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あらすじ

こんな男の
どこがいいのか。

美形でボンボンで博識だが、自意識過剰で幼稚で無神経。人生の決定的な局面から逃げ続ける喰えない男、伊藤誠二郎。彼の周りには恋の話題が尽きない。こんな男のどこがいいのか。

5年間けなげに尽くした智美は粗末にされ、自分に閉じこもりがちの修子はストーカーされ、男を切らしたことのない聡子は手玉に取るはずの伊藤のせいで親友と絶縁、伊藤を思い続けるまっすぐな実希は本当に思ってくれる人を深く傷つけ、落ち目の脚本家は想定外の激しい逆襲を受け……。

伊藤をめぐる、
それぞれに魅力的な5人の女性たち。
女性から圧倒的支持を受ける柚木麻子の、
とびきりダークでビターな恋愛小説。

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商品情報

書名 『伊藤くん AtoE』
著者 柚木麻子
580円+税
文庫版

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著者紹介

柚木麻子

1981年東京都生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒業。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞、同作を収録した『終点のあの子』でデビュー。13年に本作、14年『本屋さんのダイアナ』、17年『BUTTER』で直木賞候補、『15年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞。

 


 
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SPECIAL

文庫解説より

吉田大助

単行本の文庫化は、「初めて読む」人のためだけに開かれているわけではない。単行本を既に読んでいる人が、少なくない時間経過を挟んで改めて「もう一度読む」ためのきっかけにもなる。僕自身も今回、文庫化を機に約三年ぶりに読み返すこととなったのだが、あまりの凄味に驚いて、前よりもずっと的確に、自分の弱い部分、醜い部分をグッサグサに言葉で刺された感覚があった。自分が少し大人になったということなのか、それとも、時代精神の先を行く作家にようやく少し追いついたということなのか。本書、『伊藤くん A to E』の話だ。

著者の柚木麻子は、一九八一年東京都生まれ。オール讀物新人賞を受賞したデビュー短編を含む連作青春小説『終点のあの子』から、セックスレスを題材にした艶笑劇『奥様はクレイジーフルーツ』まで、二〇一六年一一月現在一六作の小説を発表している。『伊藤くん A to E』は、ハピネスを満載したブレイク作『ランチのアッコちゃん』の単行本から約半年後に刊行された、九作目に当たる。著者にとって初めての直木賞ノミネート作でもある。次の一行を、自信を持って書くために全作読み返したのですが——『伊藤くん A to E』は、柚木作品の中でもっとも特殊(スペシャル)である。

構造上の特殊性は、はっきりしている。柚木は常に女性を中心に据えた物語を書いてきたが、この物語の中心にはひとりの男性がいる。三十歳手前のイケメンでおしゃれ、千葉で実家暮らしをする大金持ちの一人息子。都内で塾講師のバイトをしつつシナリオライターの夢を追う、その男の名は伊藤誠二郎。この物語は、「伊藤くん」に翻弄される五人の女性、それぞれの視点から語る連作形式が採用されている。だから、「A to E」。

全五編の章タイトルは「伊藤くんA」「伊藤くんB」……となっており、同じ人物でも見る人によって存在感ががらっと変わる。いわば「バージョン違い」の伊藤くんを、読者は次々と目にしていくことになる。

AとB、CとDは、表裏一体の関係にある。

「伊藤くんA」では、デパート勤務の二十七歳・島原智美の視点で、伊藤くんへの五年に及ぶ片想いが描かれていく。伊藤君は用がある時だけ連絡してきて、智美を上から目線で、粗雑に扱う。平気な顔して、自分の片想いの相談を持ちかける。こんな恋、やめたほうがいい。分かっているのに、やめられない。

「伊藤くんB」では、伊藤君から片想いされる、学習塾の新米事務バイト・野瀬修子の視点が採用されている。視点が変わり立場が変われば、同じ人物でもこんなに違って見えるのか。伊藤君の超絶恋愛ベタなストーカーっぷりが披露され、前話とはまた違った嫌悪感を抱かされることになる。

「伊藤くんC」の視点人物は、男を本気で好きになることはないのに、男を切らしたことがないデパ地下ケーキ店の副店長の相田聡子。親友である有名私大生・神保実希の、伊藤君への片想いが実りそうだと知って、寝取る。

 

「伊藤くんD」では、寝取られた……とは知らない実希の視点から、伊藤君に投げつけられた「重い」という一言の呪縛が描かれる。自暴自棄になって処女を捨てようとしたところで、親友である聡子の思いにやっと気づく。

バージョンは違えど、伊藤君に対する根本的な感情がブレることはないだろう。「嫌い」だ。視点人物というバーチャルスーツを着用した読者は、VS伊藤君とのコミュニケーション・バトルを体験しながら、「おいこら伊藤!」と叫び倒す。そうすることで、いやおうなしに物語にのめり込まされることとなる。

実は、伊藤君と精神的な共通点を持つ人物がいる。デビュー作『終点のあの子』の第二篇「甘夏」に登場した大学生・佐久間だ。引っ掛けた女子高生が自分の思い通りにならないと判明するや否や、彼は態度を豹変させる。「なんつーか、君って自己中だよね。そんなんじゃ一生彼氏できないよ? 君のためを思って言うけどさ」。そして、グサッとやられる。「同じでしょ。佐久間さんだって」「彼女いたためし、ないんじゃないですか。実は」。さっと青ざめたリアクションが、真実を雄弁に証明している。

異性への好意が、異性への侮蔑に一瞬で反転する。相手を傷付けることで、相手を下げて、自分の位置を保持しようとする。「最低」だ。でも、そんな言葉の使い方を、自分は一度もしたことがなかったか? 佐久間君から伊藤君へと受け継がれる過程でバージョンアップしたモンスター性——他人を傷付けることには鈍感で、自分が傷付くことにはひどく敏感な幼稚性——は自分の中にも蠢(うごめ)いているものではないか。この小説は、登場人物に対し反感を抱かせることを通して、自分にとって触れられたくない、隠しておきたいモノの在り処を沸騰させ、知らしめてくれる。共感よりも反感のほうが、ずっと心に残るし揺さぶられるし、よっぽど自分の身の程を知ることができる。『伊藤くん A to E』の柚木麻子は、そのことを熟知している。反感のエンターテナー、ここにあり。

反感の対象は、伊藤君だけじゃない。各話の視点人物となる女性たちに対しても、「おいこら智美! 聡子!!」と心の声を嗄(か)らすことになるだろう。小説の中でもさまざまなバリエーションで表現されているが、人は他人の現実に対しては、的確に状況分析し適切なアドバイスができる。ところが自分の現実に対しては、明らかに誤った判断をしてしまう。自分を見つめる視線と、他人を見つめる視線との乖離(かいり)が、あらゆる悲劇の根幹にある。だとしたらポイントは、いかにして二つの視線を、近付けることができるかどうか。

『伊藤くん A to E』でも顔を出しているが、そもそも柚木麻子はガール・ミーツ・ガールの物語の名手だ。「平凡」もしくはコンプレックスをこじらせたヒロインが、「すごい」女の子と出会い特別な友情を結ぶ。「平凡」な子が「すごい」子の輝きを見つめるだけでなく、「すごい」子も「平凡」な子の魅力を見つめている。その視線のやり取りが積み重なっていくことで、両者はそれぞれに変化する。大人になる。きれいになる。自分で自分を、認められるようになる。

脚本家にして映画監督、そしてスクリプトドクター(=脚本のお医者さん)の三宅隆太が、神話学の大家ジョーゼフ・キャンベルの知の遺産を受け継ぎながら、物語の二分法を披露している。「男性神話」と「女性神話」だ。

〈「男性神話」というのは、簡単に言うと、「名もなき若者が、数多の試練を乗り越えて英雄へと成長する物語」のことで、「社会的に認められた《何か》を成し遂げる主人公」を描きます。(中略)対する「女性神話」は、社会的に認められるということよりも、「自分が、自分本来の姿を認めることで、《何か》へと変わる主人公」を描く物語です。〉(新書館刊『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』)

主人公が獲得するものは何か、という結果を見ることも必要だが、それを獲得するために向き合う対象は何か、という前提を見ることがより重要だ。「男性神話」の主人公は、「『社会』と向き合うことで変化・成長します」。対する「女性神話」の主人公が向き合うのは、「『抑圧されている自分自身』です」(前掲書)。柚木の小説群が、「女性神話」の構造を持っていることは明らかだろう。

ひとりの男性を物語の中心に据えてはいるが、『伊藤くん A to E』もそうだ。そもそもこの小説の主人公は、全五篇=五人の女性達なのだから。彼女らは伊藤くんと出会い、彼のグロテスクさと向き合うことで、己のグロテスクさと向き合うことになる。伊藤くんは、主人公ではない。伊藤くんは、鏡なのだ。もっと言うならば、「リバーサルミラー」。東急ハンズで買えるしアプリでも手に入るその鏡は、左右反転した自分の顔を映してくれる。つまり、他人の目に映っている自分の顔を。見慣れないその顔は、自分好みの角度を探り当てることが難しく、脳内補正がうまく効かない。でも、その顔こそが、ありのままの自分の顔なのだ。

振り返ってみれば柚木麻子という作家は、主人公が、鏡となる人物と出会う物語を書き続けてきた。冒頭で「『伊藤くん A to E』は、柚木作品の中でもっとも特殊(スペシャル)である」と記したが、むしろ「本質的(エッセンシャル)」と言い換えるべきかもしれない。

残された課題は、最終第五話の「伊藤くんE」だ。落ちぶれたことを認められないアラフォー脚本家の矢崎莉桜が、自身が主催する脚本塾に通う伊藤君、一行もシナリオを書かない伊藤君との、最初で最後の「対決」に臨む。前話までのラブストーリーの気配は消えているが、この一篇を読むことで、そもそもこの小説全体が、ガール・ミーツ・ボーイのラブストーリーの衣をまとった「他者という鏡を通した自己発見」の物語であることが明らかになる。

きっと誰もが、伊藤君を侮っていたことに気づかされるだろう。伊藤君は実は自分自身ととことん向き合っていたことが披露され、それでもびた一文変化をしなかった彼のモンスター性に、気持ちよく白旗を揚げることだろう。伊藤君は震える弱者を救いハピネスへと導く「ヒーロー」ではなく、白馬に乗った素敵な誰かが現れるのを待つ、自らも認める「ヒロイン」だったのだ。

そんな伊藤君に、この物語は最後で、ちゃんと居場所を与える。極めて異形な、関係性の絆が生まれる。最初に読んだ時は、ちょっと残酷な後味を感じていた。でも、久しぶりに頭から丁寧に読み返してみたら、たくましさのようなものを強く感じた。「嫌い」な人をただ排斥するのではなく、その人の「嫌い」な部分を強く見つめる経験の中から、女たちは自分を知り自分を変化させるための糧(かて)を得ている、と確信できたからだ。

とびきりダークで、ビターな小説だ。でも、間違いなく、心をタフにするための武器が作れるようになる小説だ。反感のエンターテナーが磨き上げた伊藤君という鏡を、これからも、ことあるごとに覗き込んでいきたい。

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あらすじ

こんな男のどこがいいのか。

美形でボンボンで博識だが、自意識過剰で幼稚で無神経。人生の決定的な局面から逃げ続ける喰えない男、伊藤誠二郎。彼の周りには恋の話題が尽きない。こんな男のどこがいいのか。

5年間けなげに尽くした智美は粗末にされ、自分に閉じこもりがちの修子はストーカーされ、男を切らしたことのない聡子は手玉に取るはずの伊藤のせいで親友と絶縁、伊藤を思い続けるまっすぐな実希は本当に思ってくれる人を深く傷つけ、落ち目の脚本家は想定外の激しい逆襲を受け……。

伊藤をめぐる、それぞれに魅力的な5人の女性たち。
女性から圧倒的支持を受ける柚木麻子の、
とびきりダークでビターな恋愛小説。

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商品情報

書名 『伊藤くん AtoE』
著者 柚木麻子
580円+税
文庫版

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著者紹介

柚木麻子

1981年東京都生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒業。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞、同作を収録した『終点のあの子』でデビュー。13年に本作、14年『本屋さんのダイアナ』、17年『BUTTER』で直木賞候補、『15年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞。

 

『けむたい後輩』

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SPECIAL

文庫解説より

吉田大助

単行本の文庫化は、「初めて読む」人のためだけに開かれているわけではない。単行本を既に読んでいる人が、少なくない時間経過を挟んで改めて「もう一度読む」ためのきっかけにもなる。僕自身も今回、文庫化を機に約三年ぶりに読み返すこととなったのだが、あまりの凄味に驚いて、前よりもずっと的確に、自分の弱い部分、醜い部分をグッサグサに言葉で刺された感覚があった。自分が少し大人になったということなのか、それとも、時代精神の先を行く作家にようやく少し追いついたということなのか。本書、『伊藤くん A to E』の話だ。

著者の柚木麻子は、一九八一年東京都生まれ。オール讀物新人賞を受賞したデビュー短編を含む連作青春小説『終点のあの子』から、セックスレスを題材にした艶笑劇『奥様はクレイジーフルーツ』まで、二〇一六年一一月現在一六作の小説を発表している。『伊藤くん A to E』は、ハピネスを満載したブレイク作『ランチのアッコちゃん』の単行本から約半年後に刊行された、九作目に当たる。著者にとって初めての直木賞ノミネート作でもある。次の一行を、自信を持って書くために全作読み返したのですが——『伊藤くん A to E』は、柚木作品の中でもっとも特殊(スペシャル)である。

構造上の特殊性は、はっきりしている。柚木は常に女性を中心に据えた物語を書いてきたが、この物語の中心にはひとりの男性がいる。三十歳手前のイケメンでおしゃれ、千葉で実家暮らしをする大金持ちの一人息子。都内で塾講師のバイトをしつつシナリオライターの夢を追う、その男の名は伊藤誠二郎。この物語は、「伊藤くん」に翻弄される五人の女性、それぞれの視点から語る連作形式が採用されている。だから、「A to E」。

全五編の章タイトルは「伊藤くんA」「伊藤くんB」……となっており、同じ人物でも見る人によって存在感ががらっと変わる。いわば「バージョン違い」の伊藤くんを、読者は次々と目にしていくことになる。

AとB、CとDは、表裏一体の関係にある。

「伊藤くんA」では、デパート勤務の二十七歳・島原智美の視点で、伊藤くんへの五年に及ぶ片想いが描かれていく。伊藤君は用がある時だけ連絡してきて、智美を上から目線で、粗雑に扱う。平気な顔して、自分の片想いの相談を持ちかける。こんな恋、やめたほうがいい。分かっているのに、やめられない。

「伊藤くんB」では、伊藤君から片想いされる、学習塾の新米事務バイト・野瀬修子の視点が採用されている。視点が変わり立場が変われば、同じ人物でもこんなに違って見えるのか。伊藤君の超絶恋愛ベタなストーカーっぷりが披露され、前話とはまた違った嫌悪感を抱かされることになる。

「伊藤くんC」の視点人物は、男を本気で好きになることはないのに、男を切らしたことがないデパ地下ケーキ店の副店長の相田聡子。親友である有名私大生・神保実希の、伊藤君への片想いが実りそうだと知って、寝取る。

 

「伊藤くんD」では、寝取られた……とは知らない実希の視点から、伊藤君に投げつけられた「重い」という一言の呪縛が描かれる。自暴自棄になって処女を捨てようとしたところで、親友である聡子の思いにやっと気づく。

バージョンは違えど、伊藤君に対する根本的な感情がブレることはないだろう。「嫌い」だ。視点人物というバーチャルスーツを着用した読者は、VS伊藤君とのコミュニケーション・バトルを体験しながら、「おいこら伊藤!」と叫び倒す。そうすることで、いやおうなしに物語にのめり込まされることとなる。

実は、伊藤君と精神的な共通点を持つ人物がいる。デビュー作『終点のあの子』の第二篇「甘夏」に登場した大学生・佐久間だ。引っ掛けた女子高生が自分の思い通りにならないと判明するや否や、彼は態度を豹変させる。「なんつーか、君って自己中だよね。そんなんじゃ一生彼氏できないよ? 君のためを思って言うけどさ」。そして、グサッとやられる。「同じでしょ。佐久間さんだって」「彼女いたためし、ないんじゃないですか。実は」。さっと青ざめたリアクションが、真実を雄弁に証明している。

異性への好意が、異性への侮蔑に一瞬で反転する。相手を傷付けることで、相手を下げて、自分の位置を保持しようとする。「最低」だ。でも、そんな言葉の使い方を、自分は一度もしたことがなかったか? 佐久間君から伊藤君へと受け継がれる過程でバージョンアップしたモンスター性——他人を傷付けることには鈍感で、自分が傷付くことにはひどく敏感な幼稚性——は自分の中にも蠢(うごめ)いているものではないか。この小説は、登場人物に対し反感を抱かせることを通して、自分にとって触れられたくない、隠しておきたいモノの在り処を沸騰させ、知らしめてくれる。共感よりも反感のほうが、ずっと心に残るし揺さぶられるし、よっぽど自分の身の程を知ることができる。『伊藤くん A to E』の柚木麻子は、そのことを熟知している。反感のエンターテナー、ここにあり。

反感の対象は、伊藤君だけじゃない。各話の視点人物となる女性たちに対しても、「おいこら智美! 聡子!!」と心の声を嗄(か)らすことになるだろう。小説の中でもさまざまなバリエーションで表現されているが、人は他人の現実に対しては、的確に状況分析し適切なアドバイスができる。ところが自分の現実に対しては、明らかに誤った判断をしてしまう。自分を見つめる視線と、他人を見つめる視線との乖離(かいり)が、あらゆる悲劇の根幹にある。だとしたらポイントは、いかにして二つの視線を、近付けることができるかどうか。

『伊藤くん A to E』でも顔を出しているが、そもそも柚木麻子はガール・ミーツ・ガールの物語の名手だ。「平凡」もしくはコンプレックスをこじらせたヒロインが、「すごい」女の子と出会い特別な友情を結ぶ。「平凡」な子が「すごい」子の輝きを見つめるだけでなく、「すごい」子も「平凡」な子の魅力を見つめている。その視線のやり取りが積み重なっていくことで、両者はそれぞれに変化する。大人になる。きれいになる。自分で自分を、認められるようになる。

脚本家にして映画監督、そしてスクリプトドクター(=脚本のお医者さん)の三宅隆太が、神話学の大家ジョーゼフ・キャンベルの知の遺産を受け継ぎながら、物語の二分法を披露している。「男性神話」と「女性神話」だ。

〈「男性神話」というのは、簡単に言うと、「名もなき若者が、数多の試練を乗り越えて英雄へと成長する物語」のことで、「社会的に認められた《何か》を成し遂げる主人公」を描きます。(中略)対する「女性神話」は、社会的に認められるということよりも、「自分が、自分本来の姿を認めることで、《何か》へと変わる主人公」を描く物語です。〉(新書館刊『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』)

主人公が獲得するものは何か、という結果を見ることも必要だが、それを獲得するために向き合う対象は何か、という前提を見ることがより重要だ。「男性神話」の主人公は、「『社会』と向き合うことで変化・成長します」。対する「女性神話」の主人公が向き合うのは、「『抑圧されている自分自身』です」(前掲書)。柚木の小説群が、「女性神話」の構造を持っていることは明らかだろう。

ひとりの男性を物語の中心に据えてはいるが、『伊藤くん A to E』もそうだ。そもそもこの小説の主人公は、全五篇=五人の女性達なのだから。彼女らは伊藤くんと出会い、彼のグロテスクさと向き合うことで、己のグロテスクさと向き合うことになる。伊藤くんは、主人公ではない。伊藤くんは、鏡なのだ。もっと言うならば、「リバーサルミラー」。東急ハンズで買えるしアプリでも手に入るその鏡は、左右反転した自分の顔を映してくれる。つまり、他人の目に映っている自分の顔を。見慣れないその顔は、自分好みの角度を探り当てることが難しく、脳内補正がうまく効かない。でも、その顔こそが、ありのままの自分の顔なのだ。

振り返ってみれば柚木麻子という作家は、主人公が、鏡となる人物と出会う物語を書き続けてきた。冒頭で「『伊藤くん A to E』は、柚木作品の中でもっとも特殊(スペシャル)である」と記したが、むしろ「本質的(エッセンシャル)」と言い換えるべきかもしれない。

残された課題は、最終第五話の「伊藤くんE」だ。落ちぶれたことを認められないアラフォー脚本家の矢崎莉桜が、自身が主催する脚本塾に通う伊藤君、一行もシナリオを書かない伊藤君との、最初で最後の「対決」に臨む。前話までのラブストーリーの気配は消えているが、この一篇を読むことで、そもそもこの小説全体が、ガール・ミーツ・ボーイのラブストーリーの衣をまとった「他者という鏡を通した自己発見」の物語であることが明らかになる。

きっと誰もが、伊藤君を侮っていたことに気づかされるだろう。伊藤君は実は自分自身ととことん向き合っていたことが披露され、それでもびた一文変化をしなかった彼のモンスター性に、気持ちよく白旗を揚げることだろう。伊藤君は震える弱者を救いハピネスへと導く「ヒーロー」ではなく、白馬に乗った素敵な誰かが現れるのを待つ、自らも認める「ヒロイン」だったのだ。

そんな伊藤君に、この物語は最後で、ちゃんと居場所を与える。極めて異形な、関係性の絆が生まれる。最初に読んだ時は、ちょっと残酷な後味を感じていた。でも、久しぶりに頭から丁寧に読み返してみたら、たくましさのようなものを強く感じた。「嫌い」な人をただ排斥するのではなく、その人の「嫌い」な部分を強く見つめる経験の中から、女たちは自分を知り自分を変化させるための糧(かて)を得ている、と確信できたからだ。

とびきりダークで、ビターな小説だ。でも、間違いなく、心をタフにするための武器が作れるようになる小説だ。反感のエンターテナーが磨き上げた伊藤君という鏡を、これからも、ことあるごとに覗き込んでいきたい。

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