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結婚、仕事、人間関係……ただ生きてるだけでも悩みは尽きません。「自分の人生、これからどうなっていくんだろう」とぼんやり不安を抱えていませんか?

お坊さんである英月さんの本『お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。』には、そんな人生の不安を吹き飛ばしてくれるヒントがたくさんあります。

彼女のハチャメチャな人生を知れば、きっと自分の人生も開けて見えてきます。その中身を、本書より一部公開いたします。*前回「自分の天職を求め続けたけれど、空しさばかりが募った20代

*   *   *

アメリカはサンフランシスコ国際空港に降り立ったのは29歳の春でした。両親を、「バケーションに行く、たぶん半年くらい。長くても一年を超えることはない」と言いくるめて出てきましたが、日本に帰る気はさらさらありませんでした。

スーツケース2つと、小さな段ボール箱。そこに服などの日用品から、お気に入りの本やCD、小さなアルバムにまとめた写真、そして万が一の時には売って凌しのごうと目論んだ貴金属。なけなしの預金は外資系銀行に移し、アメリカのA T Mからいつでも引き出せるようにしました。その銀行のキャッシュカードとクレジットカード、そしてわずかな現金。ちなみに、銀行口座には100万円ちょっと。たったそれだけで、新しい場所で衣食住を賄い、生活を始めようとした私。

無計画というより、無鉄砲。えぇ歳して、何を考えたはるん? 我が事ながら心配になります。が、何も考えてなどいなかったのです。目的があって渡米をしたのではなく、日本から、京都から、自分の置かれている環境から逃げ出すことが、目的だったのです。では、そこまで私を追い込んだのは何か? それが、お見合いだったのです。

地獄のお見合い生活、幕開け

唐突ですが、おっきいです私。身長173センチ、体重は……。まぁ、いいじゃないですか。10年近いアメリカ生活で上に4センチ、横に10キロ成長しました。今も高値安定で、現状維持ですが、要は昔から大きかったのです。そんな私を見て、母が言いました。

あなたは可愛くもない、賢くもない、おまけに背も高い

身内というのは言葉に遠慮がないですね。おっしゃることが、至極ごもっとも。ぐうの音も出ない私に、母は言葉を続けます。

あなたにある唯一の取り柄は、若さです。その若さがあるうちに結婚しなさい

その一言で、お見合いが始まりました。20歳になるかならないかの時のことです。

最初のお見合い会場は、大阪のヒルトンホテル。相手の方はお寺さん。釣書といわれる履歴書のようなものと写真の交換も既に済み、後は会うだけというお見合いの日。私は朝からふてくされていました。行きたくなかったのです。相手の方に不満があったのではありません。事ここに至って、やっぱり嫌だと。他人に人生を決められることが、耐え難くなったのです。ちなみにここでいう他人とは、血の繋がった両親です。

しかし、お見合い当日のドタキャンなど許されるはずもなく、両親に両脇を挟まれるようにして阪急電車に乗せられ、梅田へと連れて行かれました。そうして着いたヒルトンホテル。吹き抜けのロビーには、壁一面のガラス窓から初秋の日の光が眩しいほどに差し込んでいます。が、私の心は冬の日本海。気持ちはどんより、足取りは豪雪地帯を進むかのよう。もう、無理。これ以上、進めない。私にかまわず、先に行って! と言いたいが、私が行かなきゃお見合いは始まらない。しかし、やっぱり嫌だ!

そこで私は両親に言いました。「お手洗いに行って参ります」。そう言って、エスカレーターで地下にあるお手洗いに行くと見せかけ、そのままトンズラしました。

逃げたはいいが、所詮、思い付きの行動。逃げ場もなければ、一生、逃げ続けるワケにもいきません。まずは、落ち着け自分と、近くにあったカフェに入りましたが、心はザワザワしたままです。お見合い相手の方や、その方のご両親に対する申し訳ないという気持ち。お仲人さんにも、申し訳ない。皆さん、何の落ち度もないのです。そして娘に顔をされた両親にも申し訳ない。と、思いつつも、ロビーに戻ることも、かといって、絶対に見つからないようにと、はるか遠くに行くこともできず、カフェの席で固まっていました。

そんな中途半端な逃げ方だったため、結局小一時間で両親に見つかり、連れ戻されるハメに。

(イラスト:上路ナオ子)

その後も、お見合いのお話はたくさんいただきました。よく勘違いをされるのですが、大行寺を継ぐためにお見合いをしていたのではありません。寺には跡取りとなる四歳下の弟がいたので、私の嫁入り先探しとしてお見合いをしていたにすぎないのです。相手の方の業種がお寺に絞られていたのは、親戚のほとんどが寺なので、同じ業界の方がいいだろうという親の思いでした。

では一回目のお見合いで逃げ出したのに、どうしてお見合いが続いたのか?

それはひとえに、私の思いこみのなせる業でした。両親も、そのまた両親もお見合い結婚。親戚もほとんどがそうだったので、進学するのに受験があるように、結婚の前にはお見合いをするものと、すっかり思いこんでいたのです。特に結婚願望があったわけではありません。学校を卒業すれば就職願望がなくても就職するように、就職したから、次は結婚。そして結婚はお見合いで。そこには願望も、もっといえば、深い思考もありませんでした。

なので、恋愛結婚は、ドラマや小説の世界の中のことだと思いこんでいました。親が受験勉強をしない子供を叱るように、結婚適齢期といわれる歳になった娘にお見合いをしろと言うのも、うっとうしいことですが仕方のないことだと諦めていました。

正直にいえば、下心もありました。どうせお見合いで結婚するんだから、条件で相手を選べばいいと。けれども、いざお見合いとなると、嫌だと逃げ出す。アタマでは納得していても、やっぱり嫌だと断り続け、二五歳になった時です。母が言いました。

「唯一の取り柄だった若さも、もうなくなりました。早く結婚しなさい」

チーン。そうしてお見合いは続くのですが、皮肉なもので、その頃には「お見合い」=「強制される」=「苦痛」の式が出来上がり、それが刷りこまれ、嫌ありきのスタートになってしまっていたのです。それは相手の方にかかわらず、です。つまり、せっかくご縁をいただき、お会いしていても、その方にちゃんと向き合っていなかったのです。向き合いもせず、嫌だと断り続け、そして私が28歳になった時です。

母がポロポロと涙をこぼしながら言いました。「何か恨みでもあるのですか」と。

こんな歳にもなって結婚しない娘がいるのは家の恥。父や母を殺したいのですか

ガーン。その頃、耳が聞こえなくなりました。

身体と心はつながっている

寺の近くの病院ではハッキリとしたことがわからず、大きな病院で色々な検査を受けました。その結果を聞きに行った時のことです。人のよさそうな若い先生は、周りに聞かれると私が恥ずかしい思いをすると配慮してくださったのか、声をひそめておっしゃいました。「僕の友達に、いい心療内科の先生がいるから紹介するよ」と。

つまり私の聴力には、まったく問題はなかったのです。どうしようもない思いがストレスとなり、聞こえないという症状となって表面化したにすぎなかったのです。事実、先生の言葉が聞こえたように、まったく聞こえなくなったわけではなかったのです。

その頃、両親との関係は最悪でした。今風にいえば、まさしく毒親。酷い親に当たってしまった。他の家の子に生まれたかった……、と。思考は「○○ちゃんのお母さんの方がいい!」と、ダダをこねる小学生。って、小学生に失礼ですね。

でも今になって思えば、自分の娘の器というものを、母なりに考えてくれていたのです。たいして可愛くもなく、賢くもなく、図体のデカイ娘は、若いうちに結婚した方がいい。それが娘の幸せだ、と。そしてその考えは正しく、親が子を思うのは正義だと。

一方、私にも私の正義がありました。たとえ親であっても、子どもの人生を決めないでほしい。私は、私の判断で、自分の人生を歩んでいく。それが私の幸せであり、正しいことだと。

つまり、「私は正しい!」というお互いの思いがぶつかっていたのです。正義と正義がぶつかり、争いが起こる。これは洋の東西を問わず、昔も今も変わらないこと。だから私は、その環境から逃げ出すようにして、家出をしたのです。って言ったら、恰好よすぎて、ちょっと恥ずかしい。

正直、アメリカまで家出をした直接の原因は、お見合いでした。お見合いを強要されることによって、耳が聞こえなくなるほど精神的に追い詰められたのも事実です。けれども、そのことによって、私の心の中であぶり出されてきたのは、「空しい」ということだったのです。

*   *   *

次回は6月5日公開予定です。

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お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。

うちの安住の地って、どこにあるん?

親のお見合い攻撃にキレて、なんと海外逃亡。アメリカに骨を埋めるつもりが、仏教に出会ってしまい……。ハードな人生に笑えて泣ける、奮闘エッセイ。

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英月

京都市生まれ。真宗佛光寺派長谷山北ノ院大行寺住職。銀行員になるが35回以上ものお見合いに失敗し、家出をしてアメリカへ。そこでテレビCMに出演し、ラジオのパーソナリティなどを務めた。帰国後に大行寺で始めた「写経の会」「法話会」には、全国から多くの参拝者が集まる。『毎日新聞』にて映画コラムを連載。情報報道番組コメンテーター。著書に『あなたがあなたのままで輝くためのほんの少しの心がけ』(2014年、日経BP)『そのお悩み、親鸞さんが解決してくれます』(2018年、春秋社)、共著に『小さな心から抜け出す お坊さんの11分説法』(2013年、永岡書店)、VS仏教』(2019年、トゥーヴァージンズ)がある。

写真:Noriko Shiota Slusser

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