芳林堂書店高田馬場店。
サイン本好きの方なら、一度は聞いたことがある店名ではないだろうか。
かく言う私も、作者としてこれまでたくさんのサイン本を書かせてもらった。毎回、「こんなに書いていいんですか?」というくらいの冊数である。
ご存じの方も多いと思うが、書店店頭で売れなかった本は、問屋である取次を通じて出版社に返品することができる。「委託販売制度」と呼ばれるシステムである。ただし、どんな本でも返品できるわけではない。著者が本に名前などを書きこむサイン本は、「汚損」扱いとされ、基本的に返品することができないのだ。
つまり、サイン本を仕入れることは、言い換えれば、書店にとってはリスクを抱えることでもあるのだ。飛ぶように売れる人気作品ならともかく、売れるかどうか未知数のサイン本を置いておくことは、損害になりかねない。サイン本を求める読者の方が一定数いることは、関係者であれば重々承知だろうが、「いくつ売れるのか?」を読むのはとても難しい。
サイン本の冊数は、作家・作品の売れ行きや知名度はもちろんのこと、お店の販売力や立地、経営状況なども含めた、さまざまな要素を考慮に入れたうえで決められる(と思っている)。つまるところ、損失を回避したければ、サイン本作りには慎重になるのが当然なのだ。
余談だが、今年6月、澤田瞳子先生の単行本『赫夜』(光文社)が全冊にサインをされた状態で販売されることが発表され、話題になった。初版約1万冊に加え、今後の重版分も含めて、すべてにサインと落款が入る。記事によれば、「今回は光文社が流通を取り仕切る取次と話し合い、書店からの返品を可能とする異例の対応をとった」という。
こうした取り組みが広がれば、サイン本戦略の風向きも変わるかもしれない。ただ現状では、先ほど述べたように、おいそれと大量のサイン本を置くことは難しい。
しかし、である。
芳林堂書店高田馬場店では、あえて「積極的にサイン本を置く」という作戦に出ている。
試しに、同店のXアカウント(@horindobaba)を覗いてみてほしい。毎日のようにサイン本入荷の情報が発信されている。
たとえば7月12日からの3日間だけでも、『われは熊楠』、『ディテクティブ・ハイ 横浜ネイバーズ5』、『あらゆる薔薇のために』、『文化の脱走兵』、『プラチナハーケン1980』、『ひかりの剣1988』、『十一人の賊軍』、『幸せのカツサンド 食堂のおばちゃん16』のサイン本が入荷したとのお知らせがある。繰り返しだが、たった3日間である。これに加えて、宛名入りサイン本作成のキャンペーンも行っている。「サイン本を手に入れたい!」と願う人にとっては夢のような書店なのである。
先ほど列挙した作品名のなかにさらりと自著も混ぜていたのだが、7月上旬、同店にサイン本作成&本企画の取材のため、お邪魔させていただけることとなった。
結論を言えば、サイン本というのは切り口の一つに過ぎなかった。想像を超える売り場が、そこには広がっていたのだ……。
* * *
高田馬場駅から歩くこと五分足らずで、芳林堂書店高田馬場店が入っているビルに到着する。一階にドン・キホーテがあるのが目印で、お店は三階・四階にある。
エスカレーターを使って三階まで上がると(エレベーターもあります)、そこはもう書店への入口。
話題作のポスターたちが出迎えてくれて、早くも賑やかである。
窓口になっていただいているスタッフさんにご挨拶し、買い物スタート。
本企画のルールは「(できるだけ)1万円プラスマイナス千円の範囲内で購入する」という一点のみ。さっそく自腹(ここ重要)の1万円を準備して、いざ店内へ!
エレベーターを上がって直進すると、飛鳥部勝則先生の復刊コーナーが。『堕天使拷問刑』などの作品がどんと積み上げられている。
実は、飛鳥部先生の本と芳林堂書店には深い縁がある。
芳林堂書店が属する書泉グループでは、「書泉と、10冊」という企画を行っている。これは『中世への旅』シリーズ(白水社)の復刊と盛り上がりをきっかけに立ち上げられたもので、「ファンの方が熱望するあの名作、私たちも是非お勧めしたいあの名著を「適切な価格」でお届けすることに私たちは挑戦していきます。」と宣言している。
(プレスリリース)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000004356.000016756.html
その「書泉と、10冊」第3弾が、ホラーミステリ小説『堕天使拷問刑』だ。
もともと『堕天使拷問刑』は、ミステリファンの間では名が知れた作品だったのだが、流通量が限られ、プレミア価格がついていた。飛鳥部先生のファンである店長さんをはじめとした芳林堂書店さんと、版元との協議によって実現したのが本書の復刊である。『堕天使拷問刑』の待望の復刊は大いに盛り上がり、予約初日だけで1,000冊以上の予約が入ったという。この勢いに後押しされ、「書泉と、10冊」の姉妹企画である「芳林堂書店と、10冊」から続々と『黒と愛』、『鏡陥穽』、『殉教カテリナ車輪』などの他作品も復刊、現在もさらなる復刊が計画されている。
説明が長くなってしまったが、「入口すぐ」という一等地に飛鳥部先生の作品が並んでいるのは、そうした縁があるからなのだ。
その右手には、「書泉と、10冊」と「芳林堂書店と、10冊」の作品群が、これまたド派手に陳列されている。
なかには、カレースープと本を一緒に販売しているセットもある。カレースープと本?
この時点で、すでに芳林堂書店の放つタダモノデハナイ空気に酔いはじめていた。
お笑いコーナーも、類を見ないほどの充実ぶり。芸人さんの本だけでなく、放送作家さんの本やお笑いがテーマの小説も揃っている。
順番に美術やノンフィクションの棚を見ていく。
そんななか、気になるタイトルが。樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)である。早稲田大学のお膝元、高田馬場にふさわしいセレクトではないか。
本書で扱っているのは、1972年11月に起こった、早稲田大学構内での「川口大三郎君虐殺事件」である。リンチによって彼を殺害したのは、革マル派の学生たち。そして著者である樋田氏自身も、当時、早稲田の文学部に在籍していたという。
ちょっと他では得られない、特別な体験ができそうな一冊だ。今日の1冊目はこちらに決定。
店内には同人誌のコーナーも。
藤岡みなみさんの『時間旅行者の日記』や、山村教室出身の作家さんが結成した「ケルンの会」による『私は微笑んだ』、『このライトノベルが奇書い!』など、普通の新刊書店ではお目にかかれない本がずらりと並んでいる。
ホラー文庫をそろえた棚もあり、至るところにこのお店ならではの空気が漂っている。
文庫の棚を眺めていると、気になるタイトルを発見。デーヴ・グロスマン著/安原和見訳『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)である。
人殺しの心理、とはどういうことか。表4のあらすじによれば、
〈本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れされていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。〉
怖い! でも気になる!
というわけで、今日の2冊目はこちらで決定。
次に新書コーナー。学生街らしく、新書の棚も充実。しっかり各社の売れ筋がそろっている印象だ。
面白そうなのが、ちくま新書の年間売上2位。稲垣栄洋『ナマケモノは、なぜ怠けるのか? 生き物の個性と進化のふしぎ』(ちくまプリマー新書)である。
いわれてみれば、ナマケモノみたいにろくに動かない動物は、自然界にいたらあっという間に淘汰されてしまいそうだ。でも生き残っているということは、実は理にかなった生存戦略なのかもしれない。
答えを知るため、今日の3冊目にはこちらを選んだ。
新刊コーナーをなんとなく見ながら、レジのほうへ移動。
店内では、七月末までの限定で「古本マルシェ」が開かれていた。
古書といっても最近刊行された新古書だけでなく、昭和十四年に刊行された宮沢賢治の『風の又三郎』があったりして、ここも眺めているだけで面白い。
レジ前を通って、児童書コーナーへ。間もなく夏休みがはじまる時期とあって、「学校がすすめる夏休み子どもの本」が大々的に展開されていた。
お次はコミック。
新刊の刊行点数に驚きつつ、面白そうなタイトルを物色する。
店内には複製原画が多数飾られていて、特別感が満載。
そんななか、発見したのが『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス』(小学館)。なんと、全10冊で藤子・F・不二雄のSF短編すべてが読めるというもの。こんなものが刊行されていたなんて知らなかった。欲しい! 欲しすぎる!
が、しかし。これは一応企画である。1冊だけ購入して、残りは後日個人的に買うことにした。
そういうわけで、悩んだ末に第8巻『流血鬼』に決定。
お隣のライトノベルコーナーにも、色紙がたくさん。
エレベーター前に移動すると、インフルエンサーであるけんごさんの著書『けんごの小説紹介 読書の沼に引きずり込む88冊』(KADOKAWA)にちなんだフェアが展開されていた。なんと、本書で紹介されている本が章ごとに取り揃えられているのだ。すごい。すごすぎる。
さらにお店は4階にもあるということで、階段で上階へ。
ワンフロア書店の3階と違って、4階にはカフェなど他のお店も入っているため、書店の面積は比較的小さい。とはいえ、学習参考書や人文書、理工書、文具などを中心に充実している。
学参と人文書の間に、「名作から得る教養」コーナーが。配置も含めて、よく考えられているなぁ、と驚く。
そんななか、平積みのなかでもひときわ異彩を放っている本を発見。大森淳郎・NHK放送文化研究所『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』(NHK出版)である。ページ数は570を超える、大部のハードカバーである。
価格は3,600円プラス税。これを買ったら、おそらく今日の買い物はほぼ終了だ。しかし、読みたい。どうやら本書は、戦時下のラジオ放送について克明に記したノンフィクションのようだ。オビにはこう書いてある。
「ラジオは国民に何を伝え、何を伝えなかったのか?」
うわー、読みたい! 買えばいいんでしょ! 買えば!
そういうわけで、今日の5冊目はこちらに決定。
しかし、あと少しだけ予算は残っているようだ。というわけで店内徘徊を続行。
その後も4階では、世界のお酒や模造刀、土偶などのアイテムを楽しく物色した。あれ、ここ何屋さんだっけ?
残金が心許ない。最後に文庫を購入するため、3階に戻る。
文庫のタイトルを流し見しながら歩いていたところ、ある本の前で足が止まった。芦沢央『神の悪手』(新潮文庫)だ。
芦沢さんは私の作家としての出身、野性時代フロンティア文学賞の先輩である。芦沢さんの本はかなり読んでいるのだが、なぜか『神の悪手』は未読だった。いつの間にか文庫化されているとは、知らなかった。
本書は、将棋を愛好されている芦沢さんによる、将棋をテーマとした短編集である。クオリティは約束されたようなものだ。最後の1冊はこちらに決定。
本日選んだのは6冊。小説、ノンフィクション、コミックなど幅広く選ぶことができた。1万円あったら、こんなに買えるんですよ(まだお会計してないけど)。
さて、いよいよレジへ。果たして今回も、企画の趣旨を守ることはできるのか?
お会計は?
ジャン。10,208円。
ほぼ1万円ジャスト。いいんじゃないでしょうか!
それにしても、これだけ個性が爆発している新刊書店は珍しいのではないだろうか。
復刊企画だけではない。文芸書なら無数のサイン色紙やサイン本、コミックなら複製原画やモニターでのアニメ放映、新書なら新刊平台にランキング、さらにはお笑いコーナーやホラー文庫コーナー、同人誌棚、けんごさんの新刊にちなんだフェアや古書企画、化石・鉱物フェアに模造刀の販売など、独自の取り組みは枚挙に暇がない。
児童書や人文書、理工書など、一見落ち着いた雰囲気の売り場も、定番や「これこれ!」という本が揃っていたりする。(岸政彦さんの『東京の生活史』『大阪の生活史』『沖縄の生活史』がそれぞれ複数冊置かれているのはちょっと感動した)
出版業界は斜陽といわれて久しく、実際にやむなく閉店していく書店さんも少なくない。そんな逆風のなかで、芳林堂書店さんは生き残りをかけて必死にあがいている。そして、そのあがきはまったく見苦しいものではなく、むしろ強烈な個性・魅力となって、たくさんの人を引き付けている。現に取材中も、平日昼とは思えないほど多くのお客さんが出入りしていた。
このエッセイを書くために取材内容を振り返っている間も、
「書店、まだまだいけるじゃん!」
なんてことを、僭越ながら思ってしまった。
* * *
最後に。
この企画に協力してくださる書店さんを募集中です。
「うちの店でやってもいいよ!」という書店員の方がいらっしゃれば、岩井圭也のXアカウント(@keiya_iwai)までDMをください。関東であれば比較的早いうちに伺えると思いますが、それ以外の地域でもご遠慮なく。
それでは、次回また!
【今回買った本】
・樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)
・デーヴ・グロスマン著/安原和見訳『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)
・稲垣栄洋『ナマケモノは、なぜ怠けるのか? 生き物の個性と進化のふしぎ』(ちくまプリマー新書)
・藤子・F・不二雄『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス8 流血鬼』(小学館)
・大森淳郎・NHK放送文化研究所『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』(NHK出版)
・芦沢央『神の悪手』(新潮文庫)
文豪未満
デビューしてから4年経った2022年夏。私は10年勤めた会社を辞めて専業作家になっ(てしまっ)た。妻も子どももいる。死に物狂いで書き続けるしかない。
そんな一作家が、七転八倒の日々の中で(願わくば)成長していくさまをお届けできればと思う。
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