
葬式に200万円――そのお金、本当に「必要な弔い」のために使われていますか?
宗教学者・島田裕巳さんが日本人の死生観や葬儀の歴史をたどりつつ、葬式の「常識」を根本から問い直すベストセラー『葬式は、要らない』より、一部を抜粋してお届けします。
葬式は法的な義務ではない
人類は、どの国でも、どの民族でも、どの宗教においても、そして、どの時代でも、死者が出れば、葬式を行ってきた。だが、葬式は法律によってしなければならないと定められているわけではない。
つまり、葬式などいっさいしなくても罰せられない。
死者が出ると、医師に死亡診断書を書いてもらい、それをもって役所に行き、死亡届を提出する。すると火葬許可証(埋葬許可証)を渡される。そこまでの手続きは必要だが、それ以降、どうするか法的に決まっているわけではない。
遺体の処理については「墓地、埋葬等に関する法律」で定められている。これは「墓埋法」と略称されており、その第一条には、「この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする」と記されている。
この墓埋法において重要なのは次の3点である。(1)死亡後あるいは死産後、24時間経たなければ、埋葬も火葬も行ってはならないこと、(2)火葬は火葬場以外で行ってはならないこと、(3)埋葬は墓地以外で行ってはならないこと、である。
火葬や埋葬まで24時間の猶予が確保されているのは、万が一、死亡診断に過ちがあってはならないからだ。現在は医療技術の発達で、生死の判断は厳密に行われるようになったが、昔は今ほど明確に死を判定できなかった。
推理小説の開拓者エドガー・アラン・ポーに「早すぎた埋葬」という短編がある。そこでは、生きたまま埋葬される恐怖が描かれる。もし、棺桶に入れられて火葬場まで運ばれ、火葬の寸前に生き返ったとしたら、これほどの戦慄はない。
こうしたことがないよう24時間の猶予が与えられている。そこだけは法律で決まっているが、あとは自分で火葬したり、焼いた骨を勝手な場所に埋葬してはならないと規定されているだけである。葬式のことは、墓埋法ではまったく規定されていない。
死者が出たとき、何らかの葬式をあげるのが普通だが、それは習俗や慣習であって、法律の次元では葬式をしようとしまいと自由なのである。
とはいえ、葬式をしない選択は、現実にはけっこう面倒な事態を招く。その点については後で述べるが、議論の前提として葬式が法律による義務でないことをおさえておく必要がある。
* * *
この続きは幻冬舎新書『葬式は、要らない』でお楽しみください。
葬式は、要らないの記事をもっと読む
葬式は、要らない

- バックナンバー