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2009.09.01

第三十七回

「『ママ』と『女子』考」の巻

堀越 英美

「『ママ』と『女子』考」の巻

 ママ向けファッション誌をいくつか読んできて、独身・同年代向けファッション誌との大きな違いに気がついたことがある。ママ向けファッション誌は「ママになっても独身時代のようにオシャレを楽しみたい!」がテーマだから、ファッションのテイストは独身女性向けのそれと大きく異なることはない。違うのは、「女子」という単語が見あたらないことだ。

 泉ピン子主演の刑事ドラマが『女子刑事(ジョシデカ)』と名付けられるくらい、妙齢の女性を指す言葉としての「女子」は急速に浸透してきた感がある。長らく女性には、「少年→少女」のように、「青年」に対応する言葉がなかった。「いいとも青年隊」の女版は「いいとも少女隊」。20~30代男性向けマンガは「青年マンガ」だが、女性向けマンガはいくつになっても「少女マンガ」。「青年マンガ」に対して「レディースコミック」という造語が生まれたが、すぐに女性向けエロマンガの総称になってしまった。そこへ「女子」だ。安野モヨコのエッセイマンガや『負け犬の遠吠え』で多用されたのがブレイクのきっかけであろうか。「大人女子」「30代女子」「女子力」等々、今や「女子」をメディアで見かけない日はない。たとえば『FRaU』9月号のマンガ特集のタイトルは、「女子マンガ好きがとまらない」。『りぼん』や『なかよし』ではない、大人の女性向けマンガであることが一目瞭然だ。

 思えば「女子」という単語は便利すぎた。「女相撲」を「女子相撲」と言い換えてみよう。前者はキャットファイト系のアダルト動画を連想するが、後者はエロ抜きの純然たるスポーツ競技にしか思われない。逆に「女子水泳」が「女水泳」だったらどうか。ポロリが期待されやしないか。「オタク女子」は他称として使えるが、「オタク女」だとバカにしているみたいでおいそれと使えない。「女」という言葉には、単なる性別以上の意味がどっさり込められている。

 それなら「女性」はどうか、というとこちらも意外と使い方が難しい。「女子トイレ」を「女性トイレ」と言い換えてみたときの、「アロマでも焚いてるんすか」という違和感。「女性」という言葉は、社会がかくあれかしと望む「女性」像から決してはみ出さないしなやかミセスを連想させる。興味領域は恋愛・ファッション・美容・家事・育児・ペット・グルメあたり。だから「腐女子」は「腐女性」ではありえない。「女性」は決して腐らないからである。腐るどころかむだ毛一本生やしてはならないのが「女性」。「干物女子」も同様だ。「文化系女子」はお笑いファンやゴスロリギャルも頭数に入りそうだが、「文化系女性」となると揺り椅子の上でショパンを聴きながらインテリア雑誌でも読んでいるイメージ。「女」がエロ担当・見下され担当だとすると、「女性」はジェンダー担当・愛され担当と申しましょうか。愛人にするなら「女」で、奥さんにするなら「女性」という感じ。いずれのイメージも、性別「女」の人々が歴史的に浴びてきた視線の集大成でもある。

「女子」は、その点ニュートラルだ。行政区分としての性別しか指し示しませんよ、という硬さがある。「女子トイレ」があまねく♀を受け入れるように、「女」を捨てている♀も「女子」ならオッケーだ。30過ぎても髪の毛振り乱して仕事に邁進していたり、部屋がマンガで埋め尽くされていたりといった不可視の♀たちを、「女子」という言葉がざっくりすくい上げる。「女」を捨てているわけではない♀も、「女性」枠をとりあえずとっぱらって好きなように話そうぜ、というときはやっぱり「女子」なのだ。

 この「女子」、ネットでは1996年時点ですでに常用されていた記憶がある。当時私のように自前のWebサイトを作っている女は、しばしば「web女子」などと呼ばれていた。データが全く残っていないため記憶頼りの記述で申し訳ないが、この話をmixiで書いたところ、私より古くからネットを使っていた人々から似たような証言が得られたので、大きく間違ってはいないと思う。

 顔が見えず実世界とのつながりも薄いネットでは、「女」を捨てるな、「女性」であれというプレッシャーはゆるい。もちろん写真を駆使して上手に「女性」を演じ、「ネットアイドル」として君臨していた人もいたけれども、そうじゃない道をたどる女子もまた多かった。私は友達の弟(不登校中)に「去勢恐怖新聞」という童貞喪失レポートを書かせたりしていたので、「こいつを“女性”扱いするのはちょっとなー」と思われていたのかもしれない。事実、実際に会って「本当に女だったの!?」と驚かれた事は一度や二度ではない。私は特別に下品だったから仕方がないが、上品な語り口で音楽や映画の話題を扱っていた女友達の皆さんも、やはり男だと思われることたびたびだったという。その理由は「こんなにマニアックな女がいるはずがない」。女子ブロガーが大活躍している現在ではにわかに信じがたい話かもしれないが、当時の「女性」観なんてそんなものである。一般社会で解放しがたい自分ワールドをネットで花開かせていた♀たちを指す言葉として、「女子」は確かに便利だった。

 ちなみに『STUDIO VOICE』の女性アーティスト特集「GIRL QUAKE! 秘められた少女達の暴力性」(1996年1月号)には、「女子」という言葉は見あたらない。パティ・スミスも鈴木いづみも萩尾望都も、年齢はどうあれみんな「少女」扱い。同誌によれば「少女」とは、サラリーマン世帯の急増で「主婦となる以前のひきのばされたモラトリアム」を持つことが許された女たちの、「男性によって規定されることなしに女性でありうる性」であり、「女性性のなかで異性愛の強制をまぬがれる部分」と定義付けられている。当時としては珍しくない少女論だが、これは現代における「女子」そのものだ。いくら「女」や「女性」がそぐわないからといって、二十歳過ぎの女を「少女」と呼ぶのはさすがにムリがあるわけで、ネットから一般メディアに「女子」が浸出していくのは時間の問題だったのだろう。

「女子」の成立条件は、「主婦となる以前のひきのばされたモラトリアム」にある。「女子」と「ママ」が両立しないのも道理だ。「女性」文化圏の『VERY』も、「ギャル」文化圏の『I LOVE mama』も、旧「女子」文化圏の『nina's』も、ママ雑誌はみんな一律に「ママ」である。せっかく手にしたモラトリアムの特権を、そんなに簡単に手放していいのか。ここは蛮勇をふるって「ママ女子」を名乗ってみてはどうか。そんな蛮勇はいらないか。

 しかし「女子」が浸透するに従って、「女子高生」や「女子大生」を連想する男性の皆さんから「オバサンのくせに若いコぶりやがって」という非難を浴びがちなのも事実。未婚の女が性的な品定めをかわすのは、どうしたって不可能なのだ。そうした視線を取り込んで、「女子」も次第に生臭くなりつつある。私自身、「文化系」について語られるとき無視されがちな女子をクローズアップするために「文化系女子」という言葉を思いついたはいいものの、「文化系女子は萌えるか否か」という論争がネットで盛り上がってしまい、自分が言い出しっぺだと言いづらくなったという経験がある。いやだって、どう考えてもご期待に応えられないもの。こうなると「ママ」こそが、「男性によって規定されることなしに女性でありうる性」「女性性のなかで異性愛の強制をまぬがれる部分」だったりするんじゃないかと思えてくる。むしろ「母親である前に女なの……」というほうがいかがわしい雰囲気だ。我々はモラトリアムを手放す代わりに、「女」を捨ててもいいという特権を手に入れたのだろうか。それを特権と呼んでいいのかどうかはさておいて。 

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