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鬼才 伝説の編集人 齋藤十一

2021.02.16 公開 ツイート

新潮社の「天皇」は元・倉庫番だった。 森功

ノンフィクション作家・森功さんが故・齋藤十一に迫った傑作評伝『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』が発売になりました。齋藤十一は「週刊新潮」「フォーカス」等を創刊し、小林秀雄や太宰治、新田次郎、山崎豊子、松本清張ら大作家に畏怖された稀代の天才編集者です。「新潮社の天皇」「出版界の巨人」「昭和の滝田樗陰」などの異名をとりながらも、ベールに包まれてきた齋藤十一の素顔とはー。

新潮社内には、神話めいたある伝承があった。

「齋藤さんは亮一社長の家庭教師だったから、ヒラ社員の経験はないんだ。新入社員のときからすでに重役だったそうだよ」

私自身、似たような話に触れてきた。齋藤十一は一九三五(昭和十)年九月、早大理工学部を中退して新潮社に入った。むろん創業社長の佐藤義亮が認めたからだが、加えて義亮の長男である義夫の推薦があったようだ。

「お父さんに紹介してもらった齋藤君、あれはただ者じゃありませんね。亮一の家庭教師だけで終わらせるのはもったいない。うちに入れてはどうでしょうか」

新潮社の副社長だった義夫がそう父親に薦め、齋藤は二十一歳で入社した。

齋藤が新潮社入りした三五年は、文芸出版が飛躍した年でもある。この年の一月、文藝春秋が「芥川龍之介賞」と「直木三十五賞」を創設した。折しも齋藤の入社する前後の八月に発売された月刊「文藝春秋」九月号で第一回の両賞を発表し、文壇を賑わせた。島崎藤村の「夜明け前」が「中央公論」十月号で完結する。当の「新潮」では、川端康成や宇野千代、武田麟太郎、井伏鱒二といった脂の乗った作家たちが誌面を飾り、その存在感を見せつけていた。文学に目覚めた齋藤が新潮社に心を惹かれたのも無理はない。

一方、跡取り息子に定めていた義夫に薦められるまでもなく、義亮は齋藤の才能を買い、新潮社に欲しかったのだろう。だが、齋藤は新潮社に入社するにあたり、重役の椅子を約束されていたわけではない。実用書やPR誌を売り物にする会社は別として、新潮社のような文芸出版社では、書籍や雑誌の編集部門にいる幹部が会社組織の中枢を担う。それは今も変わらない。

佐藤義亮は大学を中退させてまで齋藤を新潮社に入れたが、最初に齋藤を配属した先は、編集部門ではなかった。

〈入社当初の齋藤は編集以外の雑用をこなしていて、昭和十七年(一九四二年)ごろから単行本の編集をやるようになったようです〉

夫人の齋藤美和は自ら編集した「編集者 齋藤十一」の中でそう記している。入社して七年ものあいだ、齋藤は何をやっていたのか。週刊新潮の四代目編集長だった松田宏に尋ねてみた。

「実は齋藤さんが着任した最初の仕事は、倉庫の管理だったんだよ。今のラカグがあるところだな。倉庫係として一日中、あそこにいたらしい。それで暇だったもんだから、世界文学全集を全部読んだんだそうだ。アメリカ文学はあまり読んでないって言ってたけど、トルストイやドストエフスキー、モーパッサンやポーなど、新潮社が創業して以来、得意としてきた翻訳文学を読破していったんだ。齋藤さんに教養があったのは間違いない。だけど、根っこからの文学青年だったわけではないんだよ」

松田はこうも言った。

「ある意味、そうでないと雑誌はつくれなかったと思うんだね。齋藤さんは、ひとのみち教団で、人間の生き死にについて考えた。雑誌はあの人の頭のなかの文学であって、だから出来たんだよ。そこに通俗性がある。これは、菅原(國隆、新潮・週刊新潮の編集次長)さんという齋藤さんの弟子から直接聞いた話なんだ。『心配するな、最初は倉庫係だったんだから、キミだって齋藤十一になれるかもしれないぞ』って……」

大学時代に文学や哲学に目覚めた齋藤は新潮社に入ったあとも、その延長で書庫の在庫を読み耽ったのであろう。それが入社当時の暮らしぶりだった。

齋藤が書庫係をしているそのあいだ、日本は歴史の転換期を迎える。第二次世界大戦という有史以来の激しい渦が人々を飲み込み、出版界が揺れ動いた。日本が国際連盟を脱退したのは、齋藤が新潮社に入社する二年前の一九三三(昭和八)年のことだ。四年後の三七年の盧溝橋事件を機に、日中戦争に踏み切る。さらにその二年後の三九年、政府は国内の出版業者に出版物の取り扱いに厳重な注意を払うよう警告を発し、新聞と同じように検閲がなされるようになる。出版社も軍部批判をいっさい禁じられた。

そうして欧州で第二次大戦の狼煙があがる。日本政府は対中戦の短期収拾という思惑が外れて戦況が泥沼の様相を呈し、軍部の号令下、国民総動員の戦時体制を敷いていった。政府がドイツ・ベルリン五輪の次に開催の決まっていた東京五輪を返上したのもこの時期である。

日本陸軍が中国大陸で戦線を広げるにつれ、齋藤と同じ二十過ぎの男子の多くが戦場に送り込まれていった。むろん新潮社の社員たちも例外ではない。次々と徴兵され、社員もずいぶん減っていった。

社史「新潮社一〇〇年」で数えると、齋藤が入社した一九三五年、新潮社には義亮以下重役を除く社員たちが百五十四人いたと記す。それが終戦を迎えた四五年八月十五日当時には、わずか三十一人しか残っていない。うち三人は終戦時にあってなお「出征中」「徴用中」と記されている。つまり実質会社に残って働いてきたのは三十人を割っていた。むろん義亮たちは高齢なので徴兵義務がなく、残った社員の多くも年配者だった。

そうした戦時下にあって二十歳過ぎの血気盛んな齋藤青年は、時代の蚊帳の外に置かれた。相変わらず、新潮社の書庫で膨大な在庫を管理する日々が続いた。

関連書籍

森功『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』

「人間は生まれながらにして死刑囚だろ」 『週刊新潮』『芸術新潮』『フォーカス』『新潮45』を創刊。雑誌ジャーナリズムの礎を作り、作家たちに恐れられた新潮社の帝王。稀代の天才編集者は、なぜ自らを「俗物」と称したのか。 第一章 天才編集者の誕生 第二章 新潮社の終戦 第三章 快進撃 第四章 週刊誌ブームの萌芽 第五章 週刊誌ジャーナリズムの隆盛 第六章 作家と交わらない大編集者 第七章 タイトル作法 第八章 天皇の引き際 第九章 天才の素顔 終章 天皇の死

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鬼才 伝説の編集人 齋藤十一

「週刊新潮」「フォーカス」等を創刊。雑誌ジャーナリズムの生みの親にして大作家たちに畏怖された新潮社の天皇・齋藤十一。出版界の知られざる巨人を描いた傑作評伝。

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森功 ノンフィクション作家

1961年、福岡県生まれ。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社、「週刊新潮」編集部などを経て、2003年に独立。2008年、2009年に2年連続で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。2018年には『悪だくみ「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」受賞。『総理の影 菅義偉の正体』『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』『ならずもの 井上雅博伝ーヤフーを作った男』など著書多数。

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