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2012.01.15

その69

年末年始の風景

望月 昭/細川 貂々

年末年始の風景

 あいかわらず、お絵かきらしきお絵かきができないわが息子だが、突然オモチャのピアノを叩いて歌い出した。場所は浦安、2011年末のリフォームが済んだかつての住居でである。さまざまなものが関西の新居に持ち出されたが、オモチャのピアノは置き去りにされていたのだ。
「あーいして、いーるうよー。しんかんせん、えぬななひゃっけー、はんきゅう、はんしん、とうざいせーん」
 意味不明である。しかし、息子は恍惚としてピアノを叩いている。両手とも人差し指を一本立てて、歌とはぜんぜん音程が合ってない。リズムも合っているとは言えない。
「どくたー、いえろー、まえにー、まえにー、まえにーすすめー。いくよー、えきだー、ぜんぽうちゅういー」
 こ、これは「ラクガキ的作曲である」と僕は思った。色鉛筆やマーカーでお絵かきのできない息子だが、紙に向かって絵を描くことよりも先に、歌うことでのラクガキが始まったのだ。メロディーは「チューリップ」や「ちょうちょ」の片鱗もうかがわせ、それからなぜかベートーヴェンの「歓喜の歌」のようにもなった。歌詞は電車のことや、電車関係の語彙、それからタカラヅカ歌劇的な「愛」「夢」などが登場している。あと、ちょっとアニソン的な感じも。
 息子は陶酔するように、延々十分ほどもオモチャのピアノを叩いて歌い続けた。メロディーも歌詞もぜんぜん冴えなかったし、歌っている姿もカッコ良くない。歌もダメならピアノもそう。ピアニストの辻井伸行さんは、二歳の頃に「ハッピーバースデー」のメロディーをオモチャのピアノで弾いてみせたらしいが、うちの息子は、オクターブを合わせることもできずただキャンキャン鳴らしているだけだ。
 しかし、それは「楽器を奏でながら自作の歌を熱唱する人」のようではあった。
 その種のミュージシャンの模倣という遊びだろうか。確かに、以前はできなかったことを行っている。
 それもまた成長であるだろう。
 うむ、と僕は思った。これも置き去りにされた大型テレビの画面では、敬愛する大指揮者朝比奈隆さんの指揮するベートーヴェンの第九の映像が流れていた。これを鑑賞していたのは僕。僕が音楽に熱中していたら、息子に邪魔をされたわけなのである。DVDの映像は2000年の歳末に収録されたものだ。その一年後、2001年の12月末に、朝比奈隆さんは亡くなった。映像を鑑賞している今は、朝比奈隆さんの没後10年目の節目ということになっている。

 朝比奈隆さんが亡くなった後、僕の人生は少なからず浮き沈みがあった。会社のリストラがあったり、うつ病になったり、パニック症的な状態になってしまったりして、長らく生の演奏会を聴くことから遠ざかっていた。それが、2011年はついに演奏会に行くことができるようになった。12月25日には神戸で朝比奈千足さん(朝比奈隆さんの息子だ)の指揮する大阪フィルのベートーヴェン第九コンサートを聴きに行くこともできた。
 僕も息子も少しずつ進んだ一年ではあったのだが、大きな喪失が続いた一年でもあった。春先の大震災、ずっと住んでいた千葉県浦安市から関西に新住居を求めたこと、そして相棒の母君「かあちゃん」の突然の逝去など。秋には相棒の作品「ツレがうつになりまして。」が映画化されて公開されるという大きな出来事もあったが、それは僕らの個人的な体験が自分たちの手から離れていくようでもあり、その作品がまたあまりにも大きくなりすぎて、生み出した自分たち以上の存在になってしまったこと。そういう意味での節目を迎えることになったのかもしれなかった。
 どうにかこうにか、2011年の歳末にたどり着いたという気がした。
 僕が鑑賞するベートーヴェンの第九と、息子のがなりたてる即興の歌唱が、波乱万丈だった2011年の歳末の風景だった。それを、もはや継続的に居住している場所ではない、しかし僕らの人生においてあまりにも重要な浦安という場所で迎えたことも意味があったんだろう。

 明けて、2012年。やはり浦安からスタートする。僕らの親戚はほとんどが関東地方に居住している。だから年始回りの都合も考えて、歳末には首都圏に移動していたのだ。
 年始回りでは元旦に僕の両親と妹夫婦に会い、二日に相棒の父親と妹夫婦、埼玉の親族に会ってくる。昨年の正月には義母「かあちゃん」も一緒に写真を撮ったのだが、その「かあちゃん」も、もういない。今年の正月に会えた人たちが、一年を無事に生きて来年の正月を迎えられるかどうかさえ、確信が持てなくなってしまった。
 大震災と原発事故は、僕らの意識の中に大きな翳りをもたらしたのだ。そしてその翳りは、今も憂いとなって続いている。これが杞憂と呼ぶべきものであったなら本当に良いのだが。人間の小ささをあざ笑うように、今年も元日の初っ端から大きな地震が関東地方を揺さぶっていた。

 年末年始だけは日常から切り離された時間として、関東地方で迎えたのだが、僕らの今の日常を送る居住地は関西だ。相棒の仕事場もそちらにシフトし、息子の幼稚園も一月から始まるのだ。三が日が終わった後の一月四日に、新幹線に乗って関西に戻ってきた。
 一月四日の新幹線は、指定席でもコドモでいっぱいだった。うちの息子も僕の膝の上に乗っていたが、どの列も大きいのから小さいのまでコドモでいっぱいで、ちょっと楽しかった。僕自身がコドモの頃には、日本にもコドモが多くて、こんなような風景が日常茶飯事だったことを思い出した。
 関西に戻り、年末の大掃除で整理してあったゴミを捨て、食料を買い込み、また日常がスタートする。そして、ついに息子の幼稚園通いも始まる。
 始園式と銘打った週末だが、うちの息子にとっては始めて制服を着て幼稚園に通う、いわば「入園」の日。宝塚は山に囲まれているので夜明けも遅いし、なかなか寒いのだが、制服を着た息子を連れて外に出て、川沿いの道をひたすら歩かせる。朝は車も多いし、息子はすぐに歩かなくなってしまうので肩車だ。
 一度は保育園に入る道を選んだはずなのに、なぜか幼稚園に入園することになってしまった息子の運命も不思議だ。先のことはまったくわからない。昨年の二月に、千葉県で保育園に通わせることに決定していたのに、一年も経たないうちにこうなっているのだから、先のことはまったくわからないけど、今の希望はこのまま小学校も中学も高校も関西でなじんで欲しいとも思う。
 これから通う幼稚園。息子を連れて教室まで通してもらう。本来は園の門のところで園児を引き渡して帰る規則なのだが、新人なので荷物が多くて親である僕も教室まで入れてもらったのだ。小さな机と椅子がある。ロッカーと靴箱もある。「あたらしいおともだち」と紹介された息子は、しばらくは不安そうに僕の足にしがみついていたが、近所を走る電車の音を聴いて「おっ、でんしゃ?」と気が逸れた。その隙に僕は帰ることにした。
 初日のお迎えは三時間後、午前中でオシマイだったのだが、迎えに行ったとき、教室をこっそり覗いてみたら、息子は他の男の子と椅子を並べてなにやら談笑していた。その様子は僕の知っている息子よりちょっぴり大人びていて、成長したんだなあと思い知らされるものだった。だけど、他の子に比べて、ずいぶん、もしかしたらクラスで一番小さい体格なのかもしれないんだけどね。
「ばいばい、またくるよ〜。さようなら」
 息子はお友達に手を振りながら、幼稚園を後にした。幼稚園初日、無事にこなせたのだった。親である僕と相棒のほうがよっぽど緊張していた一日だった。

 そして、新たなステップを踏んだ息子は、成人の日を含む連休が明けた日からは、僕の作る弁当を持って午後二時まで毎日幼稚園生をする予定になっております。 

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