1. Home
  2. 生き方
  3. 山野海の渡世日記
  4. 最高の女性

山野海の渡世日記

2024.05.25 公開 ツイート

最高の女性 山野海

また引越しをする。

この3年で4回目の引っ越しだ。

何も趣味が高じて引越し魔になったわけではない。

とにかくここ数年いろんなことがあり、引っ越しせざるを得なかったのだ。

 

今住んでいる家はどこに行くにも便のいいところで、

 

駅からは少し歩くが下町の匂いが色濃く残っていて、

夕方近く窓を開けていると、ご近所さんたちの話し声が聞こえてきて、

いつも和ませてもらっている。

 

このお喋りの中心にいつもいるのが、我が家の大家さん。

今時珍しいが、大家さんは我がマンションの一階に住んでいるのだ。

このエッセイにも何度か登場しているが、この人はむちゃくちゃ近所の人気者。

みんな時間が出来ると、大家さんとお喋りしたくて家の周りに集まってくるのだ。

 

私がこのマンションに引っ越したのは一年半前。

その頃の私は、3年続けてごく親しい身内が次々と亡くなり、心が疲弊していた。

しかもその事情に合わせて、犬二匹と猫一匹と一緒に暮らす事になり、犬と猫が一緒に暮らして上手くいくのか。彼らに負担がかかってしまうのではないか、そして、賃貸で犬猫と暮らす部屋が見つかるのかと、とても悩んでいた。

(今となってはこの心配は全て杞憂に終わり、犬猫私でとても仲良く暮らしている)

そんな時、今のマンションを友人の不動産屋O氏が見つけてきてくれた。

築は古いが、今の状況の私と犬猫で住んでもいいと言ってくれた。

これに私は飛びついた。

絶対に逃してなるもんかと、大家さんにご挨拶に行った時、奮発して錦松梅の高級ふりかけを手土産として持っていった。

錦松梅を奮発したことが功を奏したのかは定かではないが、そこから大家さんとずっと仲良くさせてもらっている。

引っ越してすぐに「天ぷら揚げたから帰りに取りにいらっしゃい」と電話が来たり、家で暇にしているとよく大家さんの自宅にお茶に誘ってもらった。

大家さんと私は親子ほど歳が違うのにとても気が合い、二人でお喋りしていると、いつも時間が経つのはあっという間だった

 

そしていつしか私は大家さんのことを「お母ちゃん」と呼ぶようになっていた。

 

お母ちゃんは私が出ているドラマは欠かさず見てくれた。

「あんたテレビに出てもおばさんなんだね」と、言わなくていい感想まで言ってくれて

私は大爆笑。

去年出演した明治座「赤ひげ」の公演も、お友達と二人でわざわざタクシーに乗って観に来てくれた。

この時は「あんた上手いんだねえ。今度からあんたが出る舞台は必ずいくからね」と

本当に嬉しいことを言ってくれた。

 

犬の散歩をしていると、お母ちゃんは必ず私と犬が帰ってくるのを待っててくれて

おやつにとわざわざ犬用ボーロを用意してくれていた。

犬を優しく抱っこして一粒ずつ食べさせてくれて、ついでに私にも人間用のおやつをくれて、またお母ちゃんと楽しくお茶をした。

 

それからこんな事もあった。

早朝から撮影があり、朝の5時に家を出た時に、お母ちゃんが新しい植木に水をやっていた。

お母ちゃんの庭にはたくさんの植木鉢があるのに、と思った私は

「また新しい植木鉢買って。お世話するお母ちゃんが大変になるでしょ」と言うと

「前の家の人が引っ越しする時置いて行っちゃったの。だけどこれも生き物だから可哀想だろ」と、お母ちゃんがなんでもない感じでそう答えた。

それを聞いて、どうしたわけか涙が出てきて始発電車に乗りながら困ったのを今でも覚えてる。

 

私はこんな風に、お母ちゃんからたくさんの愛情をかけてもらっているうちに

いつしか疲れていた心が、少しずつ健康になっていった。

 

私は思う。人が人にかける愛情の大切さを。

知り合ってまだ一年半しか経っていない私が、お母ちゃんの豊かな愛情に包まれて今も明日も笑っている。

 

今、お母ちゃんは自宅で転び、ちょっとだけ病院のお世話になっている。

でも、生まれてからずっと、人や動物、植物にまで愛情をたっぷり注いできたお母ちゃんの事だから、すぐに治るに決まっている。

 

6月初めに私は引っ越すわけだが、

出会った一年半前から、私の大切な人になったお母ちゃんとの関係はこのままずっと続けたいと思っている。

お母ちゃん。大好きだよ。

夏になったらまたお母ちゃんのきゅうりの漬物食べさせてね。

その時、ゆっくりお喋りして、また二人でバカ笑いしようね!

 

今回は私が生涯出会ってきた人の中で

ピカイチの最高の女性のお話でした。

{ この記事をシェアする }

山野海の渡世日記

4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。

バックナンバー

山野海 女優、劇作家、脚本家

1965年生まれ。東京新橋で生まれ育ち、映画女優の祖母の勧めで児童劇団に入り、4歳から子役として活動。19歳で小劇場の世界へ。1999年、劇団ふくふくやを立ち上げ、全公演に出演。作家「竹田新」としてふくふくや全作品の脚本を手がける。好評の書き下ろし脚本『最高のおもてなし!』『向こうの果て』は小説としても書籍化(ともに幻冬舎)。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP