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2009.05.01

第三十回

「サバイバル食育のすすめ『食の共同体-動員から連帯へ』」の巻

堀越 英美

「サバイバル食育のすすめ『食の共同体-動員から連帯へ』」の巻

 西原理恵子が毎日新聞紙上で、「食育なんて女をばかにしてる言葉」「食育なんて無視しましょうよ」と提言し、議論を醸したことがある。国が家庭の食卓に口を出すことが、現場の母親たちを追い詰めているという問題提起である。

 食生活が重要であることに異論があるわけではないけれど、確かに食育の運用のされ方って変だなあとは思う。今の時代、わざわざ子供をなそうという母親の多くはそれなりの調理能力と食についての知識を持っている。むしろ食生活が危ういのは、仕事が忙しかったり、あるいは家事スキルを学ぶ機会がなかったりで、外食・中食を中心にせざるをえない単身者ではなかろうか。しかし2005年に食育基本法が成立して以来、彼らに対して食育が施されたという話は聞いたことがない。2007年には派遣社員の40代独身男性が(おそらくは劣悪な食生活のために)肝炎、糖尿病、高血圧などを患って働けなくなり、頼みの綱の生活保護も打ち切られて餓死、という事件も起きている(北九州市小倉北区餓死事件)。餓死まではいかずとも、食事をインスタント食品やコンビニ飯で済ませるために食費がかさみ、ますます貧しくなっていくワーキングプアの問題は時折報道されるところだ。この現実を前に、「お母さん、野菜炒めをやめて煮物にしましょう」「パンをやめて3食ご飯にしましょう」とは、マリー・アントワネット並みの太平楽に思える。

 食育というからには子供が対象に決まってるじゃないか、という声もありそうだが、食育基本法第一章第一条によれば、食育基本法は「現在及び将来にわたる健康で文化的な国民の生活と豊かで活力ある社会の実現に寄与する」ことを目的として制定されたとある。つまり食育が施される対象は、広く国民でなければならないはずなのだ。現に「食育推進基本計画」には、20歳代男性、30歳代男性の高い朝食欠食率を15%以下にするという数値目標が掲げられている。なのに現状、食育に振り回されているのは母親・教育関係者のみという不思議さ。

 そんな政府主導の食育運動の危うさを歴史的に分析している本があるというので読んでみた。『食の共同体─動員から連帯へ』は、農業経済学、環境学を専門とする大学の先生たちによる共著で、食の問題がいかに国家・イデオロギーと密接に結びついてきたかを近代日本やナチス、有機農業運動を例に引きながら紹介した書籍だ。

 第1章「悲しみの米食共同体」は、戦時中の日本における日本米賛美が、「日本の国体を誇る国民心性を育み、天皇制を下から支える一つの土台」となった一方で、米穀の需給悪化で白米が贅沢品として自粛の対象になり、徐々に米食共同体が崩壊していく過程を明らかにしている。日本米のおいしさが動員のイデオロギーに利用されつつも、米が国民にゆきわたるには戦後の高度成長を待たねばならず、米に不自由しなくなったとたん国民が米離れを起こしてしまったという矛盾。なお、庶民の米離れの象徴ともいえる「朝食にトーストとハムエッグ」という風習は、昭和天皇の食卓をモデルに広まったものだそうだ。今で言うところの憧れセレブの役割を、メディアが乏しい時代は天皇家が一手に引き受けていたのだろうか。ある程度自由に食事を選べる立場の天皇陛下が「朝は軽い洋食がいいよネ~」と所望するくらいなのだから、豊かになった庶民がそれに習うのは当然のことだとも言える。そういえば我が家の1歳8ヶ月児が言える数少ない2語文のひとつが、「パン、ないの」(朝食がご飯であることに多少のガッカリ感をにじませながら)だった。それにしても、「日本の伝統」を錦の御旗にパン食排撃を訴える食育論者たちは、昭和天皇のパン食をどう解釈するのだろうか。

 第2章「台所のナチズム」は、ヒトラー政権下のドイツにおいて「第二の性」として蔑視されていた女性たちが、「身体は国家のもの!身体は総統のもの!健康は義務である!食は自分だけのものではない!」というスローガンのもと、台所のプロフェッショナルとして誇りと自尊心を与えられ、ナチスに動員されていったという話。なかでも主婦へのプロパガンダとして最も効果的に働いたのが、「もったいない運動」の先駆けとなった「無駄なくせ闘争」なのだそうだ。節約主婦といえば夕方ニュースの定番コンテンツだが、いつの時代も主婦たちは節約競争となると燃え上がってしまうものらしい。主婦たちに配布されたという「無駄なくせ闘争10ヵ条」を見てみると、
「勤勉な主婦であれば、食べものをけっして無駄にしない」
「いつも、旬のもの、ドイツの土地で収穫したものを買え」
「愛は食事によって表現できる。そのために、食事は丹誠込めて、それについて十分理解したうえで準備せよ」
「良き主婦は、食材の残りを目的に沿って再利用する。それによって家事に費やされるお金を蓄えよ」
「『無駄なくせ闘争』は、ドイツ民族が作った収穫物への感謝なのだ」
 と、ドイツを日本に変えれば食育運動にそのまま使えそうな文言が並んでいる。実践編として、<サラダ油の残りでろうそくを作る方法>といった家事の裏ワザがびっしり書かれた啓蒙パンフレットが配布されたりもしたらしい。「伊東家の食卓」ならぬ「総統家の食卓」でしょうか。そして節約術といえばカリスマ主婦。小冊子『無駄なくせ闘争』には、ヴァイス夫人なる模範主婦が、「家事って最も女にふさわしい仕事だと思うのホホホ」「国産にこだわって旬を食べるようにしておりますの。だって安いんですもの」というようなことを賢いミセス代表としてインタビューで語っている。ヴァイス夫人、今だったら『edu』あたりで連載を持っていそうだ。

 第3章「喪失の歴史としての有機農業」は、日本農業、ひいては社会体制へのアンチテーゼという出自を持つ有機農業運動が、反原発、三里塚闘争、水俣病問題など、いわゆる左翼系の社会運動と連関していた過去を明らかにしている。かつては「消費者のエゴ」と批判されていた有機野菜が徐々に既存の流通にのるようになり、左翼色が薄れていったのは1980年末以降。この過渡期に有機農業を扱ったサブカルチャーとして、『おもひでぽろぽろ』と『夏子の酒』が紹介されている。そういえば両方とも、若い女性が都会を離れて田舎に行き、有機農業に情熱を燃やす男に啓蒙される話だった。無知で清楚なプチブル娘を、インテリゲンチャの男がオルグするという構図、確かに昔の学生運動っぽい。右派は主婦を、左派は若い女の子を啓蒙したがるものなのだろうか。

 第4章「安全安心社会における食育の布陣」は、従来の自生的な食についての教育・学習活動、食農教育と区別して、食育基本法の枠組みに沿うような形で行われる取り組みを「基本法食育」と呼び、これを批判的に取り扱っている。「美しい」「健全」「豊か」など情緒的で実態がつかみづらい言葉が並んでいる「食育基本法」は、それゆえに誰にとっても反対しづらく、「食育は正義」という色合いを帯びて内実を問われないまま国民運動として機能しているわけだが、その目的は一体なんなのか。食育を推進した当時の総理大臣・小泉純一郎は、食育を「人間力」を向上させる手段として位置づけていたという。人間力。これまた実態のつかみづらい曖昧な言葉であるが、総合的な人間的魅力と解そうにも「ラスコーリニコフの人間力」「愛されネイルで人間力アップ!」というような用法はあまり聞かないし、そもそも使われるシーンがビジネス系、教育系に限定されているところから、

「結局のところ、『人間力』とは人間を生産手段や資源として捉える見方である」(p194)

 という見解で間違ってはいないのだろう。これにプラスして「日本人としての誇りや伝統的な徳目の強化」が「人間力」のもう一つの側面として掲げられているのは、調整弁的労働力として扱われる非エリートたちに不満を抱かせないためと本書は述べている。ネオリベラリズムによって孤立化し、強い共同体願望を抱え込まされた非エリートの若者たちにとって、「日本人としての誇り」「伝統」という言葉は甘く響く。かくして「人間力」という言葉は、「市場のメカニズムを十二分に活かしうるネオリベラリズム的な人間像と、それに対応しきれない多数者をまとめ上げる機能としての伝統的・倫理的人間像の融合」(p196)として、国民を動員していくことになる。

 だからこそ、基本法食育では「日本の伝統」がことさらに強調される。基本法食育推進者が理想とする家庭とは、家族が一堂に会して団欒しながら食事をとり、しつけ、生活習慣、調理技術を伝えていくという機能を持ち、もっぱら女がその機能を担うという家父長的な直系家族にほかならない。これを妨げるのが「女の社会進出」であり、「ファストフード」であり、ために「キレる子どもたち」や「無気力な子どもたち」が増えているのだ、というのが彼らの定番の論旨である。したがって母親たちに「日本の伝統」を押しつけるべく励みこそすれ、そもそも伝統的な家庭を持つ能力のない(「人間力」のない)ワーキングプアなどには見向きもしないのだろう。

 本書は「日本の伝統食」が健康に最良であるという基本法食育の前提条件にもメスを入れる。「日本の伝統食」幻想の発端となったのは、アメリカ上院栄養問題特別委員会が1977年に発表した「マクバガン報告」である。同報告書が、ガンや心臓病の増加の原因としてアメリカ型食生活を挙げ、それとは対照的な理想の食生活として日本を高く評価したことが、「日本型食生活」にスポットが当たるきっかけとなった。しかしこの日本型食生活、食育論者やマクロビオティックの指導者たちが考える「日本の伝統食」とイコールではない。1960年の時点の日本の食生活パターンは「炭水化物過剰、脂質大幅不足」で、それ以前であればこの傾向がもっと強かったはずだ。2005年には逆転して「炭水化物不足、脂質過剰」が問題視されるのだが、バランスが逆転する過程にあった1980年~90年代半ばまでの日本の食生活が、たまたま適正な栄養比率に合致していたに過ぎないのだと本書は指摘している。

 1980年代と言えば、まさに基本法食育推進者が敵視する「ハハキトク、おかあさんやすめ」(ハンバーグ、ハムエッグ、オムレツ、カレーライス、スパゲティーなどの洋食の頭文字をとった標語)が食卓を賑わせていた頃。戦後生まれの主婦が子どもを喜ばせるべく編み出した和洋折衷の家庭料理こそが、健康食だったんじゃないのか。それはともかく、現場の母親に対する蔑視と悪意がモロバレなこの標語、日本人の洗脳ベタを物語っているようで興味深い。ナチスですらオカン褒めで動員に成功したというのに。そんなことだからオカンたちの反感を買って「無視しましょうよ」と言われてしまうのだ。

 ところで本書は、食育批判の書ではない。むしろ「基本法食育」に回収されない食育を目指すという希望をもって締めくくられている。

「きちんとした作法で食べようという基本法食育はあるけれど、とことん空腹にして、人間がどこまで耐えられるのかということを試みるような食育は聞いたことがない。(中略)たとえば高齢者や外国人労働者と、一週間ほど離島や山間部で一緒に暮らし、自ら責任をもって食糧と水を調達し、調理して共に食べるといった経験を積めば、食の本来的な意義や農業の本質的な重要性を身体レベルで感得することができるかもしれない」(p240)

 サバイバル食育……! 確かに我が子が自由に育ちすぎて産業界のお役に立てない人間力ゼロ子さんに成長したら、「パン、ないの」などと悠長なことを言ってはおれまい。泥水と野草を食んで生き延びる食育を、今のうちに施しておくべきかしら。どうかしら。 

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