きと尊敬を感じたものです。
ぜひ、鳥の声や、虫やカエルの声、花の開花に心を寄せてみてください。それが神様とお近づきになり、幸せを感じることにつながっていきます。
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さて、五月は薬効のある植物の香りでお祓いをする月。今回は「菖蒲(しょうぶ)」についてご紹介します。
サトイモ科の菖蒲は、剣のような葉の形と、独特の芳香で、古くから「霊力のある植物」として神事に使われてきました。ヨモギと菖蒲の葉で屋根を葺いた家にこもる「忌みごもり」については、前回ご紹介しましたが、菖蒲は、ほかにもさまざまな方法で使われています。
たとえば、菖蒲の葉で冠をつくって、あたまに載せるという方法です。日本には古代から、寿命を延ばす呪術として、蘰(かずら)を頭につけるという術がありました。蘰というのは植物で丸く編んだ冠のようなものです。それを髪の結び目につけたり、枝や茎を髪にさしこんだりしたのですが、貴族の男性の場合、公務のときは冠、私的な場面では烏帽子(えぼし)をかぶっていましたから、菖蒲の葉は冠の根本に巻いたり、烏帽子につけたりしていたようです。
ちなみに、現代の神社の神職は、平安時代に確立された貴族のスタイルを踏襲していますので、厄除けなどのご祈祷のときにつけている装束は、貴族が私的な場面で着用していた「狩衣(かりぎぬ)」ですし、あたまには「烏帽子(えぼし)」をかぶっています。また、例祭でつける装束は「衣冠束帯(いかんそくたい)」で、あたまには「冠(かんむり)」。
これは、貴族が朝廷に参内するときの格好と同じです。ですので、私たち神職にとっては、平安貴族がでてくるドラマのほうが、戦国時代のものより違和感なく、まるで日常の延長のように見えるのです。
さて、話を菖蒲の蘰にもどしますね。
奈良時代、天平十九(七四七)年五月五日のこと。聖武天皇が南苑で「観騎射(きしゃ) 走馬(はしりうま)」という行事をおこなったさい、「昔は五月の節句には菖蒲で蘰(かずら)をつくって、それを頭に載せて参内していたのに、いまではこの習慣がなくなっている。今後は、菖蒲蘰(しょうぶかずら)をつけてくるように。つけていない人は、宮中に入ってはいけない」と詔(みことのり)をくだされたという内容が、「続日本紀(しょくにほんぎ)」に書いてあります。
イベント好きの私としては、「その日だけに着用するもの」や「一日限定」が大好きなので、聖武天皇に大賛成なのですが、この詔から察するに、どうやら一時は宮中で菖蒲蘰の風習がすたれていたようですね。
それにしても「あたまに葉っぱの冠」という構図に、なんか既視感(デジャヴュ)……。というあなた。それは、古代ギリシャ人が月桂樹の冠をあたまに載せているすがた、ですよね? 勝者に与えられる栄光の月桂冠、ですよね?
じつは、アテネ市民は、「いい匂いを脳に送り込む」のがもっとも効果的な健康法だと考えていたそうです。それが、芳香を放つ月桂樹の葉を冠にして頭に載せるという栄光のしるしになったと言われているのです。
ヨーロッパと東洋。文化はちがえど、「匂い」の効用に対する感覚は共通しているのでしょう。日本人が菖蒲で蘰をつくってあたまにつけたのは、古代ギリシャ人同様にその香気を脳に送り込み、あたまの中を祓って健康になるという目的もあったのかもしれませんね。
たしかに、頭痛もちの私も、「あ、頭痛がきそうだな」と感じたら、好きな精油を手のひらにつけて両手のひらに伸ばし、手で顔をおおって思いっきり深呼吸してその精油の香りをかぎます。すると、まるで精油が脳のなかにしみ込んだ感じがして、すこし楽になり、頭痛薬を飲まずに済むことがあります。
おそらく、むかしの人のほうが、体の感度がよかったはずなので、わざわざ精油を使わなくても、植物を直接あたまにくっつけるだけで、同じような効果が得られたのではないでしょうか。その治癒力を、霊力と呼んだとしても、ふしぎはないですよね。
まだまだある菖蒲活用法は、次回に続きます!
毎日がみるみる輝く!神様とあそぶ12カ月
「小さな一瞬一瞬の幸せを感じる」を毎日続けていけば、「一生幸せを感じ続ける」ということになる。――当たり前のことだが、これが、神社神職として日々、神様に季節の食べものをお供えしたり、境内の落ち葉を履いて清めたり、厄除開運の祈祷を行って参拝者さんとお話ししたりする中でたどり着いた、唯一、確実な開運法なのです。
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神主さん直伝。春夏秋冬を大切にすれば、毎日が開運のチャンス!
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