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臨終医のないしょ話

2017.08.13 公開 ツイート

第5回

「あの子にはどうしても会いたいの」
お富ばあさんの最期の願い 志賀貢 / 医学博士

誰もが避けられない”臨終“の間近、人は実に不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導き出した幸せに逝く方法を赤裸々に明かしたエッセイ――『臨終医のないしょ話』(志賀貢著)

盆入りである本日は、とあるおばあちゃんのお話しです。
お富ばあさんの最期の願いは、お墓に入っている娘さんと再会することでした。
その時長男は――。


 入院して3カ月ほどになる88歳のお富ばあさんは、医療スタッフの顔を見るとしきりに、

「お墓参りがしたい、お墓参りがしたい」

 と訴えます。

 その訴えに一番迷惑を被っているのは、看護助手の好木信子です。どういうわけか、お富ばあさんは彼女のことがお気に入りで、姿を見ると、まるで自分の娘を見るように、顔を綻(ほころ)ばせて盛んに話しかけてきます。

 師長の話では、入院するときにキーパーソン(身元引受人)の長男が、母親は、娘さんが30歳になるかならないかの年齢のときに大病を患って自分よりも先立ったことをいつも悔やんでいるので、それが原因で血圧が上がり、そのことに気づかずに暮らしているうちに脳梗塞で倒れたのかもしれない、と言っていたようです。

 どうやら看護助手は、その娘さんに年恰好といい顔立ちといい、似ているようなのです。それでどのスタッフよりも、親しみを覚えているようでした。

 横浜は、お彼岸が近づいてもなかなか気温が上がらず、とくに夜などは冷たい風がまだまだ礫つぶてのように顔や襟元を直撃しています。

 患者たちは毛布を顔まで引き、その寒さにひっそりとベッドに横たわって耐えていますが、お富ばあさんだけはなかなか口が達者です。

 午後9時の消灯に好木さんが病室の様子を見回りに行くと、彼女の姿を見るや否や、

「早くお墓に連れて行って」

 と訴えます。

「もう夜だから、お墓参りは無理なのよ。もう少し暖かくなるまで待ちましょう」

「いや、もう我慢できないのよ。私どうしても会いたい人がいるの」

「それはお墓で眠っている娘さんのことですか?」

「そう、あの子にはどうしても会いたいの」

「わかったわ。明日、師長さんに話しておきますね」

 そんなやり取りをしてベッド際を離れようとすると、

「噓ついちゃダメだよ。本当に連れて行って」

 あまりのしつこさに、ついつい好木さんは口を滑らせて、

「きっと誰かが迎えに来てくれるから、今にお墓に行けるわよ」

 と言ってしまいました。

 この話を聞いて、長坂師長は烈火の如ごとく怒りました。

「言葉に気をつけなさい。いくら少し認知が進んでいるお富さんにも、あなたが何を言おうとしてるかわかったと思うわよ。

 もうすぐ迎えが来てお墓に入れるなんて、とんでもないこと言ってくれるわよ。もうこれからは、絶対そんなことは言ってはいけません」

「いいえ、師長さん。お墓にもうすぐ入れるなんて言っていません。おばあちゃんのお墓は、福島なんですよ。とても一人では行けるはずはないので、きっと親戚の人が迎えに来てくれるのではないか、と言ったつもりなんです。でも、言葉が足りませんでした、というか余計でした」

「そうよ。私が聞いてももうすぐあなたは墓に入れる、と聞こえるわよ。気弱になった患者さんには、そんな言葉はすべて禁句です。これから気をつけてね」

「はい、すみませんでした」

 それにしても、お彼岸を間近にしているにしては、気温が一向に上がりません。まだまだインフルエンザが流行(はや)っているというニュースが伝えられているから、患者の看護は油断できませんでした。

 お彼岸が近づくと「牡丹餅(ぼたもち)」という言葉が脳裏に浮かびます。秋のお彼岸の季節には、「おはぎ」とも言われるようです。無論、お彼岸がやってくることは、お富ばあさんだけでなく患者のほとんどの人が知っています。

 師長としては、牡丹餅の一つも食べさせてやりたいと思うのですが、入院患者の老人には、牡丹餅を食べさせることはできません。

 お餅が喉につかえて、大変な事故が起きかねないからなのです。

 師長はため息を一つつきながら、書類を閉じ残業を切り上げて病棟を後にしました。


 しかし、このところなぜお富ばあさんは、お墓参りにこだわるのでしょうか。

 お富さんは普段元気そうに見えますが、重い腹部の悪性腫瘍を患っていました。私も師長も余命ひと月ぐらいのものだろうと推測していました。

 お富さんは恐らく最後の力を振り絞って、先祖に今まで元気で生きてこられたことの感謝を述べたいと思ったに違いありません。

 その先祖への感謝の気持ちが、先述した脳内ホルモンやその他の内分泌の働きを活発にして、モチベーション(意欲)を高め、「中治り現象」(ラストラリー)をもたらしたものと考えられます。

 いずれにしても臨終間近の人が、お墓のことをしきりに気にするようになったときには、余命に陰りが見えてきたと判断して、患者の家族も医療スタッフも緊張して容態を見守らなければいけません。

お墓参りをしきりにしたがる患者さんの心を覗く

 お富さんの入院時の、前の病院からの情報提供書によると、脳梗塞の他に大腸に腫瘍が見つかっており、手術をすることが高齢のために危険が伴うと判断して、保存療法をすることにして続けてきたようです。

 しかし、他の臓器への転移は避けられず、早晩容態が悪化することは十分に予測されると書いてありました。その他、逆流性食道炎と食道裂肛という病気も抱えていました。

 家族もそのことは知っていて、万が一肝臓や肺に転移を起こし、がんが進行するようであれば、放射線や抗がん剤などの治療は避けて、緩和ケアを中心に看取ってほしい、という希望のようでした。

 しかし入院してからまだ日は浅いのですが、がん転移の症状もなく、食事も多少嚥えん下げ障害を心配しなければならない飲み込みの悪さもありましたが、まぁ普通に年相応に食事は摂れていました。

 ですから安心して経過を見ていたのですが、食事がまったく摂れなくなった、という報告を受けて、とうとうくるものがきたか、と私は思いました。

 胸部のレントゲン写真や腹部の超音波検査では、すでにがん転移を示す所見が見られました。

 お富さんの食欲を奪っているのは、この転移による病変だけではなく入院時から気になっていた、食道裂肛と逆流性食道炎が再燃してきたものと私は見ていました。

 食事が摂れなくなると、老人の体力はみるみるうちに落ちていきます。経管栄養でカロリーは補給することが可能ですが、食道に大きな病気を抱えており、なかなか難しいと判断して、心臓に近い比較的太い静脈に栄養剤を注入するIVH(中心静脈栄養法)で治療することにしました。

 容態の変化に、すぐキーパーソンの長男を呼んで説明をしましたが、すでに覚悟を決めているようで、「最後は苦しまないように看取ってもらいたい」と言って目を潤ませました。


 * * *


苦しまないように――長男の涙ながらの訴えを医師はどう受け止め、そしてお富ばあさんはどのような最期を迎えたのでしょうか。この続きは8月20日公開予定です。

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臨終医のないしょ話

誰もが避けられない<臨終>の間際、人は摩訶不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな数々の臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導いた幸せに逝く方法を赤裸々に明かします。

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志賀貢 / 医学博士

北海道生まれ。医学博士、作家。昭和大学医学部大学院博士課程修了。長らく同大学評議員、理事、監事などを歴任し、大学経営、教育に精通している。内科医として約55年にわたり診療を続け、僻地の病院経営に15年従事。また介護施設の運営にも携わり、医療制度に関して造詣が深い。その傍ら執筆活動を行い、数百冊の作品を上梓している。近著には、『臨終医のないしょ話』『孤独は男の勲章だ』『臨終の七不思議』(いずれも幻冬舎)等がある。

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