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2016.10.23

最終回

戦争は体験してない。なのに身体に沁み込んでしまった戦争の記憶

大平 一枝

戦争は体験してない。なのに身体に沁み込んでしまった戦争の記憶
南風原文化センター館内。大城和喜もかつて館長を務めた

沖縄戦で病院として使われた、沖縄陸軍病院第二外科20号壕。17年かけて日本初の戦争遺跡文化財に指定されたこの壕(ごう)は、南風原(はえばる)という小さな町の丘の上にある。人口3万7千人の町に、見学者年間2万5千人。ただひたすら真っ暗闇の湿った壕への見学者が、年々増えている。奇跡の戦跡文化財を築いた仕掛け人のひとり大城和喜(67歳)の流浪の半生から、県民一人一人の心に残る戦争の落とし前のつけかたを探る。

本土復帰で見失った「自分」

黄金森。右は文化センター。木々に囲まれた森の中腹に壕がある

「まるでチルダイのようだったよ」

 高校生のころから復帰運動に参加していた大城和喜(67歳)は、本土復帰が来また瞬間を、三線線の弦がたれた状態にたとえた。

「基地は残るなんて、こんな歪んだ復帰があるか! と。15歳から復帰運動に燃えに燃えてたからね。煮えたぎっていたといってもいい。それがこんな変な形で幕引きになって、虚無感でいっぱいになった。なんのために生きているかわからなくもなった。そこから僕の20代は崩れていったね」

 1972年。大城は琉球大学法学部4年だった。

 復帰前の70年に、NHKが沖縄県民に行った大規模な世論調査がある。「復帰後の沖縄の米軍基地をどうしたらよいか」という問いに「今までどおりでよい」、「もっと強化すべき」を合わせた『維持,強化』は14%。「即時全面撤去」「段階的に縮小し、将来は全面撤去」「本土なみに縮小」を合わせた『縮小、撤去』が75%と多数を占めた。この年、沖縄では25年ぶりの国政選挙が行われた。投票率は脅威の83.6%だ。

 遡ること1965年、那覇市で開かれた祖国復帰を目指す集会には8万人が集結した。大城は中学3年だった。高校2年の県民大会では、高校生代表として壇上に立っている。

 その3年後、日米安保を批判し、基地の即時撤去を訴えた革新系の屋良朝苗(やらちょうびょう)が行政主席(知事)に当選。このような祖国復帰運動は沖縄全域に広がり、県民はいやがうえにも国政参加の意識が高まり、政治に民意が反映されることを強く期待した。

 しかし2年後、期待とは裏腹に基地は残った。大城の言うなんともいえないやるせなさ、自分を見失うような虚無感は、投票率83.6%の多くの人々の胸に去来したとみるのが自然だ。

私はヤマトじゃない、沖縄の人間だ

 南風原で染色業を営んでいた父は、大城が小学校5年の時に病死した。次いで中学2年で母が病死。7人きょうだいの6番目である。苦労して大学を卒業したにも関わらず、大城は就職もせず、本土に渡った。そしてたるんだ弦のように、気持が宙ぶらりんのまま東北、北海道を2年間放浪した。

 仙台の耕運機を作る工場で季節工として働いたこともあるが、ほとんどは仕事もせず着の身着のまま、時をやり過ごしていた。弘前の四畳半一間の下宿に寝泊まりしたときのこと。ふっと思った。

「ヤマトは私の住む場所じゃない」

 じゃあ、どこが私の生きる場所なのか? 理屈ではなく、体に流れる血が教えてくれた。──私は沖縄の人間だ。

「ヤマトのどこへ行っても自分はよそ者の意識があった。だからといって、妥協とも違うんです。自分のような人間こそ、沖縄でやることがあるんじゃないかとやっと気づいた。そう思うのに2年という時間が必要だったんですね」

 大城はまた、こうも述懐する。

「大学卒業後、そのまま就職する友達をなぜそんなに簡単に就職できるんだ?と疑問でしかたなかった。私はあのときチルダイのまま就職しなくてよかったと今でも思う。そうしたらきっと途中で辞めていた。いろんなものを捨ててヤマトに渡ったけど、自分だけは捨てなかったことを誇りに思っているよ」

 故郷、家族、安定した每日、そして祖国復帰に燃えた過去の日々。たしかに大城は一切を捨てた。身ひとつになったからこそ、見える本質がある。それは、ヤマトと沖縄の人々の意識の違いだ。1972年のベストセラーは『日本列島改造論』(田中角栄著)。「ナウ」という言葉と男性の長髪と吉田拓郎の『旅の宿』が流行っていた。ヤマトの人は、沖縄戦で県民の4人にひとりが亡くなり、その後27年もの間、核兵器を保有していると言われた米軍基地と隣りあわせで暮らし、アメリカに統治された沖縄県民の痛みをもはや忘れているのではないかと思った。

 大城は故郷、南風原町の町職員の募集があることを知る。採用ひとりに対して応募者76名。教員免許を持つ大城は採用され、中央公民館に配属された。すぐさま彼は、地域の拠点づくり着手する。

舞踊、民謡、三線。古典芸能を学べる教室は各集落に点在

「それまでの公民館活動といえば、生花や料理の教室などが中心でした。でも習い事だけで終わりにしたくない。人々が交流して、なにか生み出す場所にしたいと考えました。そこで目をつけたのが古くから伝わる民俗芸能です。本来、南風原に伝わる祭りや踊りは、神様に見せるもので、暮らしとコミュニティのなかで生まれ、育まれてきました。ところがその頃の祭りは、いつしか形骸化した踊りと、バンドやダンスしかなくなっていた。“こんなの借り物だ!”と思いましたね。もともとあったエネルギーあふれる踊りと、人々をつなぐゆたかな祭りを取り戻したいと。そうすれば、祭りが求心力を取り戻し、南風原の人々に血を流しこむきっかけになると考えました」

 南風原町には集落ごとに歌も型も違う芸能があったが、青年会の活動は長らく停滞し、それを受け継ぐ機会が失われていた。そこで大城は、社会教育主事の立場から地域に働きかけ、若者たちに芸能を通して地域に対する想いを再確認する場を作った。こうして、たとえば津嘉山地区に伝わる「組踊り」という古典芸能や狂言など、集落ごとに伝わる芸能が次々と復活。それらが一同に会して発表される民族芸能交流会は今年28回目を数える。


南風原の血脈が生み出したもの

 中央公民館の取り組みは民俗芸能の掘り起こしだけではない。大城は、戦争の記録を町民の手で残すことにも着手した。学者や専門家の手を借りながら、町の高校生や主婦が町の老人に体験を聞く。語り継がれる側が語り継ぐ側に転換できる画期的な戦争体験調査から、後の沖縄陸軍南風原壕の保存公開が実現したことは連載第4回のとおりである。

 極論すれば、おそらく大城和喜がいなかったら南風原に芸能は復活していないし、壕の公開もなかった。

 壕のある黄金森の敷地の一角には『憲法9条の碑』が建立されている。表は日本語、裏は中国語、ハングル、英語で訳した9九条が刻まれている。2007年、はえばる九条の会が中心となり、50人の委員が町民に記念碑建立のための寄付を募ったところ、1口500円で目標250万の所あっというまに280万が集まった。

「二人に一人がなくなった南風原では、町民がとくに反戦の意識が高い」と金城義夫元町長は語っていた。反戦意識とともに、祭や民俗芸能継承のために誕生した各地域の保存会を通して若者中心に横のつながりが根太くはりめぐらされたコミュニケーションの構造も、町民の結束を固める一助になっている。これはまぎれもなく大城が蒔いた種だ。一度故郷を捨て、ヤマトに行ったからこそ再構築できた思想の根っこには、南風原であったことを次世代、もっといえば世界に伝えるという使命が通底している。だからこそ、壕は日本初の戦争遺跡文化財になりえた。

本土との意識の差、いま壕が教えてくれるもの

 南風原町在住、大学4年生の男性に話を聞いた。小学5年生のとき、平和学習の一環で一般公開前の壕に特別に入ったのを鮮烈に覚えているという。

「7人で入りました。壕内はひんやりしていて、懐中電灯を消すと隣に人がいることさえわからないほど真っ暗で、とてつもない恐怖を感じました。中には泣き出す子もいた。僕も早くこの恐ろしい場所から逃げ出したいと思いました」

 また、南風原町出身で、現在は東京で看護学生をしている24歳の女性はこう語る。

「小学生のころは壕はまだ工事中で入れず、壕のレプリカを展示する町立の旧文化センターへ授業で何十回も通いました。レプリカとわかっていても、壕を再現した展示室に入るのはとても恐ろしかった。私たちは、展示室に入ることで戦争体験者から聞いた話を自らが追体験していました。また、他の地区の壕に社会科見学にも行きました。もう10年も前のことなのに、私ははっきりとそこで見たもの、嗅いだ匂い、肌で感じたもの、そこで感じた恐怖心を思い出すことができます。沖縄の戦跡がもつ、記憶の濃さは圧倒的だと思います」

 上京して4年。いま、彼女が一番戸惑ったのはこんなことだ。

「私だけ、人と戦争との距離感が違いすぎる。地元にいる頃は他人と共有していると思いこんでいた平和への切実な思いが、東京に来てからは全く共有している感覚がなく、そのことが大きな戸惑いでした」

 それは大城のチルダイ時代の、ヤマトと沖縄の意識の違いとも違う。自分だけが持つ“肌で直接感じたことのあるような戦争への恐怖”や“ “戦争を実際に見たかのように肉薄された感覚”である。この 平和への焦燥にも似た強い思いがどこから来るのか。その根源を探しあぐねて戸惑ったという。

 やがて気づいた。それらは、実のある平和教育をたゆみなく続けてきた南原町の大人たちによって与えられたものなのだと。

 彼女は言う。

「私がもつ感覚や思いはそれを伝えようとした大人たちによって与えられたもの。私が平和への思いに大きな信頼を寄せるようになれた大人たちに感謝せずにはいられません」

喜屋武の喧嘩綱曳き

喜屋武の大綱曳きの夜は、家や集会所のあちこちで芸能の宴が開かれる

 南風原超の取材では、「今日は喜屋武(きゃん)の大綱曳きだから絶対見たほうがいいよ。これ見ないと南風原に来たことにならないよー」と、平和ガイド大城逸子さんに宿泊を強く勧められた。

 南風原では集落ごとに、琉球王朝時代から受け継ぐ伝統祭祀の綱曳きが行われる。とりわけ喜屋武地区は荒々しいことで有名で、旧暦の6月25日と26日の夜、東(あがり)と西(いり)に分かれて綱を曳く。“つなひき”いう言葉のイメージからは、かけ離れた男たちの体を張った真剣勝負だ。22時頃から人が集まりだす真夜中の行事なので、泊まった方がいいというわけである。

 直径7〜80センチもある巨大な綱を引き合う。曳く前に小競り合いあり、汗がほとばしり、殺気立っている。こんな時間なのに、小さな子どももいて住民総出だ。逸子さんは西の地区の出身だが、嫁いだ先は東なので、綱曳きが近づくとその話は一切しなくなるという。
 1回戦が終わると、すでにTシャツがボロボロに裂けたり、流血している男性が何人かいた。別名けんか綱曳きと言われ、県内でも広く知られている由縁だ。

22時。公園に老若男女が集まり出す。闘い前の奇妙な静けさに包まれている。

 逸子さんに聞いた。

「負けたら翌日からも東と西は口をきかないんですか?」

 あっはっはと彼女は笑い飛ばした。

「戦い終わったら恨みっこなし。ノーサイドよー」

 2回戦が終わると、広場に老若男女がとびだし、みな笑顔でカチャーシーを踊り始めた。大人も子どもも男も女も。

たいまつに照らされる綱とかつぎ手たち

 どうなることかと見守っていた私はあっけにとられた。このタイミングで踊りだすとは、まさにノーサイド!

それぞれの沖縄戦、壕に託す想い

 逸子さんは我が子が幼い時に病気でなくしたことをきっかけに、平和ガイドとして壕を案内するボランティアを志した。根底には命の重さへの希求がある。

男たちの殺気と緊迫した空気がはりつめる

「それまで街を歩くアメリカさんのかっこよさに憧れていて、私なんて短大の英文科に行っちゃった。ガイドで勉強をさせてもらうまで、南風原のことも戦争のことも、なんも知らないことだらけだったと思ったねー。南風原町はこんなところにお金を使う。すごいことだと思うし、誇りに思っています」

 金城義夫元町長、大城和喜元文化センター館長、そしてたとえば平和ガイドの大城逸子。一人一人それぞれの想いが壕を支えている。

曳く前に若者どうしの体のぶつけ合いがある。また場外では小競り合いも

 今年6月19日、元米軍海兵隊員が20歳の女性を暴行、殺害した事件で、被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める集会が開かれ、6万5千人(主催者発表)が集まった。また、18年前の沖縄米兵少女暴行事件に抗議する県民総決起大会には8万5000人が参加(主催者発表)した。遡ること1965年、祖国復帰のために開かれた県民集会の参加者数とほぼ同じだ。51年間、沖縄の声の分量は変わらない。

 昨年の憲法記念日に、私は初めて家族と南風原の真っ暗な壕に入った。十数歩進んだところですでにどうしようもなく背筋が寒くなり、私は前述の大学生と同じことを思った。

「こんなところ、早く出たい」。毛穴から染みこむ恐怖は体験したものにしかわからない。南風原が14年の歳月をかけて遺した戦跡は静かだが、うめき声や叫びや臭いやかきむしられるような不安で、息苦しくなった。想像とは、なんと過酷で辛辣な作業なのだろう。

本戦はかけ声と怒号が飛び交い、縄を挟んで人と人がぶつかり合う

 ガイドをした逸子さんは取材の最後につぶやいていた。

「南風原の私たちも、いまだに知らないことばかりなんです」

 ノーサイドの本当の意味を、彼女や金城や大城に聞き忘れたことを私は密かに悔いている。

(おわり)

勝敗が決まると、誰からともなくカチャーシーを踊り出し、輪ができる

(参考)
南風原町立南風原文化センター
沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武武257番地
9時〜18時/休館水曜日・12月29日〜1月3日
(団体以外予約不要)

〈戦争遺跡文化財指定全国第1号〉
沖縄陸軍病院 南風原壕群20号
沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武武257番地
見学申込先:南風原町立南風原文化センター(098−889−7399)
(要予約)

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