
長らく漫画やアニメなどに触れられない期間が続いていたが急に余命を悟ったせいか、呪術廻戦にはじまり、進撃の巨人やHUNTER×HUNTER、無限の住人、果ては攻殻機動隊など、気になっていたものはとりあえずアニメで視聴する日々だ。
昨日は魔法少女まどか☆マギカを見た。
一見有名なものを無差別に貪っているように見えるかもしれないが、何を見るか迷った末にゆる△キャンの1話に戻っているという、ある意味まどマギ現象が起こることも珍しくない。
今更、売れている作品を視界に入れたくないという気持ちはない、そうだとしたら自分の両目を潰した方が早い。
だが「これを見ることにより俺様のハートが傷つけられるかもしれない」という躊躇は未だにあるのだ。
世の中に「おキャット様やおドッグ様が死、もしくはひどい目にあう作品は絶対に見ない」という人がいる。
どれだけ物語上意味のある死だろうが、おキャット様やおドック様が死んでしまう生物であるという現実をフィクションでまで目の当たりにしたくないのだ。
どれだけ作品として名作と言われようとも犬猫ボッシーンが出た時点で「神よ……」と十字と再生を切って、その日はもう何もできないのである。
だが「もう今日は何もできない……」とマシュマロ入りのココアを淹れてブランケットをかぶった瞬間、洗濯終了のお知らせが鳴り響くのが大人の生活というものだ。
自分のお気持ちとは無関係にやらなければいけないことが山積しているため、何もする気がなくなるほど心を抉るような地雷フィクションは最初から回避したいのである。
しかし地雷が「アニマル様の死」ほど明快であれば、そういう人のために、作品別にアニマルさんのデッドオアアライブをまとめてくれるページもあるし、宣伝の時点で「この犬は死にません」と明記してくれる親切設計の作品もある。
だが、地雷は人それぞれであり、時にあまりにも細かすぎるのだ。
犬猫の死の有無をまとめてくれる人はいても「恋愛感情が発生していない10代の男女が5人以上で協力して一つのことに取り組む姿」があるかどうかをまとめてくれている奴はいないのである。
よって、そういうシーンがないことを祈りながら見るしかないし、万が一あるかもしれないと思ったら見る気になれず、作品の食わず嫌いが加速していくのである。
だがそもそも「嫌いなものが入っていない」という条件で作品を選ぶこと自体がおかしいような気がしてきた。
原材料不明というだけで美味そうな料理を無視して「どう見ても俺が嫌いなつぶあんが入ってねえ」というだけで理由で焼いてない食パンばかりを選んでいたら、不味くはなかったが美味くもなかった、という感想しかないだろう。
アレルギーレベルの地雷を避けるのは大事だが、ちょっと歯に挟まって不快な思いをするかもしれない程度の理由で避けていたら、スカスカ前歯の中年は何も見れなくなってしまう。
やはり、嫌いを避けるのではなく「自分が好きそうなもの」から見ていくべきだろう。
では自分が好きそうなものとは一体何なのか、元々生粋のキャラ萌え豚野郎なので、自分好みのキャラが出てくれればそれでいいと言えばそこまでだが、それこそ自分好みのキャラが出て来るか否かは見てみないことにはわからない。
だがこれに関しては、先日読んだ「波よ聞いてくれ」の台詞にほぼ答えが書いてあった。
「人が3人以上死ぬ小説が好きなもんで」
これである。
ただし「突然の自動車事故により、4人家族の両親と姉が死に、幼い少年が残った」というストーリーにテンション爆上がりで即再生、ただし両親しか死んでなかったらノーサンキューというわけではない。
そのシチュエーションだったら、両親と祖父母と姉弟5人、あと何をして食っているのかわからない親戚のおじさんの計10名死亡など、どれだけ死亡者を水増しされても手が伸びないと思う。
その状況であれば自分の身にも起こるかもしれないし、何をして食っているのかわからないおばさんポジとして落命する可能性は十分にある。
つまり、自分には起こりそうにない非日常が起こる作品が好きということだ。
ミステリも最初から殺人事件という非日常を娯楽にしているジャンルなのだから、どうせなら3人以上死んでほしいし、頭から湖に突き刺さるなど、できるだけ面白く死んでくれているものを選びたいのである。
人はどれだけ凄惨なことが起こっていても「自分の身に同じことは起こらない」と思えば、傷つくこともなく、それをエンタメとして見れてしまうし、むしろ凄惨であればあるほど楽しめてしまったりするものだ。
サメ映画も「今この部屋にサメは来ねえ」という当事者意識がないから楽しめるのである。
ただ私の集落は去年野生の猿の襲撃にあい66名が負傷というパニックムービーが起きているので、いつ自分も当事者になるかはわからない。
逆に言えば、大人という当事者になる前に、大人が人生の残酷に七転八倒する系のフィクションを楽しんでおいた方がいいとも言える。
そんなわけで、犬猫は死なないが、人間が現実では起こらない方法で3人以上死ぬフィクションの情報は常に募集中だ。
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