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2017.12.06 公開 ツイート

『プライド』の冒頭50ページを特別先行公開!

髙田延彦 vs ヒクソン・グレイシーの真実が、20年の時を経て、初めて明かされる。 金子達仁

 Uインターは、プロレス最強を旗印に、プロレスの素晴らしさ、面白さも伝える。髙田たちはファンにそう訴え、ファンはそれを信じた。だが、どれほどいままでのプロレスとは違った要素を盛り込もうとも、自分たちのやっていることがほとんど身内同士による自流試合だということは、他ならぬ髙田自身が一番よくわかっていた。もちろん、この頃の髙田は、突き詰めていけば自分を昇華させるに値する自流試合が数多く存在していることに気づいてはいたが、それがゆえに髙田はさらに一層、その内なる矛盾と葛藤せざるをえなくなっていた。

 プロレスの敵は、髙田を激昂させた。プロレスの味方は、髙田を疼かせた。

 心の休まる時が、彼にはなかった。

 問題は、それだけではなかった。

 髙田が社長を務めるUインターは、熱狂的な信者を獲得する一方で、安定した経営基盤を築けずにいた。次第に借金は膨らんでいき、何らかの手を打たないと運営が行き詰まるのは確実、という状況にまで追い込まれた。

 そこでUインターの経営陣の一角である鈴木健と安生洋二は次から次へと斬新な、一歩間違えれば愚手になりかねない手段に打って出た。

 まずやったのは、フジテレビからオファーが来ていたスポーツ番組のメインパーソナリティを、髙田に引き受けさせることだった。話が来た段階では「無理。絶対無理」と全面拒否した髙田だが、自分の露出が増えることがUインターにとっての起爆剤となる、という口説き文句に、最終的には抗えなくなった。

 これまで、ほとんどの、いや、ほぼすべての試合を自流試合としてリングに上がっていた髙田が、Uインターにおいて初の他流試合を闘ったのが、1991年12月22日、Uインターの興行として両国国技館で行われたボクシング元世界チャンピオン、トレバー・バービックとの一戦だった。

 試合前のスパーリングで肋骨を2本折っていた髙田は、「同じ箇所にパンチを受けたら即死しかねない」というドクターストップを振り切り、この一戦に臨んでいた。ローキックで相手を戦意喪失に追い込んだこの試合の、それまで味わったことのなかった緊迫感、充実感を、髙田は忘れられなかった。それゆえ、テレビのキャスターになってくれという仲間からの無茶なリクエストを飲んだ。

 Uインターがなくなってしまったら、ああいう試合をする場がなくなってしまう。それだけは避けなければ。たとえ一時的にレスラーとしての実力が落ちることがあったとしても──そう考えたからだった。

 1994年4月2日、深夜0時15分から髙田と女子バドミントン界のアイドルだった陣内貴美子がパーソナリティを務める新番組『スポーツWAVE』は始まった。90分間の生放送が終わると、髙田はすぐに羽田空港に隣接した東急ホテルまでタクシーを飛ばした。翌日は大阪城ホールで山崎一夫との試合が組まれていたからである。

 放送前日は緊張のあまり、そして放送直後は興奮が醒めやらず、髙田はまったく眠ることができなかった。回を重ねるにつれ、緊張と興奮の度合いは小さくなっていったものの、オンエアの翌日ほとんど睡眠をとらないまま試合に出場するというパターンは、髙田とUインターにとって珍しいことではなくなっていった。

 だが、髙田の知名度が上がっても、Uインターの苦境は変わらなかった。

 鈴木と安生が次に提案してきたのは、「国会議員になってくれ」というリクエストだった。髙田の知名度を利用して議席の獲得を目論む「さわやか新党」の思惑と、社長が国会議員になれば何かが変わるはず、と考えたUインターフロント陣の考えが一致したがゆえのリクエストだった。

 さすがに強烈な拒否反応を示した髙田だったが、周囲はあの手この手を使って説得してくる。何度断っても、そして何度その決断を伝えても、相手は諦めなかった。結局、妻の猛烈な反対があったにもかかわらず、髙田は出馬を決断してしまう。

 結果は、惨敗だった。

 過酷な選挙戦を経験し、文字通り心身ともにボロボロになってしまった髙田だったが、依然、Uインターの社長でありプロレスラーであることに変わりはない。たとえ、実際は到底リングに上がれるような肉体的、心理的な状態でなかろうが、である。

 疲弊しきった33歳に提案された次なる奇策が、新日本プロレスとの全面対抗戦だった。

 バービックとの一戦しかり。相撲の元横綱・北尾光司(双羽黒)との一戦しかり。この決断に至るまでにも、彼らは要所要所で世間の耳目を集める大きなイベントを開催し、それなりの収益を挙げてきてはいた。だが、新日本プロレスのような老舗ではなく、また地上波で放映してくれるテレビ局もついていない彼らにとって、団体を運営していく上での命綱はチケットの売り上げのみである。

 ところが、時々行われる大きなイベントは、一時的に経営を潤してくれた反面、髙田と知名度のある選手との対戦カードが組まれていない通常の興行には客が入らなくなる、という強烈な副作用を伴っていた。

 新日本プロレスとの全面対抗戦となれば、ちょっとした宗教戦争にも似た激烈な反応を引き出せるのは間違いない。一方で、そのことによってもたらされる副作用は、いままで苦しめられてきたものをはるかに上回ることも想定された。

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金子達仁 ノンフィクション作家

1966年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒。サッカー専門誌の編集部記者を経て、95年独立。96年、Sports Graphic Number誌に掲載された「断層」「叫び」で、ミズノスポーツライター賞受賞。『28年目のハーフタイム』『決戦前夜』『ターニングポイント』『泣き虫』『熱病フットボール』など著書多数。近著には、義足アスリート・中西麻耶の壮絶な生き様に迫った「ラスト・ワン」がある。

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