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折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?

2022.10.05 公開 ツイート

折口信夫の他界への憧れ。「まれびと」は他界からやって来る 上野誠

NHK Eテレ「100分de名著」で話題となった、“折口信夫”のすべてがわかる一冊。
上野誠『折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』より一部特別公開いたします。 

*   *   *

|001| 他界への憧れ

折口信夫の学問を考える上で、最初に考えなければならないことは何か? それは、他界への憧れだ、と思います。
「他界」というと、キリスト教では「天国」ということになります。仏教のなかの浄土教では「極楽」と「地獄」。
古代の『古事記』や『日本書紀』の他界ということになれば「常世の国」です。常世の国というのは、永遠の国ということです。一方、地下には、「根の国」という他界もありました。

(写真:iStock.com/Alexander Farrell)

さまざまな他界があるのですが、人は時として、他界に対して強い憧れの気持ちを持ちます。生きたまま他界に行くことは難しいので、他界に行くということは死ぬ、ということになってしまいますが──。
だから逆に、その他界が憧れの場所にもなるのですね。折口信夫の学問を考える場合には、他界への憧れというものを、まず考えなければなりません。そうしないと、他界からやって来る「まれびと」という神の性格もよくわかりません。

折口の場合には、その他界への憧れも、自己の実感の中にあるということが大切です。自己の実感などというものが学問になるのかという批判もありますが、折口信夫の学問は、常にそこから始まるのです。

(全集2─5頁)

|002| 神さまがやって来るかたち

「神は、どこから、どのようにやって来るか」──折口信夫は、常に考えていました。神は、他界からやって来る。その他界からやって来る神仏や神の子どもの物語というものに、折口は強い関心を持っていました。

「若水の話」という昭和二年(一九二七)ころの草稿が、全集に収められています。

朝鮮では、鳥の卵を重く見るやうになつてゐた。卵から出た君主・英雄の話がある。古代君主の姓から、卵からと言ふより瓠から出たと解せられてゐるのもある。
日本では朝鮮同樣、殼其他の容れ物に這入つて、他界から來ることになつてゐる。他界と他生物との違ひであるが、生物各別の天地に生きて、時々他の住居を訪ふものと見てゐた時代である。
だから、畢竟おなじ事になるのだ。

秦ノ河勝の壺・桃太郞の桃・瓜子姫子の瓜など皆、水によつて漂ひついた事になつてゐる。
だが此は、常世から來た神の事をも含んであるのだ。瓢・うつぼ舟・無目堅間などに這入つて、漂ひ行く神の話に分れて行く。
だから、何れ、行かずとも、他界の生を受ける爲に、赫耶姫は竹の節間に籠つてゐた。

(全集2─122頁)

朝鮮半島には卵から神や英雄が生まれたという神話があり、日本では殻とかウリとか、壺とか、そういうものに宿って、神はやって来る。
日本では、他界から流れ着くという話になっている。秦河勝は渡来人ですが、さまざまな芸能を日本に伝えた芸能の神さまでもあります。
秦河勝は、壺に入ってやって来たという伝えがあります。桃太郎は桃の中から生まれましたし、同じ昔話には、ウリから生まれたお姫さまの話もあります。そういう水に漂って流れ着いた小さき神々が成長する物語が、日本にはたくさんあります。

かくのごとくに、他界からやって来る神仏の物語を、折口信夫は、さまざまな伝承から確認しようとしていたのでした。

|003| 神を招き寄せる目印

お祭りになると、旗を立てるということがあります。さらには、竹ざおにさまざまな飾りものをつけて立てるという習俗もあります。
また、お祭りに登場する「屋台」や「山鉾」「山車」のようなものには、高いさおがつけられることが多いことに、折口信夫は気づきました。それらは、神さまに来てもらうための目印であったと、折口は考えました。

昭和二十六年(一九五一)に発表された「日本美」という文章の中に、次のような一節があります。

日本人は神を招き寄せるに、神がいらつしやる目じるしをたてなければならぬものと思つてゐた訣です。神をして、自分と似てゐるといふ類似感を起させる爲に、人形とか銀月を立て、その他に花を飾つて神の目じるしにした訣です。

(全集17─112頁)

神は、人と同じような感性を持っているから、特定の目印があるならば、そこにやって来るはずだ。神さまに来てほしいならば、目印というものを立てなければならない、と折口信夫は考えたのです。

私は福岡で育ちましたが、お盆になると必ず盆提灯というものを玄関先につるしました。
そして、そこで迎え火をしました。子どものときに、どうしてそんなことをするのと聞いたら、ご先祖さまが帰ってくるのに、どこが自分の家かわからなくちゃ困るでしょ、と説明を受けました。

神を招き寄せるために、高いさおを立てる。その先に目印になるようなものをつけておくのと同じです。
神は、他界からやって来る。他界からやって来る神は、乗り物に乗ってやって来ることもある。だから、目印が必要だったと、折口は考えたのでした。

|004| 外来と固有の境目

日本文化は、中国文化や朝鮮半島の文化の影響を強く受けて成立した文化です。
したがって、中国や朝鮮半島の文化とも共通項がじつに多い。近代に入ってからは、西洋文化の影響を受けて日本文化というものは、さらに変容してゆくことになります。
つまり、日本人が昔から持っていた文化と、外からやって来た文化の対比が、日本文化研究では大切になります。

大正十四年(一九二五)に発表された「古代生活の研究─常世の国─」という論文で、折口は次のように述べています。

三月の雛祭り・端午の節供・七夕・盂蘭盆・八朔……などを中心に、私どものやすらひを感じるしきたりが每年くり返される。
江戸の學者が、一も二もなく外來風習ときめたものゝ中にも、多くは、固有の種がまじつてゐる。私は、今門松の事を多く言うた緣から、元旦大晦日に亙るしきたりの最初の俤を考へて、古代硏究の發足地をつくる。

(全集2─19頁)

例えば、「七夕」。「七夕」というお祭りは中国伝来の祭りです。『万葉集』の時代、飛鳥時代から奈良時代にかけてもたらされた祭りでした。
ところが、日本においては七夕という行事は、八月十五夜につながる秋の祭りとして定着してゆくことになります。
しかも、その伝えも変化しています。中国の場合には、牽牛のもとに織女がやって来るという話になっていますが、日本の場合は逆です。牽牛が織女のもとにやって来ます。
これは、古代の結婚が妻訪い婚といって、夫が妻の家を訪れて夜を過ごすというかたちになっていたためです。

このように年中行事自身は、外国からやって来たものなのですが、それが日本に根付く際には変化するのです。
さらには、もともと日本に存在していた習俗と結びついているという例もあります。折口信夫は、そういう変化のあり方にこそ、日本的なものがあると考えたのでした。

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上野誠

 1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。国際日本文化研究センター研究部客員教授。万葉文化論を専攻。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団文学賞受賞。『万葉びとの宴』(講談社)、『日本人にとって聖なるものとは何か』(中央公論新社)など、著書多数。近年執筆したオペラや小説も好評を博している。

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