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じっと手を見る

2020.04.10 公開 ツイート

『じっと手を見る』(窪美澄)を読んで

誰かを求めてしまうのは、愛情、性欲よりも“居場所”のため?(瀧井朝世)【再掲】

介護の仕事と、富士山と、ショッピングモールしかない小さな町で恋をした――。
窪美澄さん『じっと手を見る』が4月8日文庫で発売となりました。解説は朝井リョウさんです。
単行本発売時にご寄稿いただいた書評をあらためてご紹介いたします。

*    *   *

閉じた日常をゆるがす東京から来た「はじめて好きになった人」

ここが自分の居場所だと信じる人がいる。ここではないどこかを求める人もいる。誰もその正解を知ることのないまま、人は時に留まり時に動き、誰かと出会い、すれ違い、別れ、また出会う。

窪美澄の新作『じっと手を見る』は、地方都市が舞台だ。富士山を望むその町で生まれ育った日奈は幼い頃に両親を亡くし、祖父と一緒に暮らしてきた。街を出ていくことは考えていない。この町で仕事を得るために介護福祉専門学校を卒業し、特別養護老人ホームで働いている。

祖父の死後、食事がのどを通らなくなった時に面倒をみてくれた男友達、海斗に甘え交際を始めたが、体力を回復した頃、結局は自分から別れを切り出した。だが彼は今でも日奈の面倒をみている。

そんな彼女の閉じた日常に変化が起きたのはひとつの出会いだ。専門学校の案内パンフレットを作るため、海斗と日奈への卒業生インタビューをセッティングした東京の編集プロの男、宮澤だ。彼は庭の草刈りをすると言って日奈が一人で暮らす家を訪れ、二人はあっけなく男女の関係に陥る。

物語は日奈、海斗を中心に、宮澤、そして海斗の勤務先の後輩介護士、畑中というシングルマザーの視点を交えて連作形式で進んでいく。

宮澤との出会いによって「はじめて人を好きになった」と感じ、外の世界へ手を伸ばそうとする日奈。家族を養うという重荷を背負ってこの場所に縛られながらも、日奈を諦めきれない海斗。裕福な家庭に育ちながらも空虚感を抱き、今は学生時代に立ち上げた編プロも妻との関係(そう、実は既婚者だ)にも行き詰まりを感じ、遠くへ行こうとする宮澤。老人には親切に接しているものの、同僚や自分自身の子どもには優しさを発揮できず、面倒みのいい海斗と関係を持つものの、心の奥底ではどこか違う場所を求めている畑中。

もうすぐ死を迎えるだろう老人たち、彼らに尽くす若い人たち、そして畑中の子どものような、まだ未来の見えない幼い人。人間の生のサイクルをぎゅっと凝縮したような世界の中で、刹那を切実に生きる人たちの思いが交錯していく。やがて、ある程度の月日が経ってみると、彼らそれぞれの関係はまた大きな変化を迎えている。

生まれては生きて死んでいく短い時間の中で、人はなぜ誰かを求めるのだろう、とふと思う。日奈にとって宮澤は身体の快楽を教えてくれた存在で、それはもちろん恋愛感情に基づいたものだろうが、それ以上に、彼女には違う世界を見せてくれる彼にすがりたい気持ちがあったのではないか。

宮澤が日奈を求めたのも、愛おしい気持ちだけでなく、東京での暮らしの重圧から逃れたい気持ちがあったのではないか。海斗が日奈や畑中親子の面倒をみるのは、愛情というよりも、助けが必要だと感じる人に手を差し伸べずにはいられない彼の性質によるものではないか。彼らの“愛”がまがい物というわけではない。

ただ、人が誰かを求めるのは、愛情や性欲以上に、自分の居場所を見つけたいからではないか、そんな思いにとらわれる。だからこそ、どこか愛情というものを恐れている畑中が、根無し草のように町から町へとわたり歩こうとしている様子が腑に落ちる。

実はこの畑中が、かなり興味深い人物だった。人と慣れあうことをよしとせず、協調性のない言動で周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買い、親しくなれそうな空気になった同僚にもつい、冷たい言葉を投げかけてしまう。彼女はもしかすると、人にとって本当に落ち着ける居場所なんてないのだと悟っているのかもしれない。畑中にとっての安住の地はどんな場所なのか、見届けてみたい気持ちになった。

時代の変化を見てきた存在という印象を残すのは宮澤だ。整形外科医の父親は業界の裏に通じた享楽的な人間のようで、十代の息子に女をあてがおうとする男だった。裕福な家庭に育った妻と学生時代に立ち上げた会社は互いの両親の援助もあり最初は順調だったが、親の事業が傾くと一気に規模が縮小。景気の影響を正面から受けたケースだ。もともと感情が低空飛行ぎみな人物だが、そんな彼にとって小さな世界で生活が完結している日奈は魅力的に見えたのだろう。彼のような人間はどうしたら真の充足を得られるのか、その興味でも惹きつける。

他所からこの町にやってきた人と出会い、去る人を追ったり見送ったりしながら、日奈と海斗が見つける場所はどこか。老人たちの世話をし、愛しい人に触れ、時に誰かと握り合うその手は、どこに差し伸べられるのか。もちろん物語の終わりが彼らの人生のゴールではなく、その後も彼らの生は続いていく。その手はこの先何に触れ、何を掴むのか。彼らのことが愛おしくて、まるで案じるような気持ちで本を閉じることになった。

瀧井朝世(ライター)

窪美澄『じっと手を見る』

富士山を望む町で暮らす介護士の日奈と海斗はかつての恋人同士。ある時から、ショッピングモールだけが息抜きの日奈のもとに、東京の男性デザイナーが定期的に通い始める。 町の外へ思いが募る日奈。一方、海斗は職場の後輩と関係を深めながら、両親の生活を支えるため町に縛りつけられる。自分の弱さ、人生の苦さ、すべてが愛しくなる傑作小説。

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