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幸せへのセンサー

2024.05.24 公開 ポスト

#3 体はちゃんと知っている吉本ばなな

ある日、何気なくTVを観ていたら、奈良の龍泉寺にあるという不思議な石が紹介されていました。「なで石」と呼ばれるその石は、なでてから持ち上げると軽く感じるけれど、叩いてから持ち上げると重くなる。

長嶋一茂さんと槙原寛己さんという、元プロ野球選手でいかにも屈強なふたりが挑戦して「本当だ。持ち上がらない」と驚いている。それで、その石をスタジオに持ってきましたと言って、今度はホラン千秋さんと出川哲朗さんが持ち上げようとするんだけど、ふたりとも結果は同じ。出川さんなんて「俺はやらせには加担しないから、絶対に騙されない」と言っていたのに、なでると軽くなり、叩くと重たくなったというんです。

けれども、スタジオに持ってきたその石は、実は「なで石」ではありませんでした。

そんな大事な石を借りてこられるわけがなく、それはただの大きな石だったのです。それでも結果は同じでした。番組の解説によれば、人間はなでなでしたものは軽く感じて、この野郎と思ったものは重く感じるようにできているのだと。不思議ですよね。人間の体って本当にすごい。そのくらい精密にできているわけです。

これが石じゃなくて、人間の子どもだって、きっと同じだと思うんです。殴って育てたら重くなるし、なでなでして育てたら、同じくらい大変な育児の重さでも軽く感じるんじゃないか。すごいことですし、恐ろしいことです。もちろん自分に関してもそうです。大切になでれば心も体も軽くなる。そして、責めていれば自分が重くなる。ここに幸せに関する大きなヒントがあると思います。

 

体が感じる快、不快は、幸せのバロメーターでもあります。

何が自分にとって快適かをよく知っていること。だとすると心身共に余計な力が入らず、いい状態でいられることを基本的には「幸せ」と言うんじゃないか。

怒りであるとか悲しみであるとかあらゆるメンタルのあり方も、本人が意識してるかどうかは別にして、体に出ます。体にしか出ないと言ってもいいくらいです。たとえばゆがみのある社会生活に自分を合わせていって、寝る間も惜しんで働き続けたりすれば、自分の体もおかしくなっていく。

人間というのは、基本的に日が沈むと眠って、日が昇ったら起きる。それがふつうのサイクルだとしたら、現代の人間は社会生活をしなきゃいけないことで、そういう基本的なサイクルを狂わされている場合があるわけです。眠る暇もないほどがんばっているとか、眠る暇もないほど充実しているとか、生き物でありながら眠らないことに価値を見出すことがもうおかしいのであって、仕事を休むとか休息をとるようにして、その状態を変えないといけない。

寝る暇もないほど働き続けている状態から急に休息をとると、何もしていない状態の自分に価値がないように思えて、つらく感じることがあると思います。後でお伝えしますが、私もそうでした。管啓次郎先生と対談した時に、管先生が「みんな、もっと寝ればいいんですよ。八時間でも九時間でも寝たらいいんです。ネットとか見ないで」っておっしゃっていて、ああ、いいなあ、こういうことを言う大人がもっといるといいのにと思いました。

眠ったり、休んだりしている時も、決して無為ではないですから。

体は常に動いていて、傷ついた心の修復作業をしてくれている。そうして時間を稼いでいる。時間が経つと、重かった問題もだんだん、だんだん薄くなっていく。

 

建築家の安藤忠雄さんは、胆のう、胆管、十二指腸の交点のがんで五つの臓器を摘出しています。

だけど、そんなふうにとても思えないんです。仕事も精力的にバリバリ続けているし、はつらつとしている。「内臓がないのに、こんなに元気なのは縁起がいい」と、中国から仕事の依頼が来たと笑います。

どうしてそんなに元気でいられるのかをTVのインタビューでたずねられた時、「内臓がないならないで、そういう自分の状態に合わせて、ちゃんと工夫する」というようなことをおっしゃっていました。膵臓がないから血糖値を徹底的に管理する、消化機能が衰えたから食事は少しずつ時間をかけてするようにする。

がんになっても、悲観的になるのではなく、ないならないなりのやり方で自分の体とうまくつきあっている。それは彼の「野性」なんです。そのくらい野性的に生きることができればすごいですよね。

 

たとえばあまり気の合わない人物と仕事で二十四時間一緒にいなきゃいけないとします。

そうしたら二十四時間ずっとつらいのかと言えば、そんなことはないはずで、たとえば、ひとりで抜け出してコーヒーを飲んだあの時だけは最高だったな、というようなパートが必ずあるはずです。

不快に感じることがあったとしても、今日一日トータルで見れば、いい時間の方が多いなと思えてくる。そうやって伸ばしたり、割ったりして考えれば、二十四時間全てが不幸ってことはなかなかないと思うんです。

外的な環境の全てがうまく整っていて、なんの問題もないことなんて人生にほとんどあるはずがないんですから、そんな時がもしあれば素直に喜び、人生にはいつだってトラブルのひとつやふたつあって当然だなって思えばいい。

体が回復してきた時、それは向こうから必ずやってくる

私は小説を書くことを通して、人一倍、治癒ということについて考え抜いてきたような気がしています。

傷ついた人たちが、どのように回復していくのか。

ひたすら自分を整えてきっかけを待っている時間が実はとても大切で、一見何も起こっていないように見えるけれど、たとえるなら畑を休眠させて、土を休めている状態。微生物や虫や太陽がたえまなく癒している。そういう凪の時期が終われば、必ずまた何か出てくるものがあるんです。

それで思い起こすのが、あまりにも私が疲れ果てていた時期のことです。その時は、あまり快適でない物件で暮らしていたのですが、今思うと、それも疲れ果てていた自分の心が無意識にそういう場所を求めていたんだと思うんです。手負いの獣が草むらにじっと身を潜めて傷が回復するのを待つみたいに、そういうところじゃないと休まらないくらいの疲れ方をしていた。とにかく何をする気にもなれなかったので、気持ちが大きく動くようなことはなるべく少なくして、できるだけ省エネで行きましょうという感じでした。

偶然上の階にトータス松本さんが家族と住んでいらしたのですが、トータスさんがお風呂で歌っている歌声がときどき聴こえてきて、それがまたすごく良かったので、聴くともなしに聴きながら癒されていました。

トータスさんたちが出て行ったあと、今度はブタを飼っている人が越してきて、そのブタがまたすごくかわいかった。ブタもいるなんて楽しいな、大家さんもいい人だったし、このくらいのエネルギー低めでゆるめな場所が今の自分にはしっくりきてるんだと思って、自分では全然そこを出ていく気はなかった。このまま永遠にこの場所から出ていけなくても、別に構わないと思っていました。

 

菊地成孔さんの本が私を救ってくれたんですよ、あの時は。そうとしかいえない。あの人の『スペインの宇宙食』という本を読んで、急に「出なきゃ、ここ」って思ったんです。

忘れもしない、恵比寿のアトレに入っている本屋さんだったんですけど、手にとっちゃいけない、この本を今、読んだらだめだ、全てが変わってしまう、となぜか思って、棚に一回戻した。そうして、いったんスターバックスに行ってお茶を飲んで、でもやっぱり買わなきゃだめだと思って、戻って、買ったんです。

呼ばれたんでしょうね、自由に。でもそれを拒む自分もいました。生活を変えたくない。めんどくさい。今のままで別にいいじゃないって思っていたのに、なぜかやっぱり戻って、手にとって、読んでしまった。

そして、結局その本に描かれていた自由が、私がその部屋を出るきっかけになったのです。

 

体のセンサーって、そんなふうにすごくよくできていて、あんなに疲れ果てていたのにゆっくり回復して、もう大丈夫じゃないの? っていうタイミングで、向こうからきっかけがやってきた。私の場合はそういう感じでしたけど、誰にでもそれは訪れるはずです。

あの時の私も、「立ち直りたい」とか「ここから出たい」と思っていたわけではないし、無自覚だったけれど、それでも転機というものは、その時がくれば来てしまうものなんだと思うんです。

だから、焦らなくてもいい。急ぐ必要もない。何もしていないようでも、無為の時間なんてないんだと思うんです。生きているだけで、体は常に動き続けているから。人間には必ずそういった野性的な何か大きな力が備わっているので、自分の中のそういう力を信頼してあげるってことが、そこに力を与えることになるんだと思うんです。

 

何かが終わる、変わる時って、自然なんです。私のケースのように大きな変化のきっかけはささいなことなんです。そんなふうに突然来る。

だから、自分のセンサーを磨いておくことの方が大切で、わかりやすい転機をむりに起こさなくてもいい。

自分から変化を取りに行く時って、自分のことも、周りのことも、人生の流れみたいなものも、実は全然見ていない感じがするんですよ。

実際の転機は、生活の中で自分を整えているうちにふいにやってくる。決して縄ではない。もっと糸みたいな、ちいさくてささやかなこと。でもその糸をふと見つけ、そっとつかまえてひっぱっていったら、だんだん太くなっていくというイメージです。私にとっての成孔さんの本に描かれていた自由のように。

 

誤解を招く言い方かもしれませんが、周りの人たちを見ていても、自分のことばっかり考えている状態が長く続くと、鬱状態になるんじゃないかと思うんですよ。自分の内側ばかり見て、自分のことばっかり考え続けていたら、それはやっぱり自家中毒になりますよ。エネルギーも循環していかないし、自分で自分自身を責めて、責め続けて蝕むことになる。そして他の人がしてくれることにまったく感謝できなくなる。そういう状態が続いたのが、鬱病の直前の状態というものじゃないかと思うのです。

そういう時って、決して周囲に感謝できないし、人の気持ちも見えないのに、自分を大切にもできない。寒いのに、眠くならないように暖房もつけずに仕事をしていたりする。

そうやってあまりよくない環境に自分を置いているのって、無意識のうちに自分を責めて、いじめているんだと思うんです。とっくに暗くなっているのに、照明をつけられなかったりとかね。椅子にものすごく浅く腰をかけていたりする。そういうことをひとつひとつ自分に優しく改善していくことでも少しずつよくなっていく。

自分のセンサーを見失わないためには、自分のいい状態というのを知っておくといいんだと思います。体の中の反応のいい状態、気持ちの上でもこの状態はわりといいなというのを体感で知っておくと、そこから大きく外れると、わかるようになる。もし小さく外れただけでわかるようなら、より早く回復できる。

何がいい状態かは人によって違うと思いますが、たとえば空気がきれいで澄んでいる状態みたいなのがサインの人もいると思うし、足が温かいと元気だ、みたいな人もいるでしょう。人は必ずその人自身のいい状態をちゃんと知っているはず。最近まったくあのいい感じにならないなって思ったら、要注意だし。いい状態に近づいていくようになんとなく心がけていると、大きく外れることもなくうまくいく気がします。

関連書籍

吉本ばなな『幸せへのセンサー』

「幸せってそもそも何でしょう? 59年間生きてきてわかった、幸せっていうのは、つまりこういうことじゃないか。こういう考え方をしたら自分にとっての幸せがどういうものかわかってくるはず。ということを、お話ししてみます。」吉本ばなな

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幸せへのセンサー

幸せって、何でしょう? 作家の吉本ばななさんが、60年でたどり着いた「現実の中で幸せになる方法」を考えてみました。刊行を記念し四回連続・試し読みをお届けします。

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吉本ばなな

1964年東京都生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年小説「キッチン」で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞を受賞。著作は30カ国以上で翻訳出版されており、イタリアで1993年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞。noteにてメルマガ『どくだみちゃん と ふしばな』を配信中。
プロフィール写真撮影:Fumiya Sawa

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