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夜のオネエサン@文化系

2024.03.25 公開 ツイート

ロッカールームの色濃い記憶~金原ひとみ『ハジケテマザレ』 鈴木涼美

五年半は一つの企業に勤めていたことがあるし、水商売は断続的にかなり長期間、アダルト業界も数年、それから雀荘や家庭教師や屋形船に塾講師や休日の試験監督など学生時代の細かいバイトを入れれば結構いろんな仕事場で働いてきたと思う。

ただ、たとえば学生時代三年間アジアン・キッチンで働いていましたという友人とかに比べると、代表的には飲食店など、いかにもアルバイトという職場でそこそこ長期間、似たようなバイト仲間たちと切磋琢磨してリーダーになったり教育係になったりした、という記憶はほぼない。単に水商売やAVと兼業していたので、そんなに真面目に続けたバイトがないというだけだけど、それこそ今度鳥貴族でバイトしてた仲間の結婚式があってー的な話を聞くとなんとなく羨ましいなと思う。

 

会社員時代はもちろんそこそこ長期間、同期たちと切磋琢磨したり後輩ができてちょっとは教育的なことをしたり、なにかしらの係を押し付けられたりするわけだが、いまだに新卒一括採用と終身雇用をベースに設計されていた時代の残り香がある日本だからこそ、皆どっかで“ここに一生いるわけじゃない″と思っているバイト先でこそ味わえる青春というのがある。

正社員主義の日本ではシゴトとバイトというものの間に微妙な温度差があって、後者はちょっと軽視されがちで、「バイト感覚」というのはもはや人を批判するときに使われるけど、そもそも仕事に愛と熱意と高い意識を持って、生涯やりたいとか思わなきゃいけないなんて誰も決めていない。

私も就活中、バイト経験聞かれた場合にAVっていうのもどうかと思ってカモフラ的に四か月バイトしていただけのリラクゼーション系のサロン(鍼灸師とかがいる店)ですら、飲み会やロッカールームでの鍼灸師アシスタントと医療事務の女性のバトル(社長に気に入られていた医療事務ガールが、社長をキモイと言った鍼灸師アシスタントにつっかかったのが事の発端なのだけど、結局場が荒れて鍼灸師アシスタントは号泣、そのまま店をやめてしまった。数年後に私もとっくにそのバイトを止めて新聞社に勤めていた頃、たまたま109の地下で見かけたら、清楚系だったアシスタントさんがなんか珍しいくらい濃いめのギャルになっていた)など、ひょっとしたら当時通っていた大学院での思い出よりも濃いんじゃないかなというくらいの思い出があるので、高校生だろうが大学生だろうがバイトはいくらでもしたほうがいいと思う。別にほかに楽しみがあって、仕事は生涯バイトを通す生き方だってもちろんある。

それにしても、仕事の記憶というのはとにかく勤務中よりも勤務外が多いのは何故だろうか。正直社員だった新聞社時代も、毎日数本は書いていたはずの記事で何を扱ったかなんてどんなに思い出そうとしても二つ三つしか思い出せないが、先輩と不倫していた同期との長いランチや、赤から鍋に誘われてついていったらラブホテルに誘ってきた食いだおれ人形に似た先輩の口説き文句などはものすごく詳細に覚えている。一応、人が一生懸命やっていると想定されている企業の中でもそうなのだから、比較的緩い意識で短期間、時給制などで働く者の多いバイト先ならなおさらだ。

そもそも私が本格的に文章屋になるきっかけとなった本『身体を売ったらサヨウナラ』の執筆動機は、キャバクラのロッカールームやAVのメイクさんとの雑談の空気感が、性の商品化の議論とかが正直ちゃんちゃら笑えてしまうほど楽しくて、切り取って額縁に入れて風呂場に飾りたいほど愛おしいものだったからだった。別に普段大して美味しいと思わない魚肉ソーセージもキャバクラの送りの車の中で先輩に一本もらって食べると美味しいし、普段別にひとつも興味を持ったことのないオレンジレンジも、キャバクラの店が終わった後、みんなで海に行くために時間を潰していた店内でボーイが歌うとこの世で一番盛り上がる。

鍼灸師アシスタントと医療事務ガールの、最終的には「いまどきロキシー着てる人とか初めて見たわwww」というくだらない嫌味の言い合いになっていた聞くに堪えない口論も見ものだったけれど、高校を卒業して大学に入る前に少し働いていた大船駅のフリー雀荘での人間模様もいまだすべての登場人物フルネームで言えるほどはっきり覚えている。業務内容、つまり雀卓の掃除とか客がトイレ行っている間の代走とかカップ焼きそば作るとかそういうことの手順はもちろん忘れた。

大船という東京に比べるとかなりローカル感の強い土地柄もあってか、雀荘のメンバー、バイト女子、店長や副店長、そして常連のお客の間での色恋乱れ打ちっぷりが完全にビバリーヒルズ青春白書も男女七人恋物語もピーチガールも真っ青なレベルで、特に私と同い年だったちょっと地味目なローカル系巨乳ヤリマンにいたっては、彼氏に誘われて一緒のバイト先に来たのにそこのバイトリーダー的な四つ上の男とできちゃって当然男子たちは派閥に分かれて戦争になり、客の一人であった大学生とのチューしてるプリクラも流出してひと悶着あり、バイトリーダーが業務用冷蔵庫の会社に就職して辞めた後は新しくバイトに入ってきたバンドマンとも浮名を流し、最終的に既婚者だったはずの常連のおじさんとデキ婚したという、その雀荘に男遍歴のすべてを詰め込んだ女だった。ちなみにそのバイトリーダーとは私も二、三度そういうことがあったが、休日に私服で会ったら偽物のミッチーみたいな透け透けブラウスでやってきたのでビバヒル的ドロドロの中に巻き込まれることなく私は静かに身を引いた。

そういう、生きている最中は自分の人生の中での重要度が極めて低いが、人生を振り返ると意外と思い出のボリュームが高いことに気づくバイト仲間との成り行きのようなものを小説の中に立ち上がらせた金原ひとみ『ハジケテマザレ』は、自分の小粒な人生なんて世界にとってものすごく取るに足らないものなのだと気付いてしまった大人(私)を祝福してくれる、衝撃的に美味しい近所のカレーのような物語だった。

『ハジケテマザレ』(金原ひとみ 講談社)

主人公は人と自分を比べがちで、そういう自分の小ささにも自覚的で、陽キャや美人を批評しつつ、自分と同じような地味系人種には微妙にマウントをとるような、面倒と言えば面倒な、ありふれたと言えばありふれた女で、コロナで派遣切りにあったがために飲食店「フェスティヴィタ」で働いている。ベテランで仕事のできる女性二人コンビやイベント会社を経営していたパリピ系女性など、同じバイトたちとの主に業務時間外の飲みながらする会話を主軸に、ちょっとした事件のある日常が描かれる。

「まじで人と自分を比べてばかりの人生だ」とやや卑屈だがパリピな人生と完全に断絶しているわけでもない主人公が、若き日の自分を思い出してひたすら愛しく、それにくわえて随所にある「私たちの社会に於いては年齢という情報があまりに過大評価されている」みたいな芯を食ったぼやきにも心を掴まれる。自分の凡庸さにうっすら気づきながらも、こんなしょぼい人生のはずではないとどこかで思っているが故に、陳腐な逸脱を繰り返してここまできた、と思っている四十歳女子としては、思い返すとしょぼい思い出ばかりが割と色濃い自分の青春を丸ごと肯定してもらったような、別に大きく受け入れてもらったというより、肩をぽんとされてドンマイとか言ってもらえたような感覚だった。

そしてなんだか知らないけどイタリアンでバイトしているはずの面々がちょこちょことカレーの沼にハマっていき、小説自体もおつかれさまでーすが「かれーっす」というイントネーションで繰り返されるなど、要所要所がカレーに侵食されている。私はそこまでカレーに執着がない方だと思う、というか日本にはカレーに執着がある人がものすごく多いのでそれに比べると、まぁたまにスープカレーとか食べたくなるかなくらいでかなりカレー熱の低い方ではあるのだけど、黄色い表紙の本を読んでいた数日間、二回もカレーを食べる羽目になった。私の住んでいる原宿や千駄ヶ谷の周辺というのは割とカレー屋が豊富なことに今更気づいた。

カレーを食べながらフェスティヴィタの女性たちの「求めてないのに好意寄せてくるのってもはや罪じゃない?」「宝くじ当たったら殺し屋を雇って店長を殺してもらおうという話になって、でも宝くじ当たったらここのバイト絶対辞めるよね? という至極真っ当な結論に落ち着く」みたいなやはりスパイシーな女子同士のおしゃべりの空気感を思い出して、凡庸を受け入れた後の長い人生を一人で祝福した。

関連書籍

上野千鶴子/鈴木涼美『往復書簡 限界から始まる』

「上野さんは、なぜ男に絶望せずにいられるのですか」? 女の新しい道を作った稀代のフェミニストと、その道で女の自由を満喫した気鋭の作家が限界まできた男と女の構造を率直に、真摯に、大胆に、解体する。 「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」「結婚」「承認欲求」「能力」「仕事」「自立」「連帯」「フェミニズム」「自由」「男」――崖っぷちの現実から、希望を見出す、手加減なしの言葉の応酬!

鈴木涼美『愛と子宮に花束を 〜夜のオネエサンの母娘論〜』

「あなたのことが許せないのは、 あなたが私が愛して愛して愛してやまない娘の 身体や心を傷つけることを平気でするから」 母はそう言い続けて、この世を去った――。 愛しているがゆえに疎ましい。 母と娘の関係は、いつの時代もこじれ気味なもの。 ましてや、キャバクラや風俗、AV嬢など、 「夜のオネエサン」とその母の関係は、 こじれ加減に磨きがかかります。 「東大大学院修了、元日経新聞記者、キャバ嬢・AV経験あり」 そんな著者の母は、「私はあなたが詐欺で捕まってもテロで捕まっても 全力で味方するけど、AV女優になったら味方はできない」と、 娘を決して許さないまま愛し続けて、息を引き取りました。 そんな母を看病し、最期を看取る日々のなかで綴られた 自身の親子関係や、夜のオネエサンたちの家族模様。 エッジが立っててキュートでエッチで切ない 娘も息子もお母さんもお父さんも必読のエッセイ26編です。

鈴木涼美『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』

まっとうな彼氏がいて、ちゃんとした仕事があり、昼の世界の私は間違いなく幸せ。でも、それだけじゃ退屈で、おカネをもらって愛され、おカネを払って愛する、夜の世界へ出ていかずにはいられない―「十分満たされているのに、全然満たされていない」引き裂かれた欲望を抱え、「キラキラ」を探して生きる現代の女子たちを、鮮やかに描く。

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夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。

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鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

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