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純喫茶図解

2024.01.17 公開 ツイート

御茶ノ水【穂高】- 都会で暮らす人々がホッと一息つける山小屋のような安心感 塩谷歩波

東京のド真ん中に山小屋のような喫茶店があるのはご存じだろうか。

 

「喫茶 穂高」は御茶ノ水駅から徒歩10秒のところにある(なにしろ4軒先に改札があるのだ)超都会の純喫茶だ。サラリーマンや学生、お年寄りの往来が激しい駅前通りに面した扉の隣には、かつて穂高行きの鉄道で使われていた“穂高 HOTAKA”と書かれたプレートと、木目がくっきりと刻まれた重厚感のある看板が掲げられている。「ここから先は山の中ですよ」と宣言されているようで、入口からワクワクさせてくれる。

ガラスがはめ込まれた赤みがかった木の扉を開けると、穏やかな笑みをたたえた老夫婦が出迎えてくれた。室内は細長い構造で、壁づたいに苔のようにくすんだ緑色のソファと小さな机が幾つか置かれている。そのままゆっくりと室内を見渡してみると、入り口横にスキー板があったり、壁に山の絵が飾られていたり、ランタンのような照明が置かれていたりと、山小屋らしさを感じられるアイテムが随所にある。しかし、何より山小屋らしいと思ったのは、店に入った時に感じた、ホッとする安心感だ。BGMのない静かな店内、落ち着いた壁の色、優しい照明の色合い。そして、老夫婦が営む店内の雰囲気と、建築家によって工夫が凝らされた建物がその安心感をもたらしているのだろう。

粟野芳夫・のり代さんご夫婦が経営する穂高は、1955年に開店した。仕立て職人だった芳夫さんのお父さんのお店の一角を使い、芳夫さんのお兄さんとお母さんが喫茶店を開いたことが始まりだ。お母さんが山登りが好きだったことから、穂高という名前になったという。しかし数年後にお兄さんが亡くなり、“自分は不器用だから仕立てはできない”と芳夫さんが喫茶店を担うことに。この頃は今の半分ほどの大きさで、建物も木造の2階建てだったそうだ。

1970年代に改装を考えた芳夫さんは、穂高の店内で改装案の図面を描いていた。その手元を見るなり「ひでぇ!」と声をあげたのが、建築家の森史夫さんだった。穂高の常連だった森さんは「僕にまかせてほしい」と、改装計画を請け負い、一度目の改装を行った。やがて時代は流れ、建物の老朽化から2004年に穂高は現在の姿に改装された。建物ごと作り変えたので大工事となったが、以前の木材や家具をできる限り再利用して、かつての面影を残した山小屋風の雰囲気となった。

ゆったりと過ごせるようにと照明や開口などに工夫が施されているが、中でも私が印象的だったのは店内の中心にある“バッテン”だ。木の柱の間に設置された、木を交差することで作られたバッテンは、穂高の空間的なシンボルとなりつつ、室内の奥へ抜けるはずの視線をとどめている。芳夫さん曰く、奥でゆったりと過ごしているお客さんが居心地悪くないようにと設置されたのだそうだ。さらに、椅子の高さや机の高さも低めに設置することで、ゆったりと心落ち着く空間が作られている。

その安心感は、空間だけでなく食べ物からも感じられる。穂高の食事メニューはトースト1品のみ。分厚くカットされたトーストにマーガリンとマーマレードというシンプルなメニューだが、その素朴さが優しくホッとするのだ。“温度を一定に保つのが秘訣”というコーヒーとの相性もバッチリで、何枚でも食べられる。また、冬にぜひ頼んでほしいのが「みかんえーど」。レモネードのみかん版ような味わいなのだが、洋風由来のレモネードとは違って、実家で食べるみかんのようなどこか懐かしさを覚える優しい味わいで、寒い冬でも体の芯から温まるのだ。

一度だけ、本格的な山登りをしたことがある。重いリュックを背負って、慣れていない登山靴ですっかり足腰がヘトヘトになった頃に山小屋に辿り着き、涙がにじむほど安心感に包まれたことを覚えている。穂高は足腰がヘトヘトになるような山の上にあるわけではないが、都会の早すぎるスピードや人間関係に少し疲れた時に、ホッとできる安心感は山登りの道中とすっかり重なってしまうのだ。喫茶 穂高は、都会という山登りの途中でやっと息継ぎができる東京に住む人々のための山小屋なのだ。

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純喫茶図解

深紅のソファに煌めくシャンデリア、シェードランプから零れる柔らかな光……。コーヒー1杯およそワンコインで、都会の喧騒を忘れられる純喫茶。好きな本を片手にほっと一息つく瞬間は、なんでもない日常を特別なものにしてくれます。

都心には、建築やインテリア、メニューの隅々にまで店主のこだわりが詰まった魅力あふれる純喫茶がひしめき合っています。

そんな純喫茶の魅力を、『銭湯図解』でおなじみの画家、塩谷歩波さんが建築の図法で描くこの連載。実際に足を運んで食べたメニューや店主へのインタビューなど、写真と共にお届けします。塩谷さんの緻密で温かい絵に思いを巡らせながら、純喫茶に足を運んでみませんか?

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塩谷歩波

1990年、東京都生まれ。2015年、早稲田大学大学院(建築専攻)修了。設計事務所、高円寺の銭湯・小杉湯を経て、画家として活動。

建築図法”アイソメトリック”と透明水彩で銭湯を表現した「銭湯図解」シリーズをSNSで発表、それをまとめた書籍を中央公論新社より発刊。

レストラン、ギャラリー、茶室など、銭湯にとどまらず幅広い建物の図解を制作。

TBS「情熱大陸」、NHK「人生デザイン U-29」数多くのメディアに取り上げられている。

2022年には半生をモデルとしたドラマ「湯あがりスケッチ」が放送された。

著書は「銭湯図解」「湯あがりみたいに、ホッとして」

好きなお風呂の温度は43度。

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